推しが引退を決めた日
20年は見てきた私の(もちろん多くの人の)スーパースター、MotoGPライダーかつ9度の世界王者、バレンティーノ・ロッシが今季限りでの引退を表明した。
42歳。
いつかはこの日が来ると分かっていたけれど、生ける伝説ロッシならまだまだ続けてくれるのではと思っていたかったし、それはたとえファンならずとも多少なりとも─思っていた、と言うより「思っていたかった」人はいたのではと感じてしまう。
少なくともレースを観続けてきた人にとっては。
なんたって26年間ロードレース世界選手権に出続けているのだから。
赤ちゃんだった子がまあまあ慣れたMotoGPライダーになってしまうぐらいの年月のあいだ、ずっとレースに参加し続けている彼(もちろん最年長)が、ついにその世界を去る。
もうとっくに偉業は達成しているし巨額の富も名声もあるので、彼がレースを続けるのは、過去ではなく「いま」まだまだ勝ちたい気持ちに加え
楽しいから、情熱やモチベーションがあるからだと思っていた。
勝てなくなった。それはシンプルな理由ではあっても、
何よりモチベーションが切れたら、楽しいと思えなくなったら彼は自分からやめてしまうのかなと
とても恐れていた。
では、いま、実際に切れたのか?
楽しくなくなったのか?
そうではない気もする。
もっと複雑な感情、実際はきっとまだ楽しさはあって
だけど体が、結果が、よく分からないけれどうまくいかなくなったことを受け入れるしかなかったのかもしれない。
(ファン的にはまだ、マシンやタイヤが違っていれば強さが戻るのでは?と思ってしまうのだけれどね)
やっぱりとても寂しいし涙は出て、ニュースを知った夜中から朝までいろいろなことを考えていた。
でもこの決断と胸の内を知り、引退までの時間を目撃できるのもファンだからこそ与えられた時間。
ずっとスターのドラマに参加させてくれてありがとうと言いたい。
制服のスカート丈をとにかく短くしたかった頃から、父の影響でずっとレースを「ながら見」してはいた。
(2003年、加藤大治郎選手の訃報に大きなショックを受け、お別れの会にも参列した)
だから冒頭で「20年は」と書いたのだけれど、超ライトな時期を含めればもしかしたらそれ以上かもしれない。
なんだか速くて面白いイタリア人がいるなあ、ずっと勝ってるなあ、という印象で
とにかくずっと居ることが、そして勝っていることが当たり前だった。
本格的に、前のめりで応援し始めたのは2004年のヤマハ移籍後に初勝利した頃からだった。
当時、いくらロッシといえどもほぼ確実にすぐには無理だろうと言われていたヤマハでの勝利を
開幕戦であっさり決めたことへの驚きと高揚は、当時10代だった私の心を捉えるには充分な事実だった。
それからは基本的には年中(だいたい隔週で開催されるので)レースのことを気にして過ごして、結果に一喜一憂している。
食事や用事で少し目を離したレースでロッシが転倒してしまったり結果がふるわなかったりすると(絶対にそれは関係ないのだが)「私…ファンなのにしっかりと観ていなかったからでは…」とか願掛け的な気持ちが生まれてしまい、側から見るとテレビを観ているだけなのだがたぶん人が思うよりは真剣に応援していると思う。
(ずっと体勢を変えず体育座りで片時もテレビから目を離さず応援しまくっていたレースでロッシが鮮やかに勝ったりしたので、なんとなくレース中体勢を変えることにも最近まで抵抗があったぐらいだ)
外出よりもテレビのレース観戦を優先させたときもあったし、
日本GPにも何度も足を運んだ。
父や弟が行けないときはひとりでバスツアーに申し込み、もてぎサーキットまで応援に行った。
バイクの免許もなく、専門的な知識もないのに、だ。
速いから、強いから好きなのか?
応援するきっかけになったレースは確かにその速さと強さが満載だった。
でもどうやらそれだけではなかった。
仮にそれだけであれば、ドゥカティで勝てなかった頃や年間の勝利数が下がった頃、台頭してきた他の選手に目がいっても不思議ではなかったはず。
あっさり結果を残す無邪気なロッシの顔も、
結果が伴わず苦しむロッシの顔も、
どちらも応援せずにはいられない。
人自体を好きになってしまったんだよな。
これは賛否あるかもしれないが、スポーツもエンタメも私はまず、人に魅せられるのだと思う。
好きな競技があり、そこから好きな選手を見つける人もいれば
好きな選手や追いたい人物を見つけて、そこから競技自体に興味を持つ人も。
後者はミーハーやにわかとも呼ばれてしまう場合もあるかもしれない。それも分かっている。
でも、才能やスター性のある人の魅力に吸い寄せられて、自分もさまざまな世界を広げられてきたことへの感謝や発見や喜び。
生活の質、QOLって言葉をいつしかよく見るようになったけれど、応援する対象がいるだけで、それだけで 質ってものは確実に向上していく。少なくとも私の場合は精神だけでなく。
スターのおかげで自分の生活も楽しく豊かに満たされる。
その何に対して、誰に対して後ろめたいことがあるのか?
よく考えると、別にない気もしている。
(応援の仕方が過激であったりマナーがない場合については誰かの迷惑になっている可能性もあるし、すべてを許容するわけではない。そのへんはちゃんとしたいよね)
ファン友達という存在はあまりおらず、身内以外には詳しくは話さないけれども
ずっと私がロッシロッシ、イタリアイタリア、と言っていることには気がついている友人もいるかもしれない。というかいるだろう。私はインターネットでよくひとりごとをつぶやくから。
他のスポーツもそうだと思うけれど、年間通して何かしらのレースや試合が行われている競技を応援しているって
改めて考えるととても不思議な感覚なんですよね。
実際の知り合いではないのに、年中彼らの情報がそこにある。
隔週や毎週、競技によっては毎日のように
選手の調子や動向を確認できる。
彼と仲の良い選手やそうではない選手にも詳しくなれば、
恋人がいるとか別れただとか、生まれたお子さんが可愛いとかいうプライベートな情報まで仕入れることができる。
もう全然立場は違うのに、知りすぎて知り合いみたいな気持ちになるんです。
本人の夢の、生活の目撃者にずっとなれるのが
ファンとスターの面白い関係性だと私は勝手に思っている。
ロッシは「2022年から、僕の人生は変わる」と言っていたけれど、
それは同時にファンの生活をも変える。
変えてしまうのだ。
スターならではの宿命で、同時にそれはとても責任重大というか、勇気のいることではないかと想像する。
私たちファンはその準備期間を与えられたから、
その日が来るまでの間は思いっきりMotoGPで走るロッシを応援して、
来年からは彼が不在の生活に慣れないといけない。
(四輪もやってくれそうだし、チームオーナーとしては見られそうなのが救いではあるにしても。)
イタリアGPで走るロッシを現地で観られないであろうことは心残り。
そう、イタリアに行ってロッシを応援するのが私の夢でもあった。
観客席がロッシカラーの黄色で染まるムジェロGPと、ロッシの地元に程近い場所で開催されるサンマリノ。
どちらかは絶対に行きたい、イタリアに行きたい、と何かある度に呪文のようにつぶやいて、
行くだろうと自分でも思っていた。
こんなことは思いたくないにしても、
「まじめにあと数年以内には行かないと、ロッシがいつまでやってくれるか分からないから」。
そうこうしているうちに世界はこんな状況になり、ロッシの人生も変わっていく。
本来であればロッシのこのようなニュースがあれば、日本の旅行会社か他の何かも黙っておらずガチなファンへ向けてイタリアGP応援ツアーが組まれると踏んでいた。たとえ日本全体で言えばマイナーなスポーツだとしても、ツアーに参加するファンは私以外にも確実にいると断言してもいい。
絶対に参加しようと思っていたのに。
でもいつか、さまざまなことが落ち着いたら
絶対にイタリアに行くのだ。
ロッシの故郷タヴッリアでピザを食べたいし、
加藤大治郎さんのDaijiro通りにも行きたいし。
その日を楽しみに、ずっとずっと応援します。
約15年前に出版された自伝の翻訳版。
今は在庫切れみたいですが、写真も割と豊富でファンなら持っていて損はないはず。
数年前に発売された、モンスターのロッシスペシャル缶(もう期限的に飲めないのだけど取ってあります)。
記念的に購入しずっと保管している、ライディングスポーツのロッシ表紙。
左の「王座奪還」した2008年日本GPレースは現地で観た。
当時のブログが興奮を物語っている。
(ヘイデン…ずっと大好きです)
ひとりで応援に行った2014年の日本GP。懐かしい。
バイクに詳しい父が参加できない中、ひとりでツインリンクもてぎのバスツアーに申し込んだ勇気はロッシがくれたもの。
バスで隣の人がマルケスの帽子をかぶっていたのもいい思い出。
(特にバトルにはならなかった。当時はまだ事件が起こる前だったし。意味が分からない方はロッシ マルケス 関係 などで検索を)
こちらは2015年日本GP。黄色に染まるのである。
2007年に新宿で行われたライダー集結イベント。約3000人が集まったらしくすごいことになった。
もちろんロッシ他選手すべて豆粒だったが、思ったよりMotoGPファンいるじゃないか、普段どこに隠れているのだよと嬉しくなったりもした。
面接で聞かれたらこう答えようと思っていつつ、聞かれずにここまで来たので 今ここで。
私の尊敬する人物は、ヒーローは、今も昔もこれからも、このバレンティーノ・ロッシというストイックな天才で努力家の、バイクが大好きなイタリア人ライダーです。
ちなみに。
さまざまな関連記事を読んで、悲しいながらも興味深かったことは
ロッシが自分の人気の秘密とでも言うのか、特別に多くの人を熱狂させられる理由について「それについては本当になぜなのか分からない」と繰り返していたことだった。
それって、ねえ?
本人も分からないのなら、スターとかカリスマって存在が「どうして多くの人を惹きつけるのか」なんて考察をしたところで、それは恋愛と一緒な気がする。
そう。まずはとにかく好きな気持ちに、熱狂する心に
理由なんて必要ないってこと!
(もちろん何らかのきっかけや理由が明確ならばそれもまた人間の面白さ。微妙なニュアンスの違いで申し訳ない)
そして「なぜなのかは分からないが」その理由のない好きや熱狂を多く集められる人が、私やあなたのスターやヒーローになっていくのだ。
これからもスターに魅せられ、QOLってやつをブチ上げられればと思っている。
Grazie di tutto Vale! そしてこの先も。
以前ロッシについて書いた日記はこちら。
【MotoGP】晴れでも雨でも私のヒーロー。バレンティーノ・ロッシについて語らせてほしい。 - かくしごと(空色MIX)