三十七なり。オレの青春は終わったと歌った宮本浩次に想いを馳せた夏だった
自分はどうやら感受性が強いほうなのかもしれないと改めて思う。30代も板につきすぎた段階になっても水を飲むかのように気軽に泣く。
それも悲しいことがあるわけではなく、たとえば音楽を聴いたりドラマを観たり、何気ない日常を送っているときにふっと「何十年後はこの日常はない」と気づいたりしたときに。
犬と猫に、長生きしてね、なんて話しかけるともうだめだ。一番下の猫はまだ1歳にもなっていないのに(そう!またやってきました子猫が)そのときを想像して泣いてしまう。
もちろんライブやコンサートと言った生のイベントでも泣きやすく、歌ってほしかった曲が演奏されるときはぼろぼろ涙をこぼしながら放心状態で観ていたりする。みんなステージを観ているはずだから多分大丈夫と信じて。
誰かのSNS、特に身内やペットに関する投稿(それも亡くなったり病気の話ではなく、「最近は年齢を感じて、でも歳を重ねた姿を見られるのも愛おしい」と言ったような日常への感謝と老いへの寂しさを呟いたようなものに対して)を見ても気がついたら泣いている。
思えば昔から、何かを感じると電車の中だろうが道を歩いている途中だろうが泣いている。
涙は出るものだから当たり前だと少しは思いつつ、少し「自分はおかしいのかもしれない」と心配になったことも。
あ、ちなみに誰かがいるときは自分が泣いているとバレたくなくて自制が働くようで特に身内には不自然なほど全然涙は見せない傾向があったけれども、その反動かひとりでいるときは簡単に泣く。
この夏はエレカシの『覚醒(オマエに言った)』を聴きながら電車でいつのまにか泣いていた。
30半ばの想いを歌った歌詞に自分を照らし合わせたのだろう。
この曲は宮本さん自身が37歳のときにおそらく作られたもので、歌詞には37歳が「青春の終わった」年齢として登場する。
ああ、そうなんだな、37歳はもう大人なんだったなと思う。当たり前なのだけれど、大人どころかたぶんそれ以上に。
「ひとりでいる時には様々なことを考えようとしている」
この一節もずっとずっと好きで 印象深い。
何かがあると思い出す。
そう、私もそうしたいんだよ。ずっと考えていたいんだから、というように 頭から離れてくれない。
思っていたより遠くにきてしまったなあと、この少し晴れない鬱々とした気持ちを
彼は代弁してくれているように感じる。
全体的にこの頃の宮本さんの楽曲と姿勢は「闇の中でもがいている」印象が強かった。
しぼりだすような鬼気迫る雰囲気もあれば、諦めたり出口が見えないような空気も。
35歳独身、と歌詞に入っている曲もあるし、なんとなく40代に入って俺たちの明日と笑顔の未来へをリリースする前までは
ずっと八方塞がりの焦燥感、トンネルの中にいたような印象を抱いている。
『扉』や『扉の向こう』の凄みはその真髄ではと。
もうきっと彼にも出せない、あの30代特有の空気。
彼は40代になってから急に抜けたというか、明るくなったように感じる。
もう一度大人を楽しむ、音楽を楽しめるようになったのだなと勝手に想像する。
私がファンになったのは宮本さんが42歳の頃だった。その頃の宮本さんはもう明るさに手招きされていて、そっちに行っていいんですか?一回行ってみますよ?な感じで、すこんと晴れやかさを背負っていた、ように見えた。
とても憧れて、42歳が少し待ち遠しくなった。
35歳はいい。36、7から40じゃないかなと、個人的に感じている。
昔、30代だった頃の川上未映子さんとの対談で宮本さんが彼女のことを「中猫」と表現したことを覚えている。
子猫でも大きな猫でもない、中猫。
中猫の自分をもっと観察していくといい。
エレカシの歴史に助けてもらえるのに、なぜか渦中になると 忘れてしまうなんて。
なぜ一定数の人が、その年齢で八方塞がりな想いを抱くのか。理由はいろいろあるにしても
それも歴史になっていくから 研究だと思えばいいのかもしれないなと。
とにかく、30代のリアルな心情を知りたい人はエレファントカシマシの『俺の道』と『LIFE』それから『扉』のアルバムを聴けばきっとなんとなく、分かるから。
『風』は扉とあまりリリース時期に差はないのに爽やかなので、ここには一旦入れていない。
扉も風も好きなアルバムなのだけれど、ある意味器用な人だよな、と思う。あんなにテイストの違う、根本は同じだけれどもテイストの違う作品を短いスパンで届けてくれる。
これから40代、50代になれてもその時代にはまたその年齢のエレカシと宮本浩次を追って、重ね合わせたり答え合わせしたりできる。
それが贅沢なのも知っているから、歴史を辿れる=歳を重ねることが楽しみなのも やはり本当なのである。
いくつになっても楽しみは残る、いや、やってくるのだ。