かくしごと(空色MIX)

webライターっぽい女のオタク気質ライフ。 ライブレポ、何かの感想、日常、思考整理。まずは素直な文章を。

【hide】私の初めての「メル友」は、難病を抱えるhideファンの少女だった

5月2日。この日は自動的にhideさんを思い出す。

今年はなんと没後20年だった。

中学生だった20年前の5月2日以降、

私は皮肉にもhideさんの音楽と人柄の魅力に気づき、

悲しいタイミングでファンになった。

当時からインターネットを積極的に活用していた時代の先駆けとも言えるhideさんは、

今で言う「オフィシャルサイト」、

あの頃のように表現するならば

「ホームページ」を既に開設し情報を発信していた。

そこにはファン同士交流ができる掲示板まで設置されていて、

亡くなった後もページは残され掲示板の運用も続いているという。

そのサイトがどうしても見たくて父親にインターネットを教えてもらったのが

私のネット歴のはじまり。

 

ネットをする人がクラスに一人いるかいないかの時代。

タイピングも分からず、見よう見まねで必死に何時間もかけて打った
初めての掲示板への書き込みやメール。

いつ寝ていたか分からない
hide仲間とのテレホタイムのチャット。

全てが新鮮で楽しくて、私はhideさんの音楽だけではなく

インターネットの世界にもどんどんのめり込んでいった。

ネット仲間ともっと交流したいことがきっかけで、ついには自分のホームページまで開設した(Wordを使った超でたらめなやり方だったけれど)。


hideさんにハマらなかったら
ネットにもハマっていないかもしれないから
Web業界で仕事をすることもなかったかもしれない。
音楽も好きにならなかったかもしれない。
私は誰になって、どんな人生を送っていたのだろう、と

今でもたまに考える。

 

そして今日、もう昨日か。

この記事を見て朝から泣いてしまった。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180501-00000095-sasahi-ent

(もう見られなかったね…「約束のチーズケーキ」というhideさんと貴志真由子さんという女の子の交流が描かれた記事でした)

 

私が初めてPCを使ってメールを送った相手は

実はこの女の子、貴志真由子ちゃんだったのだ。

私は「まゆ姉」と呼んでいた。

 

当時からhideさんファン界隈の間で有名だった真由子ちゃん。

hideさんのホームページが見たくてネットを始めたけれど

真由子ちゃんにもどうしてもメールを送りたかった。

キーボードの打ち方なんて全く知らなかったけれど

とにかく書こう!と決意し、
2時間かけてやっとタイピングした数行のメールを送信した。

 


そしたらまさかの返事が来て、

それからまるでメル友かのようにメールのやり取りをするようになった。 

返事が来るなんて思っていなかったし、

まさかそれ以降もやり取りが続くだなんて思ってもいなかった。

(ブログの件名については「自分でメル友とか言いやがって私…」と、少しおこがましいと思いつつも 当時のやり取りを思い返すと、この表現がやっぱりしっくり来てしまうのだ)

 

hideさんの話はもちろん、学校であった出来事も報告していた。

返信が来るたびに感動していた。

頻度は多くなく、返信の文字量も数行のもの。

難病と闘いながらそのやり取りをすることが、どんなに大変であったことか想像する。

 

私には計り知れないほどの症状と闘っていただろうに、

喘息持ちなことをメールに書いた際には

「喘息大丈夫?」

と、私の体調まで気遣ったメールを送ってくれたり

本当に心の優しい女の子だった。

 

実際にhideさんのイベントで見かけた際、

多くのファンに紛れて声を張り上げ

自分はメールの相手であることを伝えた。

 

イベント前には、このイベントに自分も行くこと
さらに、そのときする予定のファッションまで伝えてはいたけれど

(当時私はロリータファッションが大好きで、ピンクのエプロンのようなワンピースに王冠をつけて会場を闊歩していた)

会うのは難しいだろうな、と思っていた。

まゆ姉はhideさんファンの間で超がつくほどの有名人。

そしてhideさんファンには本当に良い方が多かったから、

そのときもものすごい派手なhideさんコスをしたファンの方達に囲まれていた。

赤い髪の女性がまゆ姉の車椅子を押しながら

集団で楽しそうに談笑していた。

 

「まゆ姉!!めぐだよ〜!!!」

 

届いているか分からないぐらいの距離だったけれど、

なんとなく、私のいる方向を見てくれたような気もしたし

笑ってくれたような気がした。

 

その後届いたメールには、
「めぐみちゃんのこと分かったよ!王冠かわいかった!」と記されていた。

 

いろんな意味で目立つファッションのおかげで見つけやすかったのかもしれないけれど、

その格好についても「かわいかった!」と触れてくれて

本当に見つけてくれたのだと感動した。

 

こっちを見て笑ったような気がしたのは、

気のせいではなかったのかもしれない。

というか、気のせいではなかったのだろう。

 

hideさんとまゆ姉の間で深い交流が続いた理由は、
「難病の女の子だから」だけではないと思う。

紹介したさっきの記事や、ここまでの文章を読んでくれた方なら

たぶん誰だってそう思う。

 

推測だけれど、

おそらく、まゆ姉は私以外のファンからのメールにも

同じように返信をしていたのだと思う。 

きっと、自分と同じ人を好きなみんなと交流することが好きだったのだと思う。

 

とはいえ、今になってみると

身体が辛いときに無理していなかったかな、とか

負担を増やしてしまう行動だったのだろうか、

「メールを送りたい」という自分の気持ちはエゴではなかったのか、など

楽観的すぎる当時の自分を恥じたくもなるし、申し訳ない気持ちが生まれるのも事実。

 

でもそんなことを考えて申し訳ない気持ちにばかりなっていたら、

まゆ姉はもちろん、彼女のご両親も逆に悲しむような気もしているから

敢えてこのブログではあまり書かない。

そんなこと言わないで、と逆に叱られるような気もしている。

 

あのメールの短くも温かい文章は、

本当に普通の友達に向けたかのような

何気ない、他愛ない、

嘘なんて入っていない、

楽しくも尊い「普通」が詰まっていた。

 

約束のチーズケーキ、とても良い記事だった。

知らないエピソードや貴重なお話もあって本当に読めて良かったし、

双方のご両親も本当に素敵な方だ。

 

 

そんな優しいまゆ姉がhideさんの元へ旅立ってしまい数年、と呼ぶにはもう少ないぐらいの時が経ち

私はいつのまにか彼女とhideさんの最後の歳を追い越していた。

 

時は流れるけれど、

もらった過去は今につながる。

 

 

hideさんのおかげでさまざまな音楽や人に出会えた。

そして、まゆ姉という素敵な女の子に出会えた。

 

二人を通じて、インターネットで誰かとつながるワクワク感や面白さを知った。 

 

hideさんも、まゆ姉も

みんなが当たり前のようにネットしている今の時代を

きっと喜ぶだろうな。

今も二人がここにいたら、

どんな新しいことを考えて

どんなとびきりのいたずら心と優しさで

周りを幸せな気持ちにさせてくれていたのだろう。

 

二人はいつまでも私の原点。

今日も好きなことをして、

元気にやっていますよ!

 

 

5月2日の朝は、

まゆ姉がいたから生まれたこの曲、

『MISERY』を聴いた。

 

MISERY

MISERY

 

 

 

 

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20年前、hideさんがいなくなってしまった後のツアーパンフの中身をチラリ。

Ja-zoo.ツアー 横浜アリーナ行きました!

懐かしい。チロリンがとても近くまで来てくれた思い出。

奥のグレーはメモリアル的な写真集。

年月により表紙の色が若干変わっている。

 

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これパンフの中身ね。

PCふうのデザイン、超カッコよくないですか。
20年前ですよ!

 

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メモリアル的な写真集の一部。

この写真の影響でジャワティー買ったし、

そういう人は絶対に多いはずだ。

 

それにしても、美しいし 色褪せないな。

ほんとうに。