読まれない手紙、薄れていく痛み。あのユーレイにはもう会えない
先日公開した音楽文の文章を、本当にたくさんの方が読んでくださった。とても嬉しい。
特にSMAPファンの方から温かく美しいコメントを本当にたくさんいただいて、「素敵な文章」「感動しました」「号泣しました」「作家を目指していただきたい」「純粋な人」「心が綺麗」とか、全然違うんですよ!誤解ですよ!特に後半、めちゃめちゃ美化してくださってますよ!なレベルの感想をいただきむしろこちらがすばらしい言葉をありがとうございますと感動している。
いずれいただいたコメントを名前は伏せてきちんと紹介したいなあ。私もこんなふうに人に嬉しい言葉を素直に言える人になろう。
私というよりSMAPとSMAPファンの力がすごいからね。ほんとに。
過去の話だけれど、私の文章をよく褒めてくれた人がいた。私がどうしても言葉が好きでどうしても書くことが好きなことをよく分かってくれていて、そしてだからこそ「言葉にとらわれすぎないように」と心配をしてくれていた。
文章に携わる仕事を「天職だと思うよ」と言ってくれたこともあった。
でも、その人はもう私の近くにはいない。
この文章を読むこともきっとないだろうし、もし目に触れたとしても何のアクションも起こさないと思う。
私も何も報告しないし、冷たいかもしれないけれど「今」ものすごく会いたいわけでもない。
ただ、どこかで元気でいてくれたらいいと思っている。
私の知らないところで元気でいてほしい。そんな存在が、生きている限り生まれてしまうものなのかな。
もらった言葉は無くなることはないけれど、
それにこだわりすぎることもなくなった。
新しい言葉をもらうこともないけれど
私はもう大丈夫みたいだ。
きっと喜んでくれると思う。
でも、もちろん連絡は来ない。することもない。
もうあの人の亡霊のような面影を探さなくても 私は「大丈夫」なのだ。
尊敬する相手が「良い」と言ってくれたことにしか自信を持てなかったあの頃の私。
自分のやりたいことを自分で判断して選ぶ力を、ようやく持てた気がする。
少しだけ切なく、そして誇りを持てた一日だった。
※時差がありますが、10/11に書いた文章を少しアップデートして掲載します。いつかは消すのかな、こういうものは。