かくしごと(空色MIX)

webライターっぽい女のオタク気質ライフ。 ライブレポ、何かの感想、日常、思考整理。まずは素直な文章を。

【映画感想】『ボヘミアン・ラプソディ』を2回観て泣きすぎた。私はクイーンの音楽を少し誤解していたのかもしれない

映画館であんなにずっと泣いていたのは初めてかもしれない……。

 

11月のある時期から、いろんな人のインスタストーリーでこの紫と橙に染まった写真を見かけるようになった。

 

f:id:megumirai_words:20181204005224j:image

 

本当に一日で何人かぶった?ってぐらいみんな同じような投稿素材を使用して(?)

しかもみんな示し合わせたかのように「最高」しか言わないんだよ。

素材も同じなら感想も同じとは、足並み揃えすぎだろう。

 

クイーンのファンが興奮しながらそう話すなら分かるのだが

クイーンをあまり知らない年下たちが力説しているのを聞いて

ただごとではないと思った。

 

「絶っっ対に映画館で観たほうがいいです」

 

ならば行こう。

 

え?観た感想?

最高としか言えないですね。

(テンプレマシーン発動するしかない)

いやー…ちょっと自分でも引くぐらい泣いた。

観終わってすぐ「これは3回観ねばなるまい」

と思ったので翌週に2回目行きました。

多分もう1回行きます。

 

一度目は映画であることを忘れ、完全に「ライブ」を観て泣いていたし

二度目はもはや冒頭から全編通して泣いていた。

ラスト21分は勿論、そこに行き着くまでの何気ないシーンや猫の表情すら(この映画は猫をとても可愛く綺麗に映すと思う)泣けて泣けて、勘弁してくれ。

手に持ったビールもすっかりぬるくなっていた。


私はクイーンの熱心なファンではなかったが、クイーンのすごさを「全く知らない」わけでもなかった。

好きなミュージシャンにはMIKAやJellyfish、最近ではビッケブランカといったどう考えてもクイーンをリスペクトしていることを隠さない人が多いし

10年以上前だが『We Will Rock You』のミュージカルを観に行ったこともあるし

何なら数年前のサマソニで本物の彼らのことだって観ている。

フレディとジョンはその場にはいなかったけれども、伝説のバンドを目撃した観客の興奮と熱狂は私を含めて現代でも変わらなかったように思う。

 

正直クイーンが最高なことを多少知っていたら感動が薄れてしまうのか、と邪推もしたのだ。

「彼らをよく知らなかった人たちの最高」より新鮮には受け止められないのではないかと。

しかしそんなことは一切なかった。

 

時系列や史実と違う点が含まれることも把握はしているが、それを知ってもなお感動が残った。

全て忠実に再現するのが本来の正しさなのかもしれないが、有名な彼らのエピソードと晩年の事実、そして伝説のライブの感動を2時間で『作品』として見せるのであれば、あの描き方はそれほど非難の対象にはならないような気がする。

あくまで個人的に、だけれど。


きっとそれ以上に、スタッフとキャストの意地とオタク魂を感じられたからだと思う。

だってさ、靴下に至るまで当時を再現することにこだわったって……

メンバーの頭のてっぺんからつま先まで、さらにはライブスタッフや観客の服装(肩車されている水着姿のような女性も再現されてるよね?)、ピアノの上のコップまで再現しようとするオタク映画が

受け入れられないはずがないと思うのだ。

全く、どこのウルトラガチオタだ。

※靴下の話はこちらに載っています

“この作品は当然のごとく、あらゆる点で本物です”:映画『ボヘミアン・ラプソディ』に協力した人物が語る

 

妥協を許さずリスペクトを忘れない、そんなオタクが私は大好きなのだ。

 

つーか、なんなんだ。キャストみんな素晴らしすぎるだろ。

おいおい、ロジャー・テイラー可愛すぎか?

ブライアン・メイとジョン・ディーコンは本人か?

それに全く、フレディのお調子者だったり弱かったり、愛したい愛してほしいときの寂しい目をこんなに繊細に伝えて……

現代にフレディ推しを増やすつもりか?

勘弁してほしい。フレディがまるで今この瞬間にも生きていて

どんなツイートをするのかな?とか

どんな人がストーリーに写っているのかな?とか考えて楽しくなってしまうから。

 

「フレディは幸せだった?」クイーン映画の問い 移民・差別・家族… - withnews(ウィズニュース)

この記事によると、主演のラミ・マレックが役作りに要した時間は「一年余り」だったという。

役者という職業は何て素晴らしく、何て恐ろしいものなのだろうと

尊敬を通り越し畏怖の念を覚えた。

 

音楽?社会派?愛?友情?

この映画は複雑な話をさらりと並列に扱う。

彼らにとってはそのどれもが並列な日常だったからなのだろうけれど

同時に全てが音楽に結びつき、音楽に還っていく感じがした。

喧嘩しても孤独になっても

最後には音楽が繋いでくれるような。

どんなときも音楽になら心を許せたのか、

はたまた、その逆なのか。

音楽が繋いで狂わせて、また繋ぐ。

綺麗ごとも含まれるかもしれないが

彼と彼らが、音楽と人を愛した記録みたいな作品だと思ってしまった。

 

そして、メアリーは本当に稀有な存在だと思う。

この映画がなかったら、彼女という理解者が彼の近くにいたことをずっと知らないままだったかもしれないのか。

フレディにもメアリーにも謝りたい。そんな複雑に素敵な関係、もっと早く知りたかった。

 

きっと難しいことを難しいまま考えなくていいし、白黒だけではないはずなのだ。

たとえ孤独を感じたとしても、いつも彼と彼ら、そして彼と彼女の中には「青春」が残っていたのではないか。

そう、映画を最後まで観ても、偉大な彼らが「結局いつでも青春している」と思えて仕方がなかったのはなぜなのだろう。

 

絶望的な状況でも全てが黒になるわけではなく、ふとした瞬間に彼の中に心癒される出来事があったなら少しは救われるし、きっと「あったのだろう」と思えてしまう。

そんな想像をしてしまうぐらい余韻の続く作品、ということなのかもしれない。

 

私がクイーンのすごさを知りながらもハマりきれなかった理由は、その音楽にあまりに精巧な、出来すぎたイメージがあったからかもしれないと思っている。

なんていうか、上手すぎて架空の存在みたいなのだ。

フレディの声は綺麗すぎて、実在する人物やバンドではなく、本や漫画の中の人なのではと誤解してしまいそうになる。

 

でも今回の映画を観て、彼らも生身の「青春している『人間くさい誰か』のひとり」であることが実感できた気がしている。

決して身近ではなく、もちろん伝説なのだけれど

さまざまな楽曲を再生するたびに、「あ、ワイワイしていた頃の彼らかな」とか「レコーディング中はどんな出来事があったのだろうな」とか、あの頃の「完ぺきじゃない」彼らの空気がよみがえる気がして嬉しくなるのだ。

音楽のお手本的存在、架空のような気持ちさえ抱いていたクイーンというバンドが、まあ言い方がおかしいけど一気に萌えの対象になったといいますか。

 

Twitterでも、まるで彼らが今まさに精力的に活動している若手バンドなのではと錯覚するほど進行形でクイーンについて語り合う「クイーン専用アカウント」を多数目撃した。

中には10代らしきユーザーもいた。

正直、なぜ「今」彼らにそこまでハマることができるのだろうと不思議に思ったこともあった。

 

10代ならきっと、毎日マメにSNSを更新してくれる、すぐにインスタライブやツイキャスをしてくれる、自分の今を伝えて毎日に寄り添ってくれる「同世代の有名な誰か」がたくさんいるのではないか。

そんな選択も出会いもありすぎる今の時代に、敢えて「今は形を変えたバンド」にハマるのはなぜなのだろうと純粋な疑問が生まれていた。

 

その専用アカウントユーザーたちの気持ちが、今なら何となく分かる。

今を共有できる存在だけが「誰かの今」を作っているわけではないのだ。

音楽、写真、映像、言葉、誰かとの記憶。

足あとがあればそれはいつでもタイムマシンになるし、素晴らしさに時代は関係ないのだと改めて思う。

考えてみれば、私も亡くなって20年近く経つhideさんが今でも大好きだし

メンバーみんな元気でいてくれているけれども今は全員ではグループ活動をしていない(前置き長くてごめん)SMAPのことだって進行形で大好きだ。

それと同じ話なのだな。新しい世代のファンたちのおかげで、また一気にクイーンの世界を身近に感じられる気になった。

 

まばゆい天才たちによる、意外と泥くさい(?)人間味のある人生を

現代にこんなに素敵な方法で伝えてくれた関係者に感謝したい。

ライブ・エイドの観客でいる気分を体験させてくれて本当にありがとう!!


そして何より、時代をすぐに飛び越えてしまうクイーンの音楽とステージに

未来の日本から最大ボリュームの拍手を贈らせてほしい。

実際に私が行った映画館ではエンドロール後に拍手が起こっていて、さらに泣けた。

 

ちなみに……ライブを観ている観客たちの表情と興奮も本当に素晴らしく臨場感があって、もうあれは全て本物では?と思ったぐらいに胸を打たれっぱなしでした。

涙を拭う観客たちを観てさらに泣く私。

私もライブを観ながら泣いてしまうタイプなので、なんとなく自分と重ね合わせたりもして。

 

ライブってさ、ステージだけじゃなく観客の景色も最高なんだよ。

みんな本当にキラキラした笑顔で心の底から楽しんだり感動しているのが手に取るように分かって、ライブに行くと人をもっと好きになって帰ってくる。

ライブを観ることが好きな理由は、私の場合多分それも大きく関係している。

ステージの上のスターはもちろん、同じ空間にいるファンの姿を見ることが好きなのだ。

そもそも全く別の人生を過ごしているのにあんなに一度に多くの人が同じ場所で同じものを観て、同じ瞬間に泣いたり笑ったりしているなんて、軽い奇跡だよね…書きながら改めて感じたわ。

 

ライブ・エイドを生で観た人は生涯自慢したほうがいいよね。

とっくにしているだろうけど。

 

 

「今の時代なら、“彼”も もっと生きやすいのだろうか?」

夜中にふと考えたりもした。

 

でもこのバンドが生まれたから救われた「あの時代の人たち」もきっとたくさんいるのだから

タラレバはやめておこうと思う。


あと、本編の最後にフレディが観客に伝えた言葉。

あの言葉が私の中では全てだ、と思ったのだが

実際のライブでも言っているんだね。

本当にその言葉を聞けて良かった。

 

【余談&少しネタバレを含む話】

f:id:megumirai_words:20181205002957j:image

感動と勉強の意味を込めてパンフレットを購入したのだが、東郷かおる子さんのインタビューも入っていて嬉しかったです。まだ全ページは読めていないのだけど、かおる子さんの部分は全て読んだ。

 

映画を観る前に、「クイーンは実は日本でめちゃくちゃ人気が出てから世界での人気を確立した逆輸入現象バンドでもある」こと、そして「日本でのブレイクの火付け役とも言えたのは、クイーンの魅力にいち早く気がつき熱心にプッシュした『ミュージック・ライフ』という音楽雑誌」

……というところまでは調べていたのだが(間違っていたら突っ込んでください)、東郷かおる子さんはその雑誌の元編集長なのですよね。

こちらが参考。

Queenが衝撃受けた日本のファン 「違う惑星に来たのかと思った」 - ライブドアニュース

そういえば映画では日本の話あまり出てこなかったなあ……と思ったけれど、上記のインタビューなどを読み「そういうことか」と納得しました。

そりゃ、予算は「あのライブシーン」がかっさらっていくよなあと。

 

東郷かおる子さんの記事はネットにいくつもあって、クイーンとの貴重なエピソードが出てくるわ出てくるわ。

すごいなあすごいなあと読み進めてしまうわけだが、インタビュー途中でちょいちょい女性ファンについての見解が出てくることにも私は注目している。

 

え、どんなって?

女の人は誤解されている。顔だけでファンになるわけじゃない、的な話なんですけどね……

……それ、ほんと個人的にですけど「そうなんだよ!!!!!」とぶんぶん頷きたくなってしまうのですよ。

パンフレットでもその話が出てきたから、きっとかおる子さんの中でもよっぽど力説したい案件なのだろう。

 

ほら、こっちの記事だと冒頭で太字にまでなっているからね!

Special Interview 元『ミュージック・ライフ』編集長 東郷かおる子 | NEWS | MUSIC LIFE CLUB

 

女性ファンは誤解されていると思う。

顔が可愛いだけだったら別に好きじゃないのよ。

可愛くて、才能があって、かっこよくて、良い音楽だから好きなの

(上記記事より)

 

いや、ほんと、そうなんだよ……!!少なくとも……私はね……?

でもなかなか信じてもらえないことも分かってる…分かってるから……。

 

とにかくボヘミアン・ラプソディは最高でした。

たまたま私の周囲ではみんなが同じ感想だったけれど

観る人それぞれ違う解釈があって当然なので、最高!じゃない人もいるかもしれない。

ただ、少しでも気になったら観て損はないはず。

特別クイーンファンではなかった私が「こうなる」ことからも察してほしい。

(ただ、性的マイノリティのくだりがどうしても受け付けないと感じる方は避けたほうが良いかも。それぐらい自然にいろいろ描いているので)

 

彼らの音楽に限らず、音楽というジャンル自体にそれほど詳しくない方や興味のない方が観てもきっと何か感じる作品にはなっていると思うし

音楽やライブが好きな人なら、なおさら大音量と大スクリーンの映画館で「あの体験」を味わうことをおすすめします。

 

しっかし本当にキャスト、似ているなあ……顔だけに限らずね。畏怖の念!