かくしごと(空色MIX)

本音だけどちょっとよそ行き。知人にも見せられる文章を目指す、陽あたりの良い表の日記。考えごと、エンタメのこと、ポジティブネガティブなんでもあり。

「あの頃インターネット」と消えない14歳の思考

※かなり長くなったので、ざっくり内容を把握したい方はガーッとスクロールして【要約】をチェックしてほしい。

 

先日、ある人物に昔ネットで書いていた日記や詞の存在を明かした。

私のへっぽこインスタグラムを見た話からネットでの出来事、文章や言葉の話へと移行し、会話の流れでなんとなくルーツを紐解く状態になっていた。

これまでにも何度かこんな経験はあった。

たぶん私は自分のことばかり話し過ぎている。いけない。ただ、聞き上手な相手にはいつもよりもっといろいろなことを話したくなるものなのかもしれない。

 

インターネット歴は、中学3年生だった14歳(早生まれなのです)の1998年から数え、て、…約19年になる。

……もうすぐ20周年であることにのっけから動揺してしまったが続けます。

音楽が好きになったきっかけでもあるhideさんのホームページが見たくて仕方がなくて、父に使い方を教えてもらったのがはじまりだった。残念ながら亡くなってしまってから好きになったのですが、時代を先取りしすぎていたhideさんは当時からネットでさまざまな面白いことを実現していたのです。

 

(なんだこれ、めっちゃ楽しい…!)

hideさんのファンと繋がれることももちろんだったが、すぐに宇宙的なネットの世界自体にのめり込み その後はBBS、チャット、テレホタイム*1、ネチケ*2、オフ会、自分で作る簡単なホームページなどなど様々な遊びを覚えていった。一応学校はちゃんと行っていた。

中でも特に夢中になったのは日記レンタルサービスで文章や詞を書くこと。ブログという言葉が日本で普及する前から勇敢なサービスはいくつか存在していて、私は主にメモライズ、エンピツ*3 という2つのサービスを利用していた。メモライズ、いいサービスだったのだけどなあ…(のちにlivedoor Blogと統合)。

 

小学生時代からノートの最初のページにナビゲーター的キャラクターを設置(創作)して、「自分の日記」をエンタメとして楽しんでいた程度には日記という存在が好きだった。日記サイトにハマるのも当然だったのかもしれない。

言葉でリズムを紡ぐ感覚、思考が整理される心地良さはクセになるし 嫌なことだって文章で吐き出せば少し気持ちが落ち着いた。

日記や文章を書くことが好きだという自覚は、インターネットの存在でより鮮やかになっていった。

 

冒頭の人物はこう続ける。

「当時のブログは残ってないの?」

「!」

「見たいなあ。」

「いやちょっとそれは、いろいろとまずい…」

これまでの人生で何度か経験した状況、デジャヴその2だ。

なぜか(というか、当たり前なのか)、それを知った人は大抵当時の文章を見たがる。

あると知ったらまあ、好奇心で見たいとは思うものなのか。でもこれは本当に申し訳ないがいろいろとその…まずいとしか説明できないのだ。

全世界に公開しているのにおかしな話だけれど、当時の文章は「人に見られないことが前提のもの」だったのだから。

 

文章を書ける場所があって、しかもそれをネットの人たちに見てもらえるのは私の中で革命だった。ただ、それはあくまでネットの中だからできることだった。

まず大前提としてあったのは「自分のため」。承認欲求でも上手い下手でもない。ただ自分が心地良く書けてすっきりするかが何より重要だった。

だったらそもそもネットに公開しなければ良かったのでは?と疑問が浮かぶかもしれない。

でもネットでは「自分の思考に近い、感覚が似ている気がする人たち」と繋がれることも多かったから、そんな人たちに自分の文章を見てもらえることは 安全な居場所が出来たみたいでとても嬉しかったのだ。

特に何の拡散努力もしていない割には定期的に見に来てくださる方や、言葉に対しての嬉しいコメントをいただいたこともあった。

あとは単純に、みんな普段の私の生活を知らないから気楽だったというのもある。自由に書けていたあの日々はとても大切な足あとだ。

 

ただ、赤裸々すぎたのだ。

日記は嬉しかったこと、楽しかったことだけを記録する場所ではなかった。

「あの頃」の日記を見れば、あのとき私が好きだった相手は誰でどんな人なのか、あの子のどんなところが羨ましかったのか、仕事でどんなことがつらかったのか、またどのように思考が厨二でオタクなのか(これは全然構わないが)が全て分かってしまう。分かってしまうのですよ……。

 

今となっては私も出会えない過去の私。あの頃の感情がそのまま保存されていることはとてもありがたい宝物であって貴重な資料。だけどそれを人に…リアルで繋がっている人に見せてと言われたら、やっぱりそれは、大抵いつまでもノーだ。

「ブログはやっていなかったよ」と言えばいい話なのかもしれないけれど、どう考えても真っ赤な嘘だからなあ。あまり楽しいことではない。

 

「ネット」と「リアル」という分け方は正確には適切ではないのだが、皮肉なことにこれがいちばん分かりやすい伝え方ではあるので使うことを許してほしい。

 

ネットで繋がってリアルでも仲良くなった人たちはいる。その人たちにはいくらでも過去の自分を見せられる。かといって、リアルで繋がっている人たちを信じていないだとか または騙しているとかそういうことでもない。

「そっちでは、そうじゃない。」ただそれだけだった。

 

学校で特に仲の良かった見た目はギャル、中身はしっかり者な美人であるゆっちゃん(仮)は、当時2ちゃんねるの存在を知らず「うちでは映らないチャンネルだなあと思っていた」と朗らかに語っていた。

それでも、仲はいいのだ。共有できない楽しみ方があったって、互いの一方が知っていることを知らないからといって、友人関係に影響はなかった。と私は思っている。

私も彼女のような髪の巻き方やエクステンションの上手な店や日焼けマシーンの楽しみ方は知らなかった。それでも、仲はいいのだ。

例えて言うならオンとオフ、職場と自宅みたいなものなのだろうか。フォーマルとカジュアル?うーん。やっぱり少し違うかな。

 

とはいえ話を戻す。

とはいえ、せっかく私の散文に興味を持ってくれる人がたまーーーにいるというのに、いつまでも「見せられるものはありません」で通すのも少し失礼かつ思わせぶりな気がしていた。

何かうまい落としどころはないだろうか。

そもそもそんな双方に(?)リスクのあるただの私の日記を「見たい」と楽しげに言うような人物は、その時点でそこそこ興味深いというか、奇特な人である。良い意味でだけれど(フォローになっていない)。

 

ちなみに、日記はノーだが詞なら別に構わないので(境界線が曖昧になれるから)、冒頭の人物には詞をいくつか見せていた。

もうそこまで来たら別に日記を見せてもいいのでは…と、私も書いていて少し思ったけれど やはりそれにはかなりのリスクが伴うので。

 

いくつかの詞を見てその人はこう話した。

「素敵な世界観」
「映像が浮かぶ

…え?

「色を感じる。多彩。」

「絵本の中のよう。」

 

……玄人かな?

特に笑いも茶化しもせず、淡々と普通に受け取っていたことに軽く驚いた。

「ちょw ポエマーw」でもなく、「あの頃は厨二病全開だったよね」「若いなあ」でもなく、むしろ同じフィールドに降りてきた上での「感想」だった。

それが例えば19歳だったりアーティスティックな夢を追う人物(?)だったのなら私の中ではあまり違和感はなかったのかもしれないけれど、冒頭の人物はそうではないはず。年齢的にも社会的な立場でいっても「とても大人」の人物である。

少し私のほうが面食らってしまったぐらい、とても嬉しい感想だった。

同時にあるひとつの仮説が浮かぶ

あくまで私の推測だけれど、薄々感じていたけれど、その…たぶんおそらく相手にもそういった傾向があるのではないか…

そう、中学2年生づいた傾向が。

あるいはそういう何かを、怖いもの見たさで見ようとしたくなる性質があるのではないだろうか…と。

「日記のURLは?どこかに上がってるの?」

「…お、教えません…(そっとブログを限定公開にする)。」

いずれにしてもやっぱり奇特な人なのだ。もちろん良い意味でだけれど(全然フォローになっていない)。

だからあのようにポエマーの扱いにも慣れているというか反応が素人のそれではなかったり、リスクのある日記を見たいなどと言うのだろう。きっとそうに違いない。

 

暴走気味にそう思い込むと今度は、なんだか怖いもの知らずの、いわば勇者の期待に応えきれない自分に少しがっかりしてしまった。せっかく同じフィールドに降りてきてくれる、他者と同じ目線で物事を見ようとしてくれる、視野の広い(14歳の思考が残る疑いのある)人だと思われるのに。

詞はいいのに、なぜ日記はだめなのか?

冒頭の人物も、これまで似たような会話を交わした人物たちも、たぶんそれを見て笑ったりはしない。反応に困るかもしれないけれど、なんというか反応自体が問題なわけでもない。

それは既に説明している通り「赤裸々すぎるからだめ」というだけなのだけれど、今さら何を守るのか?そうささやく自分もどこかにいた。

 

でもやっぱり、あれは見せてはいけないものだと思う。私の中の冷静が懸命に防波堤になってくれている。守りたいのだから仕方がない。

 

ただ、あの頃の日記は見せられないけれど、これからの日記ということなら話が変わってくる。

今から、これからの日記なら見せられるかもしれないから…それで手を打ってもらうのはどうだろうか?

そんなアイデアが浮かんだ。

いや、全然解決にはなっていないけど、「今はこれだよ」と言えるだけでも少しだけ格好がつくかもしれないではないか?

というか、「そういう」文章をずっと書きたいと思っていたではないか。

そういう、ネットがあの頃以上にリアルに根付いた今だからこそ、いろいろな人に見せられる文章の訓練をしたいと思っていたではないか。

私にとってネットはずっとリアルだったけれど、それが多くの人にとってそうなった世界。

楽しんでみたくなるではないか。

 

「でもそろそろ、適当な日記は再開させたいんだよね。」

ほら。会話の履歴から、私も自然と口にしていることに気がつく。

ということはやっぱり、再開するなら今、今なのではないか…?

私はさらに考えてみた。

 

再開するなら、やっぱりタイトルは「かくしごと」がいい。何年も前から使いたいと思っていた言葉だ。

では、どのサービスを使う?やっぱりはてなブログか。好きな文章を書くあの人もはてなブログだし、そう簡単になくならない見込みのありそうな場所がいい。じゃあIDは、URLはどうしよう?こういうところにもやっぱりそれなりにこだわりたい。人気サービスであればあるほどIDは重複しがちだから、使われていないものを考えなければならない。それからそれから………

………………

 

あっという間にブログのことで頭がいっぱいになった。

 

そして前回の日記の状態に至るのである。

そう、こんな背景があって、私はブログを再開することにしたのでした。よかったね!

 

…無駄に長い文章ですまなかった。

 

正確にはこれ以外にも理由はあるのだけれど、いちばんブログやりたい脳になったのはこの会話がきっかけだったので 間違いではないのだ。

 

長過ぎて読むのが面倒だしもう最初あたりに何が書いてあったのか忘れたよ…と思った方は、以下のつぶやきを見ていただれば大体のことが把握できます。ただ、ここまで読んだ方がいらっしゃるかどうか…人に見せられる文章をといいながら、こんなに長いのは……

 

【要約】

「たまに私のSNSや言葉をまじめにほめる人がいる。その話からなぜか昔の詞とか日記の話をするに至ったのだが、詞はいいんだよ。別に黒歴史ではないし、今も全然見せられる(迷惑行為かもだが…笑)。ただ、日記はだめなんだ………見せられるのはあるけど、大半がやばい…それで、見せられるものを作りたいなと。」

 

自分でもなぜこれだけのことをこんなに長く説明してしまったのか謎が残る。でもまあ、あの頃のインターネットの話が入っているからね。インターネットと私の歴史をちゃんと振り返ろうとすると、思い入れがありすぎてどうしても長くなってしまうのかもしれない。

 

そんな感じで、今回もスマートフォンからお届けしました。ノートPC、やっぱり電源つかないみたい…

 

ちなみにそのきっかけの会話をくれた「冒頭の人物」にはまだこの場所を教えていない。まさか本人も自分がこの日記に登場しているとは思わないだろう。

勇者よすまない、近いうちに必ず、勇気が出たら教えるからさ…(結局見せるのをためらうのか)!

 

   

*1 当時、23時から朝の8時まで接続料金が定額になるNTTの「テレホーダイ」なるすばらしいサービスを利用していた(しかも調べてみたらなんとまだ存在しているサービスらしい。なんだか嬉しい…!)。朝の5時までと思っていたら検索し8時と判明。私の寝る時間が5時だったのかな…それまではピーガガーッとダイヤルアップ接続→使わないときは切断しないととんでもない通話料金の請求が来た。私も一度やらかして、両親に叱られた。テレホーダイの時間帯=通称テレホタイムで、当時親しくしていたネット仲間と23時からチャットで話すのがとても楽しみだった。え?いつ寝ていたの?

 

*2 ネチケ→ネットエチケット。ネットを楽しむためにはネットのマナーを守りましょうね的な美しい文化が当時のインターネットの世界では当たり前のように存在していた。今もあるのだとは思うけれど、この言葉を知っている人はたぶんそもそもネチケの心得がある方だろう。私がネチケを知らなかった初期の頃は、土足でズカズカ掲示板などに足を踏み入れてうっとおしがられたこともある。反省しています。

 

*3 エンピツで書いていた詞は、実は今でも見られます。このままずっと残っていてほしい。 

 

 

書いている間に23時を過ぎていた。テレホタイムじゃないか。ピーガガーッの音が頭の中で聞こえる。