かくしごと(空色MIX)

webライターっぽい女のオタク気質ライフ。 ライブレポ、何かの感想、日常、思考整理。まずは素直な文章を。

さよならなんて云えないけど、俺たちに明日はあるから それでも生活を続けるんだ

仲の良い人が急死した。

しばらく連絡がつかず、心配になり

みんなでなんとかして連絡を取ろうと試みた。

 

「大丈夫!?」のメッセージが既読になることは

もう二度とない。

 

 

彼とはしばらく隣の席だった。

音楽やカルチャーにとても詳しい人なので、そして好きなミュージシャンが結構被っていたのもあり

顔を合わせればいつも音楽の話ばかりしていた。

いや、顔を合わせなくても

メッセージでも音楽の話ばかり。

 

小沢健二の一挙一動で盛り上がり、

SMAPの話をしながら未来への夢を見て、

ハロプロひなフェスのチケットをお互い真剣に取りたがり、

岡村ちゃんYUKIの共演に興奮したメッセージをくれた。

 

知り合った当時、彼は24歳だった。

今もなお、未来ある20代だった。

 

今でもその若さが信じられない。

年齢を逆サバ読んでいるのでは、と思うほどの

知識量と音楽愛だった。


突然すぎて若すぎて、早すぎて

とにかく悲しい。

 


信じられないまま、実感のないまま、別れの場に参加した。


彼らしい、音楽にあふれた場所だった。

 

赤いギターや温かい使用感のあるキーボード、黒のコンバースイカット、モフモフした帽子や見覚えのあるメガネが飾られ

バンドマンやNYLON JAPANのモデルのような若い友人たちが集まり

これからお洒落なイベントが始まるのかと錯覚した。

 

 

実感がなかったのに、自分でもびっくりするぐらいに泣いた。

周りもみんな、実感がないのに知らないうちに出てくる涙に戸惑っているように見えた。

立っているのがやっと、という状態を隠さない人もいた。

 

とてもとても認めたくないけれど

現実のことだった。

 


「ニューヨークに来て、僕の映画の音楽を作ってくれましたね」なんて、

(待て待て聞いてないよ?なにその気になる話)と

もっと掘り下げたく、本人に問いたくなるようなメッセージまで流れて。


フェスやプライベートでの楽しそうな写真の数々が出迎え、そして見送ってくれて。

 

これが誕生日会か何かなら良かったと何度も思った。

 

前日にも、色々な写真を集めてみんなで眺めた。

懐かしいね。でもまだまだ、ただの最近だ。

まだまだ話したいことも、聞きたいことも、たくさんあった。

 

誰もが日常の途中だった。

 

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本当にセンスの良い音楽ばかりが流れていた。

イーグルスの『desperado』という曲も、会場で流れた音楽のひとつ。

ご家族の前でよく弾き語って聴かせていた、というエピソードと共に。

初めて知ることが、まだまだたくさんあった。

 

最後に

「彼の音楽のルーツはウルフルズでした」とアナウンスが流れ、

トータス松本さんの楽曲『生まれ変わっても』が会場に響き渡った。


涙でボロボロになった後、

ウルフルズの『笑えれば』が静かに流れた。

 

 

これほど素晴らしいセットリストのライブを、私は知らない。

きっとこれからも知ることはない。

 

 

なんとかして本人に伝えなければならない素晴らしい音楽話なのに

なぜ、本人はもういないのか。

どこにメッセージを送れば届くのだろうか。

 

 

君のお別れ会でのセットリスト、

最高だったよ。

 

 

実はさりげなく、このブログに登場したこともある。

 

 

この小沢健二のライブレポに出てくる「同僚」が、

何を隠そう彼のことだった。

 

偶然同じライブに行くことになり、

偶然席が近いことが発覚し、

その後もさまざまな感想を語り合った。

1万人の光の中、すぐに姿を見つけ笑ってしまったあの日を思い出す。

 

 

最後にやり取りしたメッセージも、やはり小沢健二についてだった。

 

「関係ないけど、今日小沢くんの歌詞T着てるよ」

「めちゃいいですね!歌詞T!ちなみに曲は?w」

「ラブリーだよ!」

「ラブリー!武道館のときのTシャツ、ラブリーが一番よかったすよね」


「てか、最近小沢くんが昼間にツイートしたりするの、日本で普通にいま生活してんだなーって感じしてなんかよいですよね」

「早くアルバム…とも同時に思いますがw」

 


まだアルバム出ていないのに、何をやっているのか。

 


会話を遡ると、こんなメッセージもあった。


「ひなフェス諦め、フジロックに集中します」

フジロック今年は行きます」

 

「まじか!乾杯しよう!」


もう少しで、本当にあとほんの少しでフジロックなのに、

あの子は一体何をやっているのか。

 

 

きっといま本人と会話できたら、

 

「あああ」

「お騒がせしてすみません!

   なんか僕、死んじゃいましたw」

 

「全然実感ないですよね。ぼくもですw」

 

フジロック前に何やってんだろ」

 

「てか小沢くんのアルバム」

「出たら感想教えてもらってもいいですか?」

 

「こんなお願いですみません」

 

とか連投してくるのだろうなと思う。

 

安心してくれ。必ず教えるからさ。

 

 

本当にこれまでで一番のお騒がせ案件だよ。

何やってるの。

寂しいよ。

 

 

最近は席も離れ、以前ほど頻繁に会話できていなかった。


それでも何かあるごとに、

「◯◯さーん」と、名前の呼びかけがセットになったメッセージをくれた。


あるとき発生した指名制の発表会では、誰もが下を向く中

恐らく「なんか指名しても気まずくならない相手」として「うーん、◯◯さんで!」と無邪気に私を選んだりもした。

なんとなく、来る予感はしていたから

「え!」と言いながらも予定調和で

楽しかったよ。

 

彼がスマートフォンで「くるり」の音楽を聴いた履歴が

ひょんなことから社内の大画面に映し出されて

みんなで「このとき、くるり聴いてたんだねー」なんて笑った日々は

ついこの前のことだ。

 


「◯◯さんとSMAPの話とか色々できて楽しいです」

そうニコニコしながら話してくれたことを

昨日の、いや、数分前のことのように思い出す。

 

 

お昼どきにすれ違い、手を振って挨拶を交わして


「あ、久々にごはん行きたいな」

「落ち着いたら誘おうっと」

そう思ったのは先月のことだった。

 

自分の精神状態が良くなくて、

誘うのを先延ばしにした。

 

とても後悔している。

 

本人も忙しかったと思うし、日常にどこまで踏み込んでいいのか分からなかったけれど

それは言い訳。

色々なことが重なって、以前よりちゃんと話せていなかった。

後悔してもしきれない。

 

 

彼の訃報を耳にした瞬間、

自分に最近起こっていた辛いことや痛み、

その全てがどうでもよくなった。

 

全てが帳消しになるほど悲しく、

生きていかなければいけないと思った。


生きていればそれなりに

未来は不安だし、悲しいことも

きっとまだまだたくさんある。


それでも、

生きていかなければならないとはっきり思えたし

生きていてくれればいいと思った。

 

そして、

思ったことを先延ばしにしてはいけないのだと


「後で」のサプライズほど

不安定なものはないのだと。

 

今をしっかり、

どんな状態でもいいから、素直に生きていこう。

 

そう誓った。誓わざるを得なかった。

 

ありがとう。

 

 

数分先の世界が変わっていいのかと

実感しながら素直に生きていくのは

もちろんつらいけど

悔いのないように、私は、私たちは

正直な気持ちを伝え続けていかなければいけないのだと思う。

 

近々ごはんでもいこうよ、って

あなたと話がしたいんだよって

すぐその場で言わないといけないんだよ。

 

 

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冗談きついな、と思いながら

この曲を繰り返し聴いている。

 

偶然同じ日に参加したライブ。

あのとき小沢健二は「生活へ還ろう」と言った。

 

どんなことがあっても生活は続く。

悲しくても不安でも、それでも続けていく。

 

誰かがいなくなることで妙な覚悟が生まれるのは

とても悲しいことだから

みんなが生きているときに

そういうことに気がつける人生を送りたい。

 

そうしていかなければならない。

 

 

写真を探したけれど、

本人に許可を得ていない「におわせ」みたいな写真しか出てこなかった。

もっと許可を得てガンガンいろんな写真を撮っておけばよかった。

 

初めて一緒にランチしたときの写真も出てきた。

(相変わらずの、謎のにおわせでしたが…)

 

「いつもここに来ちゃうんですよね。色々開拓したいんですけどねえ」

 

そうあの子が話すのを聞きながら、

彼行きつけのレトロな喫茶店でハヤシライスを食べた思い出がよみがえる。

あのときも音楽の話や、それ以外の話をたくさんした。

 

ああ、本当に

楽しかったな。

 

来週はあのお店で、久々にハヤシライスを食べようと思う。

時が止まったようなあのお店は、

きっと記憶も鮮やかに 時を止めていてくれる。

 

 

休日、表参道のマクドナルドで遭遇したこともあった。

入った瞬間、違和感なく当たり前のようにその子がいて

休憩時間みたいだなと笑ってしまった。


あまりに普通の光景だったので、

特にそのあと行動を共にすることもなく

じゃあまたね、って感じだった。

 

もっともっと呼び止めて、話をすればよかったなあ。

まだまだ。

たくさん。

 

 

お別れの場で、こっそり本人に向かって

小沢健二のアルバム出たら教えるからね!」

と伝えておいた。

届いていると信じている。


ご両親にも、どうしても伝えたくて


小沢健二さんのアルバムを楽しみにされていたので、発売された際は、ぜひ(彼と一緒に)、聴いてあげてください…」


何度も声を詰まらせてしまったし、エゴかもしれないけれど、なんとか言えた。


ご両親へ伝えたいことの半分も伝えきれず、自分の語彙力のヘボさに落ち込んだが

彼の足あとが少しでもご家族の中に、

みんなの中に増えたらいいなと思う。

 


本当に突然だったんだ。

全てが普通の日常だった。

本人すらも気づいていないかもしれない。

 

せめて苦しまずに、穏やかな最期だったことを願う。

 

 

正直まだ悲しみからは抜け出せないけれど

未来は待ってくれない。

あの子の分まで元気にならないと、と思う。

 

 

ていうか……ジャニーさんと同時期って、ある意味すごいなあ。

SMAP木村拓哉新しい地図のさまざまなニュースに、テンション上がったメッセージをくれたことや

カウコンに行きたいと真剣に語っていた姿を思い出す。

 

 

「なんか気分よくて、SMAPの『俺たちに明日はある』を聴きながら帰宅中です」

 

 

そう言ってくれたのはつい数ヶ月前のこと。

 

君にもまだまだ、「明日」はあるはずだろう。

 

 

ジャニーさんに、たくさんSMAPの裏話を聞いてほしい。

向こうでも音楽漬け間違いなしだね。

ジャニーさん、よろしく頼みます(誰ポジション)。

 


今年の夏について、フジロックについて、

最近ハマってる音楽、気になるニューヨークの映画の話、……………………

 

楽しい話はもちろんだけれど

 

見せてはいけないと思っていた、

探りすぎてはいけないと思っていた

プライベートな話も

もっともっとしていきたかったな。

 

 

いなくなると、より一層

「いる」ことを実感するから

その人はいなくならないのだと思う。

 


これからも、伝えたいことがあれば

チャットでもするかのように

自然に話しかけるのだろう。

 

「心の中にいる」なんて、きれいごとだと思った時期もあった。


でも、きっと

ぜんぶ本当のこと。

 

 

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生まれ変わる暇もないぐらいに、

ずっと憶えていくよ。

 


またね、そして

これからもずっとよろしく。