かくしごと(空色MIX)

webライターっぽい女のオタク気質ライフ。 ライブレポ、何かの感想、日常、思考整理。まずは素直な文章を。

寄せ書きの法則(仕事納めの日に)

クリスマス付近の具合の悪さは見事に熱でした。

数日で回復し、昨日は仕事納めの日だった。

なんとか、無事に、今年も納まった、よ!

納まれた!

11月からめまぐるしくて、生活にあまり余白というものが持てなかったけれど…

……っしゃああ!しばらくは

やーすーむーぞー!!!!!

 

これを読んでいる方で仕事を納めた方も、まだだよって方も。

師走の忙しい中、見てくださってありがとうございます!

今年一年、お疲れさまでした(です)。

 

そんな仕事納めの日にあった印象的な出来事を残しておきたくて、日記を書く。

 

社内に年末年始のコタツのようなリラックスした空気が流れ始めている中、一人の女の子に呼び止められた。

手には人気店のお菓子がある。

それを私に差し出しながら、

「今日で最後なんです」

と彼女は言った。

ああそうか。今日が「その日」なのか。

私にまで声をかけてくれるなんて、優しい子だなと思った。

 

社内にはたくさんの人間がいる。

彼女とは仕事で接点はなく、ちゃんと話したのもほぼ「今日そのとき」が初めてだった。

そんな私にも声をかけてくれるなんて優しいなあ、ということなのだが

でも実は、「私側」は彼女のことを知っていた。

廊下や休憩ルーム、業務ではない場所ですれ違っていたというのもあるのだが

髪型やファッションがいつもかわいくて私の好みだったので自然と覚えてしまっていたのだ。

話したことはないけれど、勝手に

「あ、髪の毛短くなったな」「あの子の髪型いいなあ」「いつもオシャレだな」なんて思っていた。

私はよくこんなふうに人知れず、お手本のような、心のオアシスのような存在を見つける。

 

彼女が退職してしまうらしい、というのは噂では聞いていたけれど

接点がない立場からどう声をかけていいのかわからなかった。

これが同じチームや面識のある間柄なら、もちろんさまざまなことができるのだが

それまでほぼ全くといっていいほど話したことのない子に、いきなり「辞めちゃうんだ、寂しくなるな」「髪型かわいいなと思ってて…」とか話したらびっくりさせてしまうのではないか…と思っていた。

それが、なんと向こうから声をかけてくれた。

嬉しかった。

なんて出来た子なのか…と感激しつつ

「あああ、お疲れさま…!」

と、言いたかった言葉を口にする。

本人に言えて良かった、と少し安堵したのだが

次に彼女の口から出てきた言葉に軽い驚きを隠せなくなった。

 

「髪型とか、オシャレだなと思ってました…!」

 

ええっ!!

そっちも!?

まるで私が発したような台詞を彼女は口にした。

 

こちらが一方的に知っているだけかと思っていたのに、彼女も私を認識していた。

しかも私が彼女に思っていることと同じ印象を抱いていてくれたらしい。

驚きつつも伝える。

 

「えっありがとう。私も髪型かわいいなって思ってたよ…!」

「ええ!嬉しいです!」

なんだあ。もっと早くに話しかけていればよかった。

そこで少し会話をして、また「お疲れさま」と言って別れたのだが

去り際にふと思い出し、くるりと向き直りながら

「あ、あのう、◯◯です!」

と自己紹介をした。

自分の苗字を口にする私、今さらすぎるだろ。

遅いよね。でも、たぶん彼女は私の名前を知らないと思ったから。

 

しかしその後の台詞が

「存じてます!!」

だったことにますます驚いた。

「ええっ!!そうなの!?」

 

ここ数年、社内には新卒・中途含め新しい顔ぶれも多くなって、 まだ話したことのない「面識のない同僚たち」も正直なところたくさんいる。

そして、その中で私のことを知っている人はおそらくそんなに多くないだろうと思っていた。

だからほんとうに、結構驚いた。

彼女はどこで私の名前を知ったのだろう。

 

驚きと嬉しさが入り混じると同時に、

「またやってしまった」と思った。

 

また「辞めるときにしか」素直な言葉をかけられなかった。

 

「寄せ書きの法則」という持論を数年前から持っている。

誰かが退職する前には、メッセージを書き込むための寄せ書き表が内緒で回覧(?)されるのは他の職場でもよく見られる光景かもしれない。

私はひそかにそこに書かれたみんなの言葉を見ることが好きだった。

あ、あくまで、サーッとだけれど。

自分が書くときにふむふむと見ているのであって、なめるようにひとりじめして読んでいるわけではないのでどうか怖がらないでほしい。

 

寄せ書きに書いてある言葉には「素直なもの」が多いな、と思っている。

これまでありがとう、お疲れさま、だけではなく、「照れくさくて言えない」ことや「改めての感謝」がフィルターなしで並ぶ素敵なボードのようだといつも感じる。

あのときのあの思い出であったり、実はこんな風に思っていた、こんなところがいいなと思っていた……などなど

一種の告白ができるパワーが寄せ書きにはあると思う。

素直になれる「寄せ書きマジック」だ。

 

それ自体はとても素敵な文化(?)なのだが、もしそのマジックな告白を「辞める前」にもっと伝えられていたら、もしかしたら何かが変わっていたのでは…と思うことがある。

私はそれを、寄せ書きの法則と(勝手に)呼んでいるのです。

 

自分も含めて、いつも少しもどかしい。

「その言葉、退職する前に伝えられていたら良かったのかもだよね…」

と思ってしまうような、優しく少し切ない言葉たちがあんなにたくさん並んでいるのだもの。

 

自分が別の会社を退職したときにもらった寄せ書きを思い返してもそうだった。

思わず泣けてしまうような言葉もあったし、

「え、それもっと早く言ってよ、もっと話したかったよ」

「あの人、そんなことを思っていてくれたのか…全然知らなかった……」

と思う瞬間もあった。

あったのに、その後の生活で「自分が書く寄せ書き」がやはりそういう傾向が強いのも事実だった。

 

普段はあまり話さないけれど、昼休みによく本を読んでいることを知っていた人には

「どんな本を読んでいるのか気になってました」と書いたし

社内でよく話題に上っていた「今だから言える武勇伝」みたいなネタを持つ方には

「あの話、詳しく知らないので教えてほしかったです」というようなことを書いた。

仕事に関しての憧れや尊敬をためらわずに記したこともある。

そのすべて、どうして「最後」にしか言えなかったのだろう。

彼女に対しても、また同じようなことをしてしまった。

 

時間はたっぷりあったのだから、ほんとうはその無限のような時間の中で関わりを持てたら良かったのだ。

 

いま私が顔を合わせているさまざまな人たち。

全員が全員、その後の人生でものすごく密な関わりを持つわけではないかもしれないけれど

もっと、日頃から普通に素直に

「いま自分はあなたに対してこんなことを思っているし、こういうところが素敵だなと思っている」

ことを男女問わずに言えたら 世界は彩りを増すのだろうか。

もっと知らない、もっと素直な街が待っているのだろうか。

 

「大人になるとなかなか難しいですよね。」

今日同い年と判明した美容師さんにこの話をふわっとしたら、返ってきたボール。

そう、それもまた事実。

いろんな人がそうやって暮らしている。

私だけではない、きっとたくさんの人が

ほんとうはカラフルで優しくて素直なひみつのメッセージを持って暮らしている。

 

言えなかった自分への反省はあれど、

同じような気持ちで寄せ書きを書いている人がもしかしたらたくさんいるのかもしれなくて

もしかしたらいろんな大人たちが、ほんとうは優しくて熱いハートの持ち主で

そして少し不器用なのかもしれなくて。

そう考えると また少し今いる世界に色がつくのではないかな、なんて考えたりもする。

きっと来年も、この街はカラフルで優しい。

そういう側面を持っている。

 

ちなみに、そんな「寄せ書き後」に相手からSNSの友人申請やフォローがあったことも一度ではない。

深い意味はないのかもしれないし、社交辞令かもしれないけれど

「きっと、読んだのだろうな」

と思っている(当たり前か)。

だから、言えないままよりはもちろん

どんなタイミングであれ、言ったほうが良いのだろう。

 

今回最後の日に会話を交わせた彼女は、みんなにあてた挨拶メールに連絡先を残してくれていた。

こっそりメールをしてみようと考えている。

嬉しかったことを、嬉しかったと伝えてみよう。

来年は、今よりも今を丁寧に、寝かせることなく

照れくさい言葉をもっと口にできたらいいな。

ありがとう、そして お疲れさま。 

 

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ちなみに今の髪型は、オリーブ系のカラーに赤メッシュが入ったボブ。

とても気に入っているので 髪型をほめてもらえるのはほんとうに嬉しいのだけれど

短い髪が似合う彼女を見て、もっと切りたいなあと思ったことも、実はあります。

ファンか。

 

今日は前髪だけ切り納めに行きました。

髪色は良い感じに色落ちしてくれているので、このまま年を越します!

疲れた時には孤独になれ(クレッシェンド・デミネンド)

ずいぶん久しぶりの日記になってしまいましたが……生きてます(生存報告)!

ここしばらく自分の中で新しくチャレンジしていることがあって、そのチャレンジに集中しないと自分のプライベートな文章に向き合えなさそうだったので

ブログ書きたい。ブログ書きたい。

と思いながらもずっと書けずにいました。

近いうちにまたその話の続きになりそうな報告をするかもしれないので、そのときはまたよろしくお願いします。

「最近更新されないね」
と言ってくれた某人物も、ありがとう。笑

 

近頃はやはり師走で、いそがしい。

いそがしい、とあまり言いたくはないし、もーっといそがしい人はごまんといるけれど

自分比で、バタバタしている。

いそがしいことはありがたいこと。

そのいそがしさを、「いそがしいから仕方がない」と甘える怠ける手段に使ってはいけないんだよな。

いそがしいから、と雑になりすぎると心が荒む。

単に要領がつかめていないから時間がかかっているだけのことも、あるかもしれないし。

時間のかけ方や密度について 最近よく考えている。

 

 

体温計が見当たらず、計測できていないのだけれど 

少しだけ熱があるのかもしれない。

頭がいたい。気圧もありそうだけれど、少し風邪をひいているのかもしれない。

栄養ドリンクを飲んで備えたけれど、時遅しか。

だから今日は念のため一日中部屋に篭っていて、夕方までほぼ寝ていた。

寝すぎた後はりんごを齧りながら楽しいことや特にそうでもないことを考えている。

これを書いたら、たぶんまた寝る。

「書かずに寝ろよ」という声が聞こえてきそうではあるが、いま書かないと忘れてしまいそうな気持ちがあるから そこは目を瞑ってほしい。

 

 

部屋に篭っていたらある曲を聴きたくなった。

エレファントカシマシの『クレッシェンド・デミネンド』。

さっそく枕元のiPhoneから再生すると、何度も聴いている曲なのに涙がこぼれた。

体がいつもより弱っていると、心も弱い部分を隠せなくなるのだろう。

正直に話すと、いま、少し心が混乱しているから。

 

この曲の歌詞がとても好きなんだ。

特に好きなフレーズは、「疲れた時には孤独になれ」の部分。

というか、この「疲れた時には孤独になれ」を聴きたくて再生した。

文字通り疲れが溜まったときや、喧騒や華やぎから逃れて一人になりたいとき 私は決まってこのフレーズを思い出す。

孤独になる時があってもいいんだな、と感じてホッとする。

篭っている自分を見つけると嫌になっちゃうけど、そんな自分も肯定したいな、なんてときに聴きたくなるのだ。

 

歩いていたら、走っていたら、そりゃあ、疲れることもあるし

殻に篭ろうとするときもある。

篭ると大抵、落ちるところまで落ちる。

それは長年自分を見てきて把握している部分。

「ネクラとネアカが混在しているんだ」

昨日、ある人にこんな話をしたけれど

その人物も「分かる気がする」と笑っていた。

 

「感じるべきなんだ ココロの奥の真実の声を」

 

宮本浩次は孤独をすすめる理由についてこう語る。

私はまたホッとする。

 

自分の心を肯定してくれる歌があるのは、とても貴重だ。

多くの場合、それは「淀んだ自分の心」とも言い換えられる。

何かきっかけがあって悲しい気持ちになったり、イライラしてしまったり、疑ってしまったり、恥ずかしくなったり。

生活していれば、もちろん起こることは楽しいことばかりではない。

心が淀んでしまって、だけどそんな自分を晒したくなくて

だけどそんな心を吐き出さないと、認めないと、余計にツラくなる時だってある。

 

大抵、淀んでしまったあとは浮上するからそんなに心配はいらない。これも長年の経験で少しは解ってきたこと。

そして、淀んで淀みきったあとに私が感じることは 意外と明るくて単純な自分の心と 「人を疑いきれない」「嫌になりきれない」気持ち。 

 

心の淀みを奥深くまで紐解くと、自分が思ったより人を好きなことに気がつく。

誰かに気がついてほしい、気にしてほしい、解ってほしい、こんな気持ちには気がつかれたくない。

だから言わない。

自分の心の混乱から人を攻撃しそうになってしまうときがある。

そんなときは、無口になる。

言わないことで「心を開いてくれない」と人を傷つけたことも、もしかしたらあるのかもしれないし

確かにそれは自分を守りたいためでもあるのだろうけれど、

どうしても、不用意にその矛先を相手に向けることをしたくないのだ。

淀んでいるときの私は重いから。

なるべくなら、気がつかれたくない。

だから篭る。

めんどくさいやつだな、とも思うけれど。

 

重いときも軽いときも、疲れたときもそうじゃないときも。

いいときもそうじゃないときもいろんな人を好きでいられることがいちばん素敵だと思う。

もちろん自分自身のことも。

そういう世界に行きたくて、たまにもがいている。

どちらの自分もきっと存在していていいはずだから。

見つめて認めて、また歩き出せばいい。

 

 

『クレッシェンド・デミネンド』の歌詞には続きがある。

私がこの曲をとても好きな理由は、孤独を肯定しているから、だけではない。

 

「やめるな、戦え、もう一度出かけてゆけ」

「時を越えてゆくために休め」

「静寂の部屋に篭もりいて もう一度出かけてゆけ」

 

孤独になる理由は、また戦うため。

また出かけてゆくため。

「疲れた時には孤独になれ」

それはずっと孤独の殻に閉じこもれという教えではなくて、「時を越えてゆくために休む」ことが必要だ、という教えなのだ。

「静寂の部屋に篭もりいて もう一度出かけてゆけ」で結ぶ宮本さんがとても好きだ。

そして、私もそんな心でいたいと思う。

 

この歌はたぶん、ずっと特別。

もう一度出かけてゆくために、また、少し眠ろう。

 

クレッシェンド・デミネンド-陽気なる逃亡者たる君へ- - エレファントカシマシ - 歌詞 : 歌ネット

72時間ホンネテレビ。日本のエンタメの中心にはいつだってSMAPがいる。

もうね。

11/2の夜からネット廃人、昨日の夜から号泣マシーンです。

全ては新しい地図と、森くんと、SMAPのせいだ。良い意味でぜんぶきみのせいだ。

ツイッターでたくさんつぶやきすぎて追いすぎて。彼らのSNSを見ながらファンの人のツイートを追いながらFire TV Stickで番組を観て本人たちの更新があれば秒でリプをして

近年いちばんスマホを使っている。普段もなかなかのものなのに。笑

秒速リプなんて、もちろん初めてやっている。

しかもその甲斐あってかまさかの、草なぎ剛稲垣吾郎から複数回「いいね」をいただいて驚愕している。彼らはいったい何人いるんだ?

スーパーアイドルからファンサをもらってしまった気分だ。

 

彼らの姿を見ていると、いろいろな気持ちがこみあげる。

いくつになってもどんな環境でも「初めて」があるということ

その「初めて」を素直に純粋に楽しめる心の美しさを失わないことができるのだということ。

思い通りにいかない辛いことがあっても、いつかその辛さが笑顔に更新されるかもしれないこと。

全力で生きてきた人たちにしか見られない景色とわからない思いがあるということ。

本当に素敵な人はいつまでも素敵なのだということ、

本当の信頼関係は年月で失われるものではないのだということ。

 

夢みたいな未来を信じてみたくなること。

それはなんだか長い長いドキュメンタリーを観ているかのような。

 

いろいろな熱い気持ちを持っている自分の姿にも、他人の姿にも驚いてしまう。

ファンやファン以外のネットユーザー。彼らと年を重ねた同世代の人たち。

著名人も何か言わずにはいられなくなるのか、タイムラインには自分のロマンチックな本当の気持ちを言葉に乗せたツイートがあふれた。

それを見て私はまた泣いてしまう。

自分の感情の、捨てたものじゃない、残していい部分を掘り起こしてくれる。

彼らは何度でも青春をくれるのかもしれない。

 

森くんとの再会シーンをリアルタイムでほとんど観られて良かったなあ。

そりゃ、 #森バズ #森くん が世界トレンド1位になるわ。

3人のもとに駆け寄る森くんが、何もためらわずに彼らと抱き合おうとして それを3人が当たり前のように受け入れている場面を見たら もう涙を抑えるとか無理だった。

なんだよ、3人全員泣いているじゃないか。

草なぎ剛は涙をこらえる気なんてないし、普段はクールな稲垣吾郎もポーカーフェイスを崩す。

そして香取慎吾の、あふれる感情を全てさらけ出していいのか迷っているような、でも嬉しさを抑えきれないような 自分の感情に困惑したような心からの笑顔にさらに泣いた。

その笑顔は、主観だけれどーあの27時間テレビでノンストップライブをやりきったときの笑顔によく似ていた。

 

「会いたかったもん」

「こうして4人で会えるなんて、夢にも思わなかったよ」

「…思ってないよ」

森くんの素直な感情に小さくこうつぶやいた香取慎吾にさらに泣いた。

 

「下を向いて言うんじゃなくて、上を向いて」頑張ろうと誓い合う4人。

ドラマチックな要素が揃いすぎているけれど、これはドラマではなく現実だった。

 

たとえばちょっとしたすれ違いがあって会えなくなってしまった人や

進むべき道が違って離れ離れになってしまった人

いつかまた会いたいけれど、今は会えない人。

遠くから応援している人。

活躍にそっと、勝手に勇気をもらっている人。

見ている人は、あのとき日々を駆け抜けてきた「みんなにとっての彼」を重ね合わせているのかもしれない。

 あなたにとっての彼は誰?

 

私も会いたい人に胸を張って会えるような

お互いの人生を喜び合って応援し合えるような

素直に相手のことを好きだと言えるような

そんな生き方ができたらいい。

 

「森くんの心の動きが分かる気がする」

そんな彼らが、その場にいないふたりのことを忘れているはずがない。

言えないことと忘れることは違う。

 

どんどんSNSの特性を理解し楽しんでいく3人にも驚きを隠せずにいる。

ファン9500件以上の返信にいいねを返す驚異的な草なぎ剛は「SNSは面白いことがどんどん変わってしまう」とたった2日で玄人みたいな分析をし始め、「俺センスあるかも」「食わず嫌いだったのかも」「SNSは必要ありませんって言ってたけど、三谷さんもやってみればいいのにね」と人生の真理みたいなことを明るくマイペースに言い放つ。

森くんに会う前のあの特別な緊張感の中、ひとりスマホを眺めていると思ったら「この空気の中、吊り天井もう一度やろうか迷う」とつぶやくというとんでもないツイッターの使い方まで会得した稲垣吾郎は、「ファンの皆さんのために」と、まるでこの企画の趣旨が全て詰まっているような言葉をブログに残す。

 

香取慎吾は単純に「楽しい」と言う。分からないと言いながら無邪気にいろんなことを覚えていく。

森くんの「大切な体を壊さないように」少し力をセーブして彼に抱きついた、というツイートは10万を超えるいいねがついていた。

本当の言葉はこんなにもロマンチックなんだ。

 

3人の姿で、自分もインターネット、デジタル本来の楽しみ方を思い出している感じもして

これからの未来で私は何回この出来事に感謝するんだろう。

デジタルの本質って、というかさまざまなビジネスに対する本質って

人と繋がり、相手が笑顔になってくれることなのだと思う。

もちろん、相手が笑顔になってくれたら自分も生まれつきの笑顔になれる。

相乗効果の楽しさの連鎖。

とにかく本当、ずっと見ていたい!

 

 

あくまでSMAP新しい地図を混在しないようにしていたのだけれど

この番組が進むにつれて、無理に分けなくてもいい気がしてきた。

みんなそうなのかな。昨日から、タイムラインでも自然に「SMAP」の単語が目立つようになってきた。

 

ネットとテレビの垣根がなくなる日?

ファンと彼らとの距離が縮まる日?

言えることとそうじゃないことの境目が分かる日?

みんなの笑顔が見られる日?

 

世間がSMAPの話題を口にせずにはいられなくなる日。

 

きっとどれもが繋がっていて、ありふれたバズの概念なんてものも塗り替えてしまう。

そういう規格外のエンタメを、彼らはずっとやってきたんだ。

 

日本のエンタメの中心にはいつだってSMAPがいる。

今までもこれからも、彼らがそこで生きていこうとしてくれる限り。

 

一分一秒逃さず見ることは少し難しいけれど、最後まで見届けます!

 

 

…こんなことを書いている最中に、まさか稲垣吾郎「事後報告ですが、本日結婚します」なんてブログを書くとは思いませんでしたけどね!!!www

どんな未来だ。笑

 

 

青い空とピストル

台風が過ぎたあとの空って、いつも嘘みたいにきれいだな。
こういう日にはいつも、大好きな漫画『彼氏彼女の事情』で引用されていた言葉を思い出してしまう。

「こんな晴れた日に頭撃ったら気持ちいいだろう」

もちろん実際にはそんなこと思いませんが、架空の話であれば…そんな世界観の映画があったら観てみたい。
小説か何かの一節なのだろうか。調べても完全には分からなかった。

少年少女限らず、好きな漫画はたくさんあるけれど
いちばん影響を受けた漫画を挙げるとしたら今でも迷わず『彼氏彼女の事情』、通称カレカノを挙げる。
高校時代から15年以上変わらないなあ。
言葉のリズムやモノローグ、各キャラクターの思考、闇も光ももう好きすぎる。
そらで言えるセリフやモノローグもたくさんある。
カレカノ好きの人とはきっと良いお酒が飲めると思う。
まあ大人になってみると、確かに全員信じられないぐらいの美男美女でハイスペックで華やかすぎるよな…とか、さすが漫画だな…な展開もあるなと思うけれど、それでも好きな気持ちが変わることはない。
特に好きなのは芝姫つばさと芝姫一馬というキャラクターのスピンオフと、浅葉というキャラクターの性格。ああなんて美しい闇。

有馬総一郎という主人公の恋人(というか彼自体が主人公のひとりだな)の過去にフォーカスをあてた頃のカレカノは、ファンの私ですら重すぎて今でもあまり読み返せないけれど

あのエピソードがなかったら話が成立しないので とりあえずもし読んだけれど途中で挫折した経験のある方は有馬怜司というキャラクターが登場するまで耐えてほしい。


考えることが多くて、だけどそれはネガティヴではないものなのでしばらく頑張ってみようと思っている。
頑張りたくないときもあるけど、頑張るという言葉自体は嫌いじゃない。

行動すれば変化は起こるし、変化があれば新しい発見も増える。

考えごとが増えるのは悩んでいるときだけではないのだ。


昨日も嬉しいことがあったし、好きな人たちが楽しそうに毎日を泳ぐ姿に刺激を受けている。

さあ、また少し頑張ってみよう。


書き途中の日記を更新するまで他の日記が書けない、というジレンマから抜け出す突然の余談日記をたまに書きます。

【木村拓哉ドラマ決定】何をやってもキムタクに見えるフィルターを外してみると。

風邪を引いてしまったようで、大好きな長文を書くこともできず日記が滞っております。ライブレポ早く完成させたい。

 

滞っておりましたが、今朝素敵なニュースを見てほんの少しの文章でもいいから早く書きたいと思いましたので……

 

木村拓哉、来年1月にドラマ決定だってよ!

わーい!おめでとうございます!!!

そしてありがとうございます!!!!!

 

来年の楽しみができました!ありがとうございます!!!!

もう働かなくても遊んで暮らせるはずの木村拓哉が働くと、日本中いや海外のファンも含め、いろいろな人が明日への活力をもらい元気になる…

木村拓哉、働いてくれてありがとう。そんな意味も含めたありがとうでございます。

 

木村拓哉「エンジン」以来13年ぶり脚本家とタッグでドラマ主演「意外性を感じた」役に初挑戦<コメント到着/BG~身辺警護人~> - モデルプレス

 

しかも『GOOD LUCK!!』、『エンジン』の脚本家の方なのだね。最高なにおいがする。

 

さっそく記事内の本人のコメントを見たのですが、

いきなり脚本家の方に向けて(いやコメント自体は主にファンに向けてのものですが)

 

“ボディーガード”という職業をテーマに選んでくれたことに感謝したい、と思いました。

 

とジーンとしている(?)木村拓哉になんだかツボる。

あっ、もしファン以外の方がこのブログを見てくださっていたら補足したいのだけれど

木村拓哉ってね、なかなか独自の言葉を持っているのですよ。

言語感覚がなんかね、詩のようで物語性があるのだ。それまでにも薄々そんなにおいを感じてはいたものの、確信したのはおそらく20年以上前のSMAPツアーパンフレットを見る機会があった際にそこに書かれた彼の言葉を見たときだった。

ここでは詳しく語らないけれど、それはメンバーを太陽とか風とか雨とか星とか月光とか美しいものに例えた そして自分をと例えた そしてそして「6人の風景は違っていても、心はひとつ。それが、SMAP」と結んだーいわば、鮮やかにきらめいた詩だった。

風景は違っても…泣かせるよね…!

まあ若かりし頃のポエムといえばそうなのだけれど、私は彼はその過去も黒歴史にしないような気がしている。斎藤工タイプだ(某ミュージカルに出演した頃から存じていますが、彼もまたブレイク前の過去を何も隠さない。かなり際どい役も演じているのだが…)。

一部では「話が長い」「ポエ村さん」とネタにすらなってしまうのも知っているが、私は彼のそんなロマンチックで熱く時にユーモアのある言語センスが好きだ。

 

…と、詳しく語らないと言いながら脱線したけれど、なになに。まず自身が演じる役柄への感謝とな。

そこにも感謝するの?すごいなこの人は…毎日あらゆることに感謝しているのではないか?

ラジオを数回聴けばたぶん分かっていただけると思いますが、この方は本当にどんな質問やどんな状況にもまじめに向き合って当たり前のように感謝する人なんだよね…ファン以外にはピンとこないかもしれないけどさ…掘り下げていけばいくほど、いい話しか出てこないんだってマジで…俺様エピソードとか逆に教えてほしいんですけど…?共演者のために四つ葉のクローバーを探してしかも見つけたとかいう話ばかり出てくるんですけど…?

まったく謙虚すぎるよ…と読み進めていたら、

 

僕自身も仕事柄、ボディーガードの方々のお世話になることがあるのですが、彼らがいてくださるというだけで安心感が凄いです。

 

ああ、なるほど。

彼にとっては、自分の身近にある職業だ。

私にとってはほぼ映画やドラマの中だけの話なのではないかと誤解してしまう職業だけれど、そうだ、彼なら一般人より絶対に現場を分かっている…!彼はもはや日常からドラマの中にいるようなものだ…!

それは、伝えたくなるだろうな。

こんなすごい仕事を日常的に行っている人たちがいますよ!と自らの仕事を通して伝えられる機会って、考えてみたらそうそうないはずだ。

きっと嬉しいのだろう。すごいことを平然としている、ものすごい方々の日常を伝えるお手伝いができる…と思っているのではないだろうか。

というか、彼の仕事の姿勢って結構いつでもこんな感じなのではと思うのは私だけだろうか。

自分をカッコよく見せるのが第一ではなく、あくまでその背景にある本職の方々に敬意を表しているように思える。

だからカッコよくあろうとするのではないかなあとすら思ってしまう。

とはいえ結構泥くさいこともやっていますよね。人には決して見せない努力をしまくったり、現場で他のキャストがびびるぐらいめちゃくちゃ真剣だったり(さまざまなドキュメンタリーや記事から考察しています)。

彼の演じる役も、もちろん彼自身も、決して何もせずに何でもできるヒーローになったわけじゃない。

彼はスーパーマンじゃない。

普通の、といったら語弊があるけれど、敢えて使おう。彼も普通の働く人なんだよ。

 

不覚にもこのニュースを知ったきっかけは私の中で賛否両論Yahoo!ニュースなのだけれど、コメント急上昇ランキング堂々の1位だった。

木村拓哉はその人気ゆえアンチも少なくない、いやいつの時代もやたらと「キムタク」を叩く層がいるのは新規ファンの私でさえも理解しているが、まあ今回も多いですね、コメントの「何をやってもどうせキムタク」の数といったら。

もう風物詩なのかな、と思ってしまうほど悲しいかなテンプレ化しているこの文句。

なんだかこの批評(というかそこまで実際に演技を観てはいないけれども単なる悪口として使っている人もいそうですが)って本当に何年も何年も変わっていないから、何なら誰も新しい考えを作らなくてもこれだけ言っていれば世論(※というか一部のネットや潜在的アンチ)にのっかれるような便利なワードだなとも思うわけです。

 

いや、そっち派の言いたいことも分かる。

私もファンになる前はそんな感じだったからだ。

完全なキムタクフィルターがかかっていた頃は、彼の演技をさほどしっかり見ることもなく今回も「ちょ待てよ!」の演技なのかな?とは確かに思っていたよ。

でもそれは…もちろん受け取り方は個人によって違うので、本当にその人たちの中では一生キムタクはキムタク演技なのかもしれないけれど やっぱりフィルターがかかっているからなのだよなあ。

ファンになると、当たり前かもしれないけれどちょ待てよなキムタクフィルターは外れる。そこから見た彼は決して同じだけの演技ではなかった。

 

 いや、でも言いたいことは分かる。

彼の演技はあまりにも自然すぎるがゆえに、あまりにも普通にキムタクすぎるように見えるのは私も理解できる。

そう、どの役も自然すぎるのだ。

おそらくかなりのアドリブやアレンジをスタッフや監督と相談して決めているのだろう。

彼の作品の台本を見たことはないけれど、きっと実際放送されたものとは異なる部分もあるのではないだろうか。台本が、というよりキャラクターが、物語が育っていく感じとでもいうのかな。

それは脚本家の意向かもしれないし、監督の意向かもしれないし、役者本人の発案から生まれたものかもしれない。

そのときどきで違いはあると思うけれど、彼の作品はきっと独特の進め方がある…というか、現場全体がそういう空気に引っ張られていくのだろうと思う。

(それをわがままと捉える人もいるのかもしれないけれど。もし毎回そのせいで現場の空気が最悪だったら彼にも改善すべき部分はあるのかもしれないけれどさてそんな話は…)

その役がそのままそこにいるような、カメラがその役柄を追わないときのほんの一瞬を切り取るような。役として出たささいなボヤき、感情、ふとしたしぐさまで、彼は自然に再現しようとしてしまう。のではないだろうか。というかちょっと異次元な吸収力なのではないだろうか。

その一連の行動があまりに自然なんだよ…だから、キムタクがキムタクとしてセリフを発しているように思ってしまうような気が、(ファンになったあとの)私はしている。

もしくは単に存在感がものすごいからキムタクにしか見えない…というのもあるかもしれないが。

 

いつの頃からか、カッコつけてるだの負けず嫌いで大人げないだのやや小馬鹿にしたような彼の批評を聞くたび

無意識に「でも努力を絶対見せない人なのだろうね」「負けず嫌いだからここまで成功したのだろうね」「キムタクでい続けられるのはキムタクだけだよね」とか、思えばかなりキムタクを庇っていたことにも気がついたのはファンになってからだった。

 

今年1月期に放送されたドラマ『A LIFE 〜愛しき人〜』でもこんなエピソードがあった。

ある回の印象的だったやり取り。

松山ケンイチ演じる井川先生が、木村拓哉演じる沖田に向かって「人の命、何だと思ってるんですか?」とイラつきながら問いかけたシーン。

その返しが

「知ってるなら教えてくれよ…」

という名ゼリフ来たわ…なセリフだったのですが、なんとこれは木村拓哉の「自然と出てきた」アドリブから生まれた言葉だったのだとか。ねえ。言葉までイケメンか。あ、すみません心の声が。

他にも、患者である少女に向かって「痛かったらぎゅっと手を握っていいよ」と話しかけたハートフルなセリフも木村拓哉のアドリブだったとかまあ、そういう伝説が今年だけでもいろいろありましてね。

たぶん彼はね、なっちゃうんですよね。その役の人物に。もうその役そのものの人生を短期間でインストールされたのかな?って気持ちです。

ああでもきっとこの考察、ファン以外の方からしたら何言ってるの?って感じだろうなあ。分かる、分かるよ…でもそう見えなくなった側も、初めからそう見えていなかった側も確実にいるのだ。

 

キムタクのドラマはキムタクが演じやすいように「あて書き」が多いのだろうとか、キムタクが自分で言いやすいようにセリフをアレンジしているだけなのだろうとか、そういう捉え方だってもちろんあるかもしれないけれどもね。

確かにもしかして、私が大好きな漫画がドラマ化か映画化したとして、木村拓哉がその役に入り込んでさまざまなアレンジを加えてくれたとして、しかしそれが私の思っているキャラクター像とは違うんだー!ってなったら、木村拓哉それは違うんだよー!って思うかもしれないけどさ。どちらが合っているかとか、そういう話は難しいかもしれないけどさ。だから何らかの原作ありきの作品には、あまり断定した書き方はできないけれど。

しかし、「あまりに彼がその役にしか見えないのに、あまりに彼の演技が自然だからキムタクのままだと思ってしまう説」が浮かんだあとにさまざまな作品を思い返してみると、ああなるほどと思ってしまうのも事実なのであった。

そもそも、彼の演じた役柄って別に似た役柄ばかりでは ないのだよな。

個人的には『眠れる森』の木村拓哉も好きです。

あ、あとファンになってから観たハウルの動く城も最高でした。キムタクの普段の演技(??)が苦手な人はまずハウルを観たらいいかもしれない。特にファンではない友人も「最初キムタクって分からなかった!ハウルのキムタクはいい!」と話していたぐらいなので。

 

ある事件の犯人が影響を受けたと話したことが元で封印されてしまったという『ギフト』もリアルタイムで観てみたかったなあ。

たまには悪役をやってほしい、という声も分かるけど、この『ギフト』にまつわるエピソードがあったからなのではないだろうか…とどうしても思ってしまう。一つ覚えで「悪役をやろうとしない」という人はこのぐらいのエピソードを知った上で言っているのかしら。

(でも来年公開の映画では事件を起こす役を演じるようなので、いつかもっといろいろな役が解禁される日も来るのだろうか。それも純粋に観てみたいなあ。)

 

まあ、どれもこれも木村拓哉のファンにならなかったら気がつかなかったことかもしれないけども。

でも、もしかしたらキムタクフィルター自体はファンになる前から外れていたのかもしれないね。無意識に庇っていたぐらいだもの。いったいいつから私は木村拓哉のことが気になっていたのだろう?

 

いわゆる多数のキムタクアンチがそれに気がつく…というか、素直に認める…?のは、もしかして4、50年後ぐらいなのかなあとさえ思う。

この世界、実際にその人が晩年を迎えたり寿命をまっとうしたりした後から「なんでもっと早く本当の魅力に気がつかなかったんだ」「今までちゃんと見ようとしなかった」「いろいろ言われていたけどなんだかんだですごい人だった」「ひとつの時代が終わった」と称賛されるケースがとても多い気がするのは仕方がないことなのだろうか。

(私もhideさんを好きになったのは彼が亡くなってしまったあとだし、そう考えると私もそれまでは気がつかなかったじゃんとなるのだが…)

いや大袈裟ではなく、どうせすごいと分かっているのだから キムタク、木村拓哉という日本から生まれたスターと同じ時代を生きていられるすごさにもっと早く気づいてほしいというかもっと認めていいと思うの。日本全体でもっと丁重に扱って感謝していいと思うのだけど…なんでキムタクだけいつも異様に「まあ頑張れや」的にハードルが高いんだ……頑張りまくってるだろ、20年以上も第一線で………

 

彼にだけ特別課せられるものすごい高さのハードルを常に真剣にクリアしようと取り組みそしクリアしていく、まじめでストイックな役者の顔を持つ木村拓哉

同時にもちろんスーパーアイドルでもありスーパースターでもあるし、言語センスはロマンチックだし、スマスマでコントのクオリティも実証済みだしラジオは中二テンションだけどめちゃくちゃリスナーにやさしいしまあ、とにかく木村拓哉は思った以上に奥が深いし思っていた以上に魅力的な人(なのだろう間違いなく)と思っています。

木村拓哉、とても長生きしてほしい。そしていろいろなことに挑戦し続けてほしい。そう彼はきっと長生きしてこれからも私たちを楽しませてくれるはずだから、たぶん生きているうちにファンになっておいたほうがその後の人生を楽しめるかもよ。なんて言ってみる。

キムタクフィルターを外してみるの、おすすめだよ!

 

というか、もう何年も、10年20年も日本中が「キムタクの演技」や「キムタクの存在」についてあれやこれやと語るってどんな現象だ。

ほんとすごい存在ですね。木村拓哉という人は。

(そして全然「ほんの少しの文章」ではなくなった!)

 

次回はおそらく先日行ったすばらしいライブの話です。

読まれない手紙、薄れていく痛み。あのユーレイにはもう会えない

先日公開した音楽文の文章を、本当にたくさんの方が読んでくださった。とても嬉しい。

特にSMAPファンの方から温かく美しいコメントを本当にたくさんいただいて、「素敵な文章」「感動しました」「号泣しました」「作家を目指していただきたい」「純粋な人」「心が綺麗」とか、全然違うんですよ!誤解ですよ!特に後半、めちゃめちゃ美化してくださってますよ!なレベルの感想をいただきむしろこちらがすばらしい言葉をありがとうございますと感動している。

いずれいただいたコメントを名前は伏せてきちんと紹介したいなあ。私もこんなふうに人に嬉しい言葉を素直に言える人になろう。

私というよりSMAPSMAPファンの力がすごいからね。ほんとに。

 

 

過去の話だけれど、私の文章をよく褒めてくれた人がいた。私がどうしても言葉が好きでどうしても書くことが好きなことをよく分かってくれていて、そしてだからこそ「言葉にとらわれすぎないように」と心配をしてくれていた。

文章に携わる仕事を「天職だと思うよ」と言ってくれたこともあった。

 

でも、その人はもう私の近くにはいない。

この文章を読むこともきっとないだろうし、もし目に触れたとしても何のアクションも起こさないと思う。

私も何も報告しないし、冷たいかもしれないけれど「今」ものすごく会いたいわけでもない。

ただ、どこかで元気でいてくれたらいいと思っている。

私の知らないところで元気でいてほしい。そんな存在が、生きている限り生まれてしまうものなのかな。

 

もらった言葉は無くなることはないけれど、

それにこだわりすぎることもなくなった。

新しい言葉をもらうこともないけれど

私はもう大丈夫みたいだ。

 

きっと喜んでくれると思う。

でも、もちろん連絡は来ない。することもない。
もうあの人の亡霊のような面影を探さなくても 私は「大丈夫」なのだ。


尊敬する相手が「良い」と言ってくれたことにしか自信を持てなかったあの頃の私。
自分のやりたいことを自分で判断して選ぶ力を、ようやく持てた気がする。

 

少しだけ切なく、そして誇りを持てた一日だった。

 

 

※時差がありますが、10/11に書いた文章を少しアップデートして掲載します。いつかは消すのかな、こういうものは。

 

【MotoGP】晴れでも雨でも私のヒーロー。バレンティーノ・ロッシについて語らせてほしい。

※前回の受賞連絡にたくさんの反応をいただき嬉しいです!ありがとうございます!

 

今回はモータースポーツに馴染みのない方にはピンと来ない日記かもしれない。

でも書かずにはいられないので。

 

ブログではライブや音楽の話が多めですが、実は他にもいくつか熱く語りたい趣味がある。

そのうちのひとつが、MotoGPという世界最高峰のロードレースを観戦すること(主にテレビですが、行けるときは日本GPに足を運ぶ)。

特に20年以上のキャリアを誇るバレンティーノ・ロッシというライダーが大好きで、というかロッシがいることがレース観戦の大きな動機になっていたりするのは否定できない。

もちろん他の選手も好きだけれど、ロッシはやっぱり私の中ではずっと特別なのだ。

 

ロッシを知らない方に少し補足すると、彼はこれまでのキャリアで9度の世界タイトルを獲得しているとんでもないイタリア人ライダーである。

 

バレンティーノ・ロッシ(Valentino Rossi, 1979年2月16日 - )は、イタリア、ウルビーノ出身のオートバイレーサー。ロードレース世界選手権参戦以来15年間で9回のワールドチャンピオンを獲得しており、「史上最強のライダー」との呼び声も高い。

 

ね。ウィキペディアさんもこう話しています。

現役ながら「生きる伝説」とまで表現されることかも多かったりする。

私は伝説になるのはまだ早い、もっとたくさんの伝説を残すと思っているのだけれどね!

 

ゼッケンナンバーは46。アイドル的に言うとイメージカラーは黄色である(とにかくモチーフに蛍光イエローが多い。好きな色らしい)。

自身の二面性を表している表現する月と太陽モチーフがグッズのデザインによく使用されている。

私もロッシの影響で飲み会の席の靴箱ナンバーなどでやたらと46を使用したがったり、月と太陽モチーフのアクセサリーや黄色の小物を揃えたがるふしがある。

速さはもちろん、マシンの開発能力にも優れていることからザ・ドクターという愛称もあったりする。

加えて恵まれた長い手足と端正な顔立ち、さらに陽気で人懐っこいキャラクターも相まって、どこの国でレースを開催しようがめちゃくちゃに高い人気を誇るスーパースターなのです。

どこのサーキットも、年間通してずっと黄色の旗やロッシのグッズを身につけた観客が相当な数を占めている。

彼の母国で開催されるイタリアGPなんて、ちょっと信じられないほど、90パーセント以上はロッシファンなのではないかというほど客席が黄色いファンで埋め尽くされる(当然、マナー云々の話もいろいろあるけれど)。

この現象が、彼があまりに勝ち続けた頃から考えてもおそらく15年は続いている。

ちょっとした異常事態とも言える話が現実に存在しているのだ。

 

ロッシは現在38歳。そう、無邪気なキャラクターの彼も今や全階級のレースを含めた最年長ライダーになった。

割とぶっちぎりの最年長であり、アナウンスでも「最年長」と連呼されることは珍しくないけれど

何よりすごいのは、その最年長ライダーがなんと未だにトップ争いに絡む活躍を見せていることである。

 

モータースポーツ好きな父の影響で、学生時代からなんとなくレースを観ていた。

そのときいつ観ても勝っているのがロッシという陽気でかわいらしいライダーだった。

なんていうかあまりにあっさり勝っていたものだから、熱く応援するほどの興味が持てなかったほどだ。

そんなあまりに勝ちすぎていた時代に、新たなチャレンジを模索したのか(チームとの折り合いがなんちゃらという話もあったようだが正確には分からないので割愛)当時勝つのはほぼ不可能ではないかとまで思われていたかもしれないヤマハに移籍した。

いろんな風潮に流され、いくらロッシでもしばらくは勝てないのかな…と感じていた人もきっといた時期だった。

しかし彼はそんな周囲のおせっかいな心配を物ともせず、なんと開幕戦でいきなり優勝してしまったのだ。

本当にすごいことだった。

まだそれほどファンではなかった私すら、「ロッシはすごい。ヤマハで勝利。」と当時のブログに残したことを覚えている。

そのあたりからかなあ。気がつけばロッシの結果が気になって、ロッシが勝つと嬉しくて、ロッシが負けると悔しいと感じるようになったのは。

連続チャンピオンを逃した年も、「もうない本当にない ロッシがチャンピオンじゃないMotoGPなんていやだ…」と、今から考えるとめちゃくちゃわがままで他ライダーやファンに配慮のない文章をブログに残していたぐらいだ。

(そのとき勝ったライダーは、今年事故で亡くなってしまったニッキー・ヘイデン。ロッシファンゆえ当時はモヤモヤしたけれど、どう考えてもいいやつなことが画面から滲み出ていることにだんだん気づき、ヘイデンもすっかり好きなライダーになりました。亡くなってしまったのが本当に悔やまれるし悲しいよ。もうライダーが亡くなるのは見たくない。みんな元気でいてくれ。)

 

若手の台頭もあり、現在は以前ほど簡単に勝利することが難しくなったのは否定できないけれど 38歳の今年も表彰台の常連であり、すばらしいレース運びで優勝を飾った週もある。

「もう歳だから」「終わった」なんて全然思えない、まだまだ活躍してくれる期待とワクワクした気持ちをくれるライダーなのである。

 

元々強くて才能のあるライダーだから…というのはもちろんあるだろうけど、スポーツ界でこの年齢までトップ争いのできる力を維持できるのは 他のすべてを犠牲にするほど壮絶な、相当な努力が背景にあるからなのは容易に想像がつく。

MotoGPは世界最高峰レースのため、いくら体力や気力があろうが活躍が見込まれないライダーはそんなに長居のできない世界。

40歳を過ぎてなおレースを続けている(続けられている)人は現在いないし、もちろん38歳でこの結果とモチベーションを維持し続けるライダーもいない。

ましてやロッシは既に数々の偉業を成し遂げている。

「一般的には」いつ引退をしても心残りはないだろうと思ってしまう記録を残している。

精神と体力を削ってその世界に留まり続けなくても、彼はいろいろな方面で一生安泰なのは周知の事実。

それでもその世界に居続けるのは、もちろん地位と名誉のためなんかじゃないのは私でさえも分かる。

 

スーパースターゆえにアンチの数だってきっと少なくはない。

でも、そんな人たちだってきっと、ロッシの打ち立てた記録と走りと情熱を否定することはできないのではないのかと思う。

 

なぜこんなにロッシのことをいきなり語りたくなったのかというと、今日はそのMotoGPの日本GP決勝が開催されていたのですよ。

今年は私は行けなかったのだが、これまでも何度も現地のツインリンクもてぎに足を運んで生でレースを体感している。

そして、その日本GPの決勝にて…ロッシが前年に続いて転倒リタイアしてしまったんですよ…(涙)!!

……私が行かなかった年に両方転倒するなんて…私が行かなきゃダメなんじゃないか…!?とおかしな誤解をしたくなるほどショックで、しかもレースを観る前にその結果を知ってしまったものだから(SNSに流れてきてしまった。油断していた)その後の録画を観るのがちょっと、いやだいぶつらかった。

 

最近ロッシは怪我にも泣かされていて、久々に骨折でレースを欠場する事態にも見舞われていた。

2戦欠場が濃厚というほどの状況だったらしいのに、なぜか1戦のみ欠場で復帰したという、天才、無茶しやがって…なドラマを持っていたのだが、ここでこんなドラマは…つらいよ…!!

 

としばらく凹んでいたのだが、もちろん転倒したからといってロッシにがっかりなんてしないし もう世代交代なのかもなあ…なんてことも(ファンだからなのかもしれないが)思わない。

もしかしたら「いつも強くないとロッシじゃない」「どんなときでも圧倒的に速いロッシが好きだった」なんて人も中にはわずかながらいるかもしれないけれど、私はどうやらそのタイプではないみたいだ。

 

ロッシは私のヒーローだけど、それはただ強くて偉大な記録を持っているから…というわけではない。
いいときもそうじゃないときもずっと応援したい人なんだ。

 

彼はバイクが、レースが本当に好きなのだと思う。

MotoGPライダー最年長と何年も言われ続けて、30代も残りわずか。
既に多くのことを成し遂げたのに、それでも彼は挑戦と走ることをやめない。

情熱が失われていないのは、単純に好きだからなのだろう。

走ること、そして勝つことが。

世代交代だの若手に道を譲れだのもう勝てないだの、何も知らない外野が好き勝手いろんなことを言っても笑顔で交わす。
あるいはその悪口を受けて立ち結果でねじ伏せる。
親しみやすいキャラクターを武器に、ロッシはしたたかに、そしてとてつもない見えない努力でトップに君臨し続けるのだ。

 

そりゃあ、ファンとしては勝って笑顔のロッシが見たい。

でも今日みたいに転倒してしまっても、最終的に気になるのはケガがないかとか改善のヒントは見つかったのかとかそういう話だったり、「モチベーションが切れてしまわないか」という心配だったりする。

勝っても勝たなくても、ロッシのレースが好きで魅了されてしまう。

 

ロッシが完ぺきなコンディションで走れるなら、それと引き替えに自分が少し苦手なことに挑戦しても構わないとさえ思う。
私が何をしたって何を願ったってもちろん結果は変わらないのだろうけど、気持ちの上で「ロッシが頑張っているから私も」と思わせてくれるふしぎな存在なのだ。


またレースに向けて全力を尽くすロッシが見たいし、見られるのは分かっている。
でも、いつかは彼がMotoGPから去る日が来るのも分かっている。

たぶん本人が「そう」決断するときがそのときなのだろう。
モチベーションは切れてほしくないけど、もしいつか切れたとしても失望なんてしない。
ただそれが少しでも先であればと願っているし、そこは負けん気の強いロッシさんのこと。

外野の心配なんて本当に意味がないんだと思わせてくれる「その後の華麗なロッシ」を何度も何度も見てきているから、まだまだ続きがあると思っている。

 

いいときもそうじゃないときも好きだ。

でも、完ぺきなコンディションとマシンで思いっきり走って晴れ晴れした笑顔のロッシが見られたら、私はまた嬉しすぎて泣くだろう。

 

ヒーローの生き方をずっと見続けていける幸せ。

応援する以外の選択肢がない。

ファンってそういうものだよね。

他のスポーツ選手でもドラマチックな人生を送っている人はたくさんいる。
でも、私は彼が描くドラマが特別好きみたいだ。

これからもそのドラマを泣いたり笑ったりしながら見続ける、数多くの観客のひとりでいさせてほしい。

 


来年の日本GPは絶対行くよ。

ロッシが今日の走りを懐かしんで笑えるぐらい楽しく走れますように!

 

 

【おまけ】

こっそり画像をいくつか。

https://www.instagram.com/p/BGUG4EUL8KE/

2009年と2016年のカタルニアGPにて勝利したロッシ。ポーズが同じ…(涙)!

 

https://www.instagram.com/p/BVxKO8PhWJ7/

今年勝利したオランダGPでの最高の笑顔!!

この本当に嬉しそうな顔がまた見たい。

何度勝っても何度タイトルを獲っても、優勝の喜びは格別なのだね。

 

https://www.instagram.com/p/BV3O-uOh6Br/

ロッシさんの見事なてへぺろ

115勝しても無邪気に喜びまくる38歳のベテランライダーが私は大好きです。

 

https://www.instagram.com/p/BWztAK8BwY9/

とてもとても好きな写真。

今より少し若いロッシさんですね。なんという美形。

これでめちゃくちゃ速いとかどんな二次元だ。

ちなみに、漫画ワンピースのトラファルガー・ローというキャラクターは彼がモデルだとまことしやかに囁かれている。

噂が出始めた頃、ローを知らなかった私はネットで検索をした。

あ、これは似…せてますね…?黄色いシャツ着てる画像とか出てきたよ…?

さらにローの設定(?)が医者であることが分かりますます確信した。

そう、先述したようにロッシのニックネームはザ・ドクターなのだから。