泣きながら笑い出し嬉しい!と何度も叫ぶ暮らしがしたい(スピッツの歌詞は人生観をゆさぶる)
一時期、というかかなり長い間、SNSのプロフィールに今日のタイトルのようなテキストを入れていた。
泣きながら笑い出し嬉しい!と何度も叫ぶ生活に憧れる。とか。
知らない人が見たらなんだ?どうした?となるかもしれないが、これはスピッツ『歩き出せ、クローバー』の歌詞の一節である。
『泣きながら笑い出し「嬉しい!」と何度も叫び』
長らく私はこの歌詞が…大げさかもしれないけど人生の歓びのすべてなのではとさえ思っている。もはや座右の銘(?)かもしれない。
だって、この歌詞ちょっとドラマチックがすぎないか。想像してみてほしい、この歌詞の状況を。
泣きながら笑い出すって、その時点で相当感情が昂っている。この主人公に何が起きたのかとても気になる。歌詞はその後「寝ころがって眺めた君のカード胸にあてる」と続くのでおそらく「君」に関してとても嬉しいことがあったのだと思うけれど、だとしてもどんなことなのだろう。想いが通じたのか、それともただ好きなだけでその気持ちになれるのか。
この歌詞の一節だけで、嘘みたいに輝く太陽と、緑が青く感じられるほど美しい芝生が浮かぶ。晴れた日に、その芝生の上で寝ころんで歓びをかみしめているのだなと想像する。それって人生の最高の瞬間じゃないのか。
私はずっとこの体験がしたい。
ものすごく嬉しいときに涙を流すこともあるけれど、そのあと笑い出して嬉しい!と何度も叫んだことはまだない。
このぐらい感情を全身で表現できるぐらいの歓びに出会ってみたくなる。そしてその歓びを知った自分を見てみたい。本当に何度も叫びたくなるかもしれない。まるで映画だ。でもそれはスピッツの世界。
けれど同時に知っているんだ。今あるものがなくなってしまって、それがまた手に入るとしたら
私はこの歌詞の登場人物と同じぐらいに歓ぶのだろうなと。
たとえばもう物理的に会えなくなってしまった誰かに会えたら、自動的にそんな気持ちになるだろう。
ふるえるほど涙を流さなくても 泣きながら笑い出さなくても 今の生活が何十年も後には憧れの対象で宝物になっている。
そう考えると、私の願いはあるようでないものなのかもしれない。
ちなみに歌詞はそこから先、クライマックスに差し掛かるにつれてさらに人生観をゆさぶられるものになっていく。
少し引用する。
だんだん解ってきたのさ
見えない場所で作られた 波に削りとられていく命が
混沌の色に憧れ 完全に違う形で
消えかけた獣の道を歩いて行く
深すぎて何度反芻しても理解がしきれないし(disってるわけではない)、主人公が「だんだん解ったこと」がそもそも難解というか儚いというか、やっぱり「こちらはまだ全然解らないんですけど…」と何度も突っ込みを入れたくなるのだが、生きている間にこの歌詞のような何かを解ってみたいと思う。
草野マサムネが描くこの歌詞の世界観は、私の人生観をふしぎにゆさぶり 生きていく上で大切にしたいことや忘れたくないことをそっと教えてくれている。
彼の歌詞はいつでもすばらしいけれど、この『歩き出せ、クローバー』はちょっと私の中で例外というか特別である。
そもそもこの曲が収録されたアルバム『ハチミツ』は全体的に研ぎ澄まされすぎているというか天才というか、他の曲の歌詞もとても良い。良すぎる。草野マサムネの才能にめまいがしそうになる。
ハチミツで言えば『愛のことば』の歌詞も大好きだ。こちらも深い。深すぎて意味が解らなくて、草野マサムネの息をするような文学性に朝から酔いそうになる。そんなところが最高に好きだ。ただクローバーはどの立ち位置とも違う。人生の明るさを夢見て信じていたくなるような根拠のない希望の歌であり、明るすぎて泣きたくなるような切ない、でもやはり歓びの歌なのだ。私にとっては。
嘘みたいに晴れた日に公園でこの曲を聴いたら、それだけで。
いつかライブで聴けたらいいな。考えてみたら聴けたことがないんだ。
通勤電車の中で書いた。
朝、急にこの歌詞の一節が思い浮かんだので
今日はクローバーを聴いて一日を始めます。曇っていても、雨が降っても。