かくしごと(空色MIX)

webライターっぽい女のオタク気質ライフ。 ライブレポ、何かの感想、日常、思考整理。まずは素直な文章を。

疲れた時には孤独になれ(クレッシェンド・デミネンド)

ずいぶん久しぶりの日記になってしまいましたが……生きてます(生存報告)!

ここしばらく自分の中で新しくチャレンジしていることがあって、そのチャレンジに集中しないと自分のプライベートな文章に向き合えなさそうだったので

ブログ書きたい。ブログ書きたい。

と思いながらもずっと書けずにいました。

近いうちにまたその話の続きになりそうな報告をするかもしれないので、そのときはまたよろしくお願いします。

「最近更新されないね」
と言ってくれた某人物も、ありがとう。笑

 

近頃はやはり師走で、いそがしい。

いそがしい、とあまり言いたくはないし、もーっといそがしい人はごまんといるけれど

自分比で、バタバタしている。

いそがしいことはありがたいこと。

そのいそがしさを、「いそがしいから仕方がない」と甘える怠ける手段に使ってはいけないんだよな。

いそがしいから、と雑になりすぎると心が荒む。

単に要領がつかめていないから時間がかかっているだけのことも、あるかもしれないし。

時間のかけ方や密度について 最近よく考えている。

 

 

体温計が見当たらず、計測できていないのだけれど 

少しだけ熱があるのかもしれない。

頭がいたい。気圧もありそうだけれど、少し風邪をひいているのかもしれない。

栄養ドリンクを飲んで備えたけれど、時遅しか。

だから今日は念のため一日中部屋に篭っていて、夕方までほぼ寝ていた。

寝すぎた後はりんごを齧りながら楽しいことや特にそうでもないことを考えている。

これを書いたら、たぶんまた寝る。

「書かずに寝ろよ」という声が聞こえてきそうではあるが、いま書かないと忘れてしまいそうな気持ちがあるから そこは目を瞑ってほしい。

 

 

部屋に篭っていたらある曲を聴きたくなった。

エレファントカシマシの『クレッシェンド・デミネンド』。

さっそく枕元のiPhoneから再生すると、何度も聴いている曲なのに涙がこぼれた。

体がいつもより弱っていると、心も弱い部分を隠せなくなるのだろう。

正直に話すと、いま、少し心が混乱しているから。

 

この曲の歌詞がとても好きなんだ。

特に好きなフレーズは、「疲れた時には孤独になれ」の部分。

というか、この「疲れた時には孤独になれ」を聴きたくて再生した。

文字通り疲れが溜まったときや、喧騒や華やぎから逃れて一人になりたいとき 私は決まってこのフレーズを思い出す。

孤独になる時があってもいいんだな、と感じてホッとする。

篭っている自分を見つけると嫌になっちゃうけど、そんな自分も肯定したいな、なんてときに聴きたくなるのだ。

 

歩いていたら、走っていたら、そりゃあ、疲れることもあるし

殻に篭ろうとするときもある。

篭ると大抵、落ちるところまで落ちる。

それは長年自分を見てきて把握している部分。

「ネクラとネアカが混在しているんだ」

昨日、ある人にこんな話をしたけれど

その人物も「分かる気がする」と笑っていた。

 

「感じるべきなんだ ココロの奥の真実の声を」

 

宮本浩次は孤独をすすめる理由についてこう語る。

私はまたホッとする。

 

自分の心を肯定してくれる歌があるのは、とても貴重だ。

多くの場合、それは「淀んだ自分の心」とも言い換えられる。

何かきっかけがあって悲しい気持ちになったり、イライラしてしまったり、疑ってしまったり、恥ずかしくなったり。

生活していれば、もちろん起こることは楽しいことばかりではない。

心が淀んでしまって、だけどそんな自分を晒したくなくて

だけどそんな心を吐き出さないと、認めないと、余計にツラくなる時だってある。

 

大抵、淀んでしまったあとは浮上するからそんなに心配はいらない。これも長年の経験で少しは解ってきたこと。

そして、淀んで淀みきったあとに私が感じることは 意外と明るくて単純な自分の心と 「人を疑いきれない」「嫌になりきれない」気持ち。 

 

心の淀みを奥深くまで紐解くと、自分が思ったより人を好きなことに気がつく。

誰かに気がついてほしい、気にしてほしい、解ってほしい、こんな気持ちには気がつかれたくない。

だから言わない。

自分の心の混乱から人を攻撃しそうになってしまうときがある。

そんなときは、無口になる。

言わないことで「心を開いてくれない」と人を傷つけたことも、もしかしたらあるのかもしれないし

確かにそれは自分を守りたいためでもあるのだろうけれど、

どうしても、不用意にその矛先を相手に向けることをしたくないのだ。

淀んでいるときの私は重いから。

なるべくなら、気がつかれたくない。

だから篭る。

めんどくさいやつだな、とも思うけれど。

 

重いときも軽いときも、疲れたときもそうじゃないときも。

いいときもそうじゃないときもいろんな人を好きでいられることがいちばん素敵だと思う。

もちろん自分自身のことも。

そういう世界に行きたくて、たまにもがいている。

どちらの自分もきっと存在していていいはずだから。

見つめて認めて、また歩き出せばいい。

 

 

『クレッシェンド・デミネンド』の歌詞には続きがある。

私がこの曲をとても好きな理由は、孤独を肯定しているから、だけではない。

 

「やめるな、戦え、もう一度出かけてゆけ」

「時を越えてゆくために休め」

「静寂の部屋に篭もりいて もう一度出かけてゆけ」

 

孤独になる理由は、また戦うため。

また出かけてゆくため。

「疲れた時には孤独になれ」

それはずっと孤独の殻に閉じこもれという教えではなくて、「時を越えてゆくために休む」ことが必要だ、という教えなのだ。

「静寂の部屋に篭もりいて もう一度出かけてゆけ」で結ぶ宮本さんがとても好きだ。

そして、私もそんな心でいたいと思う。

 

この歌はたぶん、ずっと特別。

もう一度出かけてゆくために、また、少し眠ろう。

 

クレッシェンド・デミネンド-陽気なる逃亡者たる君へ- - エレファントカシマシ - 歌詞 : 歌ネット