かくしごと(空色MIX)

webライターっぽい女のオタク気質ライフ。 ライブレポ、何かの感想、日常、思考整理。まずは素直な文章を。

青い空とピストル

台風が過ぎたあとの空って、いつも嘘みたいにきれいだな。
こういう日にはいつも、大好きな漫画『彼氏彼女の事情』で引用されていた言葉を思い出してしまう。

「こんな晴れた日に頭撃ったら気持ちいいだろう」

もちろん実際にはそんなこと思いませんが、架空の話であれば…そんな世界観の映画があったら観てみたい。
小説か何かの一節なのだろうか。調べても完全には分からなかった。

少年少女限らず、好きな漫画はたくさんあるけれど
いちばん影響を受けた漫画を挙げるとしたら今でも迷わず『彼氏彼女の事情』、通称カレカノを挙げる。
高校時代から15年以上変わらないなあ。
言葉のリズムやモノローグ、各キャラクターの思考、闇も光ももう好きすぎる。
そらで言えるセリフやモノローグもたくさんある。
カレカノ好きの人とはきっと良いお酒が飲めると思う。
まあ大人になってみると、確かに全員信じられないぐらいの美男美女でハイスペックで華やかすぎるよな…とか、さすが漫画だな…な展開もあるなと思うけれど、それでも好きな気持ちが変わることはない。
特に好きなのは芝姫つばさと芝姫一馬というキャラクターのスピンオフと、浅葉というキャラクターの性格。ああなんて美しい闇。

有馬総一郎という主人公の恋人(というか彼自体が主人公のひとりだな)の過去にフォーカスをあてた頃のカレカノは、ファンの私ですら重すぎて今でもあまり読み返せないけれど

あのエピソードがなかったら話が成立しないので とりあえずもし読んだけれど途中で挫折した経験のある方は有馬怜司というキャラクターが登場するまで耐えてほしい。


考えることが多くて、だけどそれはネガティヴではないものなのでしばらく頑張ってみようと思っている。
頑張りたくないときもあるけど、頑張るという言葉自体は嫌いじゃない。

行動すれば変化は起こるし、変化があれば新しい発見も増える。

考えごとが増えるのは悩んでいるときだけではないのだ。


昨日も嬉しいことがあったし、好きな人たちが楽しそうに毎日を泳ぐ姿に刺激を受けている。

さあ、また少し頑張ってみよう。


書き途中の日記を更新するまで他の日記が書けない、というジレンマから抜け出す突然の余談日記をたまに書きます。

【木村拓哉ドラマ決定】何をやってもキムタクに見えるフィルターを外してみると。

風邪を引いてしまったようで、大好きな長文を書くこともできず日記が滞っております。ライブレポ早く完成させたい。

 

滞っておりましたが、今朝素敵なニュースを見てほんの少しの文章でもいいから早く書きたいと思いましたので……

 

木村拓哉、来年1月にドラマ決定だってよ!

わーい!おめでとうございます!!!

そしてありがとうございます!!!!!

 

来年の楽しみができました!ありがとうございます!!!!

もう働かなくても遊んで暮らせるはずの木村拓哉が働くと、日本中いや海外のファンも含め、いろいろな人が明日への活力をもらい元気になる…

木村拓哉、働いてくれてありがとう。そんな意味も含めたありがとうでございます。

 

木村拓哉「エンジン」以来13年ぶり脚本家とタッグでドラマ主演「意外性を感じた」役に初挑戦<コメント到着/BG~身辺警護人~> - モデルプレス

 

しかも『GOOD LUCK!!』、『エンジン』の脚本家の方なのだね。最高なにおいがする。

 

さっそく記事内の本人のコメントを見たのですが、

いきなり脚本家の方に向けて(いやコメント自体は主にファンに向けてのものですが)

 

“ボディーガード”という職業をテーマに選んでくれたことに感謝したい、と思いました。

 

とジーンとしている(?)木村拓哉になんだかツボる。

あっ、もしファン以外の方がこのブログを見てくださっていたら補足したいのだけれど

木村拓哉ってね、なかなか独自の言葉を持っているのですよ。

言語感覚がなんかね、詩のようで物語性があるのだ。それまでにも薄々そんなにおいを感じてはいたものの、確信したのはおそらく20年以上前のSMAPツアーパンフレットを見る機会があった際にそこに書かれた彼の言葉を見たときだった。

ここでは詳しく語らないけれど、それはメンバーを太陽とか風とか雨とか星とか月光とか美しいものに例えた そして自分をと例えた そしてそして「6人の風景は違っていても、心はひとつ。それが、SMAP」と結んだーいわば、鮮やかにきらめいた詩だった。

風景は違っても…泣かせるよね…!

まあ若かりし頃のポエムといえばそうなのだけれど、私は彼はその過去も黒歴史にしないような気がしている。斎藤工タイプだ(某ミュージカルに出演した頃から存じていますが、彼もまたブレイク前の過去を何も隠さない。かなり際どい役も演じているのだが…)。

一部では「話が長い」「ポエ村さん」とネタにすらなってしまうのも知っているが、私は彼のそんなロマンチックで熱く時にユーモアのある言語センスが好きだ。

 

…と、詳しく語らないと言いながら脱線したけれど、なになに。まず自身が演じる役柄への感謝とな。

そこにも感謝するの?すごいなこの人は…毎日あらゆることに感謝しているのではないか?

ラジオを数回聴けばたぶん分かっていただけると思いますが、この方は本当にどんな質問やどんな状況にもまじめに向き合って当たり前のように感謝する人なんだよね…ファン以外にはピンとこないかもしれないけどさ…掘り下げていけばいくほど、いい話しか出てこないんだってマジで…俺様エピソードとか逆に教えてほしいんですけど…?共演者のために四つ葉のクローバーを探してしかも見つけたとかいう話ばかり出てくるんですけど…?

まったく謙虚すぎるよ…と読み進めていたら、

 

僕自身も仕事柄、ボディーガードの方々のお世話になることがあるのですが、彼らがいてくださるというだけで安心感が凄いです。

 

ああ、なるほど。

彼にとっては、自分の身近にある職業だ。

私にとってはほぼ映画やドラマの中だけの話なのではないかと誤解してしまう職業だけれど、そうだ、彼なら一般人より絶対に現場を分かっている…!彼はもはや日常からドラマの中にいるようなものだ…!

それは、伝えたくなるだろうな。

こんなすごい仕事を日常的に行っている人たちがいますよ!と自らの仕事を通して伝えられる機会って、考えてみたらそうそうないはずだ。

きっと嬉しいのだろう。すごいことを平然としている、ものすごい方々の日常を伝えるお手伝いができる…と思っているのではないだろうか。

というか、彼の仕事の姿勢って結構いつでもこんな感じなのではと思うのは私だけだろうか。

自分をカッコよく見せるのが第一ではなく、あくまでその背景にある本職の方々に敬意を表しているように思える。

だからカッコよくあろうとするのではないかなあとすら思ってしまう。

とはいえ結構泥くさいこともやっていますよね。人には決して見せない努力をしまくったり、現場で他のキャストがびびるぐらいめちゃくちゃ真剣だったり(さまざまなドキュメンタリーや記事から考察しています)。

彼の演じる役も、もちろん彼自身も、決して何もせずに何でもできるヒーローになったわけじゃない。

彼はスーパーマンじゃない。

普通の、といったら語弊があるけれど、敢えて使おう。彼も普通の働く人なんだよ。

 

不覚にもこのニュースを知ったきっかけは私の中で賛否両論Yahoo!ニュースなのだけれど、コメント急上昇ランキング堂々の1位だった。

木村拓哉はその人気ゆえアンチも少なくない、いやいつの時代もやたらと「キムタク」を叩く層がいるのは新規ファンの私でさえも理解しているが、まあ今回も多いですね、コメントの「何をやってもどうせキムタク」の数といったら。

もう風物詩なのかな、と思ってしまうほど悲しいかなテンプレ化しているこの文句。

なんだかこの批評(というかそこまで実際に演技を観てはいないけれども単なる悪口として使っている人もいそうですが)って本当に何年も何年も変わっていないから、何なら誰も新しい考えを作らなくてもこれだけ言っていれば世論(※というか一部のネットや潜在的アンチ)にのっかれるような便利なワードだなとも思うわけです。

 

いや、そっち派の言いたいことも分かる。

私もファンになる前はそんな感じだったからだ。

完全なキムタクフィルターがかかっていた頃は、彼の演技をさほどしっかり見ることもなく今回も「ちょ待てよ!」の演技なのかな?とは確かに思っていたよ。

でもそれは…もちろん受け取り方は個人によって違うので、本当にその人たちの中では一生キムタクはキムタク演技なのかもしれないけれど やっぱりフィルターがかかっているからなのだよなあ。

ファンになると、当たり前かもしれないけれどちょ待てよなキムタクフィルターは外れる。そこから見た彼は決して同じだけの演技ではなかった。

 

 いや、でも言いたいことは分かる。

彼の演技はあまりにも自然すぎるがゆえに、あまりにも普通にキムタクすぎるように見えるのは私も理解できる。

そう、どの役も自然すぎるのだ。

おそらくかなりのアドリブやアレンジをスタッフや監督と相談して決めているのだろう。

彼の作品の台本を見たことはないけれど、きっと実際放送されたものとは異なる部分もあるのではないだろうか。台本が、というよりキャラクターが、物語が育っていく感じとでもいうのかな。

それは脚本家の意向かもしれないし、監督の意向かもしれないし、役者本人の発案から生まれたものかもしれない。

そのときどきで違いはあると思うけれど、彼の作品はきっと独特の進め方がある…というか、現場全体がそういう空気に引っ張られていくのだろうと思う。

(それをわがままと捉える人もいるのかもしれないけれど。もし毎回そのせいで現場の空気が最悪だったら彼にも改善すべき部分はあるのかもしれないけれどさてそんな話は…)

その役がそのままそこにいるような、カメラがその役柄を追わないときのほんの一瞬を切り取るような。役として出たささいなボヤき、感情、ふとしたしぐさまで、彼は自然に再現しようとしてしまう。のではないだろうか。というかちょっと異次元な吸収力なのではないだろうか。

その一連の行動があまりに自然なんだよ…だから、キムタクがキムタクとしてセリフを発しているように思ってしまうような気が、(ファンになったあとの)私はしている。

もしくは単に存在感がものすごいからキムタクにしか見えない…というのもあるかもしれないが。

 

いつの頃からか、カッコつけてるだの負けず嫌いで大人げないだのやや小馬鹿にしたような彼の批評を聞くたび

無意識に「でも努力を絶対見せない人なのだろうね」「負けず嫌いだからここまで成功したのだろうね」「キムタクでい続けられるのはキムタクだけだよね」とか、思えばかなりキムタクを庇っていたことにも気がついたのはファンになってからだった。

 

今年1月期に放送されたドラマ『A LIFE 〜愛しき人〜』でもこんなエピソードがあった。

ある回の印象的だったやり取り。

松山ケンイチ演じる井川先生が、木村拓哉演じる沖田に向かって「人の命、何だと思ってるんですか?」とイラつきながら問いかけたシーン。

その返しが

「知ってるなら教えてくれよ…」

という名ゼリフ来たわ…なセリフだったのですが、なんとこれは木村拓哉の「自然と出てきた」アドリブから生まれた言葉だったのだとか。ねえ。言葉までイケメンか。あ、すみません心の声が。

他にも、患者である少女に向かって「痛かったらぎゅっと手を握っていいよ」と話しかけたハートフルなセリフも木村拓哉のアドリブだったとかまあ、そういう伝説が今年だけでもいろいろありましてね。

たぶん彼はね、なっちゃうんですよね。その役の人物に。もうその役そのものの人生を短期間でインストールされたのかな?って気持ちです。

ああでもきっとこの考察、ファン以外の方からしたら何言ってるの?って感じだろうなあ。分かる、分かるよ…でもそう見えなくなった側も、初めからそう見えていなかった側も確実にいるのだ。

 

キムタクのドラマはキムタクが演じやすいように「あて書き」が多いのだろうとか、キムタクが自分で言いやすいようにセリフをアレンジしているだけなのだろうとか、そういう捉え方だってもちろんあるかもしれないけれどもね。

確かにもしかして、私が大好きな漫画がドラマ化か映画化したとして、木村拓哉がその役に入り込んでさまざまなアレンジを加えてくれたとして、しかしそれが私の思っているキャラクター像とは違うんだー!ってなったら、木村拓哉それは違うんだよー!って思うかもしれないけどさ。どちらが合っているかとか、そういう話は難しいかもしれないけどさ。だから何らかの原作ありきの作品には、あまり断定した書き方はできないけれど。

しかし、「あまりに彼がその役にしか見えないのに、あまりに彼の演技が自然だからキムタクのままだと思ってしまう説」が浮かんだあとにさまざまな作品を思い返してみると、ああなるほどと思ってしまうのも事実なのであった。

そもそも、彼の演じた役柄って別に似た役柄ばかりでは ないのだよな。

個人的には『眠れる森』の木村拓哉も好きです。

あ、あとファンになってから観たハウルの動く城も最高でした。キムタクの普段の演技(??)が苦手な人はまずハウルを観たらいいかもしれない。特にファンではない友人も「最初キムタクって分からなかった!ハウルのキムタクはいい!」と話していたぐらいなので。

 

ある事件の犯人が影響を受けたと話したことが元で封印されてしまったという『ギフト』もリアルタイムで観てみたかったなあ。

たまには悪役をやってほしい、という声も分かるけど、この『ギフト』にまつわるエピソードがあったからなのではないだろうか…とどうしても思ってしまう。一つ覚えで「悪役をやろうとしない」という人はこのぐらいのエピソードを知った上で言っているのかしら。

(でも来年公開の映画では事件を起こす役を演じるようなので、いつかもっといろいろな役が解禁される日も来るのだろうか。それも純粋に観てみたいなあ。)

 

まあ、どれもこれも木村拓哉のファンにならなかったら気がつかなかったことかもしれないけども。

でも、もしかしたらキムタクフィルター自体はファンになる前から外れていたのかもしれないね。無意識に庇っていたぐらいだもの。いったいいつから私は木村拓哉のことが気になっていたのだろう?

 

いわゆる多数のキムタクアンチがそれに気がつく…というか、素直に認める…?のは、もしかして4、50年後ぐらいなのかなあとさえ思う。

この世界、実際にその人が晩年を迎えたり寿命をまっとうしたりした後から「なんでもっと早く本当の魅力に気がつかなかったんだ」「今までちゃんと見ようとしなかった」「いろいろ言われていたけどなんだかんだですごい人だった」「ひとつの時代が終わった」と称賛されるケースがとても多い気がするのは仕方がないことなのだろうか。

(私もhideさんを好きになったのは彼が亡くなってしまったあとだし、そう考えると私もそれまでは気がつかなかったじゃんとなるのだが…)

いや大袈裟ではなく、どうせすごいと分かっているのだから キムタク、木村拓哉という日本から生まれたスターと同じ時代を生きていられるすごさにもっと早く気づいてほしいというかもっと認めていいと思うの。日本全体でもっと丁重に扱って感謝していいと思うのだけど…なんでキムタクだけいつも異様に「まあ頑張れや」的にハードルが高いんだ……頑張りまくってるだろ、20年以上も第一線で………

 

彼にだけ特別課せられるものすごい高さのハードルを常に真剣にクリアしようと取り組みそしクリアしていく、まじめでストイックな役者の顔を持つ木村拓哉

同時にもちろんスーパーアイドルでもありスーパースターでもあるし、言語センスはロマンチックだし、スマスマでコントのクオリティも実証済みだしラジオは中二テンションだけどめちゃくちゃリスナーにやさしいしまあ、とにかく木村拓哉は思った以上に奥が深いし思っていた以上に魅力的な人(なのだろう間違いなく)と思っています。

木村拓哉、とても長生きしてほしい。そしていろいろなことに挑戦し続けてほしい。そう彼はきっと長生きしてこれからも私たちを楽しませてくれるはずだから、たぶん生きているうちにファンになっておいたほうがその後の人生を楽しめるかもよ。なんて言ってみる。

キムタクフィルターを外してみるの、おすすめだよ!

 

というか、もう何年も、10年20年も日本中が「キムタクの演技」や「キムタクの存在」についてあれやこれやと語るってどんな現象だ。

ほんとすごい存在ですね。木村拓哉という人は。

(そして全然「ほんの少しの文章」ではなくなった!)

 

次回はおそらく先日行ったすばらしいライブの話です。

読まれない手紙、薄れていく痛み。あのユーレイにはもう会えない

先日公開した音楽文の文章を、本当にたくさんの方が読んでくださった。とても嬉しい。

特にSMAPファンの方から温かく美しいコメントを本当にたくさんいただいて、「素敵な文章」「感動しました」「号泣しました」「作家を目指していただきたい」「純粋な人」「心が綺麗」とか、全然違うんですよ!誤解ですよ!特に後半、めちゃめちゃ美化してくださってますよ!なレベルの感想をいただきむしろこちらがすばらしい言葉をありがとうございますと感動している。

いずれいただいたコメントを名前は伏せてきちんと紹介したいなあ。私もこんなふうに人に嬉しい言葉を素直に言える人になろう。

私というよりSMAPSMAPファンの力がすごいからね。ほんとに。

 

 

過去の話だけれど、私の文章をよく褒めてくれた人がいた。私がどうしても言葉が好きでどうしても書くことが好きなことをよく分かってくれていて、そしてだからこそ「言葉にとらわれすぎないように」と心配をしてくれていた。

文章に携わる仕事を「天職だと思うよ」と言ってくれたこともあった。

 

でも、その人はもう私の近くにはいない。

この文章を読むこともきっとないだろうし、もし目に触れたとしても何のアクションも起こさないと思う。

私も何も報告しないし、冷たいかもしれないけれど「今」ものすごく会いたいわけでもない。

ただ、どこかで元気でいてくれたらいいと思っている。

私の知らないところで元気でいてほしい。そんな存在が、生きている限り生まれてしまうものなのかな。

 

もらった言葉は無くなることはないけれど、

それにこだわりすぎることもなくなった。

新しい言葉をもらうこともないけれど

私はもう大丈夫みたいだ。

 

きっと喜んでくれると思う。

でも、もちろん連絡は来ない。することもない。
もうあの人の亡霊のような面影を探さなくても 私は「大丈夫」なのだ。


尊敬する相手が「良い」と言ってくれたことにしか自信を持てなかったあの頃の私。
自分のやりたいことを自分で判断して選ぶ力を、ようやく持てた気がする。

 

少しだけ切なく、そして誇りを持てた一日だった。

 

 

※時差がありますが、10/11に書いた文章を少しアップデートして掲載します。いつかは消すのかな、こういうものは。

 

【MotoGP】晴れでも雨でも私のヒーロー。バレンティーノ・ロッシについて語らせてほしい。

※前回の受賞連絡にたくさんの反応をいただき嬉しいです!ありがとうございます!

 

今回はモータースポーツに馴染みのない方にはピンと来ない日記かもしれない。

でも書かずにはいられないので。

 

ブログではライブや音楽の話が多めですが、実は他にもいくつか熱く語りたい趣味がある。

そのうちのひとつが、MotoGPという世界最高峰のロードレースを観戦すること(主にテレビですが、行けるときは日本GPに足を運ぶ)。

特に20年以上のキャリアを誇るバレンティーノ・ロッシというライダーが大好きで、というかロッシがいることがレース観戦の大きな動機になっていたりするのは否定できない。

もちろん他の選手も好きだけれど、ロッシはやっぱり私の中ではずっと特別なのだ。

 

ロッシを知らない方に少し補足すると、彼はこれまでのキャリアで9度の世界タイトルを獲得しているとんでもないイタリア人ライダーである。

 

バレンティーノ・ロッシ(Valentino Rossi, 1979年2月16日 - )は、イタリア、ウルビーノ出身のオートバイレーサー。ロードレース世界選手権参戦以来15年間で9回のワールドチャンピオンを獲得しており、「史上最強のライダー」との呼び声も高い。

 

ね。ウィキペディアさんもこう話しています。

現役ながら「生きる伝説」とまで表現されることかも多かったりする。

私は伝説になるのはまだ早い、もっとたくさんの伝説を残すと思っているのだけれどね!

 

ゼッケンナンバーは46。アイドル的に言うとイメージカラーは黄色である(とにかくモチーフに蛍光イエローが多い。好きな色らしい)。

自身の二面性を表している表現する月と太陽モチーフがグッズのデザインによく使用されている。

私もロッシの影響で飲み会の席の靴箱ナンバーなどでやたらと46を使用したがったり、月と太陽モチーフのアクセサリーや黄色の小物を揃えたがるふしがある。

速さはもちろん、マシンの開発能力にも優れていることからザ・ドクターという愛称もあったりする。

加えて恵まれた長い手足と端正な顔立ち、さらに陽気で人懐っこいキャラクターも相まって、どこの国でレースを開催しようがめちゃくちゃに高い人気を誇るスーパースターなのです。

どこのサーキットも、年間通してずっと黄色の旗やロッシのグッズを身につけた観客が相当な数を占めている。

彼の母国で開催されるイタリアGPなんて、ちょっと信じられないほど、90パーセント以上はロッシファンなのではないかというほど客席が黄色いファンで埋め尽くされる(当然、マナー云々の話もいろいろあるけれど)。

この現象が、彼があまりに勝ち続けた頃から考えてもおそらく15年は続いている。

ちょっとした異常事態とも言える話が現実に存在しているのだ。

 

ロッシは現在38歳。そう、無邪気なキャラクターの彼も今や全階級のレースを含めた最年長ライダーになった。

割とぶっちぎりの最年長であり、アナウンスでも「最年長」と連呼されることは珍しくないけれど

何よりすごいのは、その最年長ライダーがなんと未だにトップ争いに絡む活躍を見せていることである。

 

モータースポーツ好きな父の影響で、学生時代からなんとなくレースを観ていた。

そのときいつ観ても勝っているのがロッシという陽気でかわいらしいライダーだった。

なんていうかあまりにあっさり勝っていたものだから、熱く応援するほどの興味が持てなかったほどだ。

そんなあまりに勝ちすぎていた時代に、新たなチャレンジを模索したのか(チームとの折り合いがなんちゃらという話もあったようだが正確には分からないので割愛)当時勝つのはほぼ不可能ではないかとまで思われていたかもしれないヤマハに移籍した。

いろんな風潮に流され、いくらロッシでもしばらくは勝てないのかな…と感じていた人もきっといた時期だった。

しかし彼はそんな周囲のおせっかいな心配を物ともせず、なんと開幕戦でいきなり優勝してしまったのだ。

本当にすごいことだった。

まだそれほどファンではなかった私すら、「ロッシはすごい。ヤマハで勝利。」と当時のブログに残したことを覚えている。

そのあたりからかなあ。気がつけばロッシの結果が気になって、ロッシが勝つと嬉しくて、ロッシが負けると悔しいと感じるようになったのは。

連続チャンピオンを逃した年も、「もうない本当にない ロッシがチャンピオンじゃないMotoGPなんていやだ…」と、今から考えるとめちゃくちゃわがままで他ライダーやファンに配慮のない文章をブログに残していたぐらいだ。

(そのとき勝ったライダーは、今年事故で亡くなってしまったニッキー・ヘイデン。ロッシファンゆえ当時はモヤモヤしたけれど、どう考えてもいいやつなことが画面から滲み出ていることにだんだん気づき、ヘイデンもすっかり好きなライダーになりました。亡くなってしまったのが本当に悔やまれるし悲しいよ。もうライダーが亡くなるのは見たくない。みんな元気でいてくれ。)

 

若手の台頭もあり、現在は以前ほど簡単に勝利することが難しくなったのは否定できないけれど 38歳の今年も表彰台の常連であり、すばらしいレース運びで優勝を飾った週もある。

「もう歳だから」「終わった」なんて全然思えない、まだまだ活躍してくれる期待とワクワクした気持ちをくれるライダーなのである。

 

元々強くて才能のあるライダーだから…というのはもちろんあるだろうけど、スポーツ界でこの年齢までトップ争いのできる力を維持できるのは 他のすべてを犠牲にするほど壮絶な、相当な努力が背景にあるからなのは容易に想像がつく。

MotoGPは世界最高峰レースのため、いくら体力や気力があろうが活躍が見込まれないライダーはそんなに長居のできない世界。

40歳を過ぎてなおレースを続けている(続けられている)人は現在いないし、もちろん38歳でこの結果とモチベーションを維持し続けるライダーもいない。

ましてやロッシは既に数々の偉業を成し遂げている。

「一般的には」いつ引退をしても心残りはないだろうと思ってしまう記録を残している。

精神と体力を削ってその世界に留まり続けなくても、彼はいろいろな方面で一生安泰なのは周知の事実。

それでもその世界に居続けるのは、もちろん地位と名誉のためなんかじゃないのは私でさえも分かる。

 

スーパースターゆえにアンチの数だってきっと少なくはない。

でも、そんな人たちだってきっと、ロッシの打ち立てた記録と走りと情熱を否定することはできないのではないのかと思う。

 

なぜこんなにロッシのことをいきなり語りたくなったのかというと、今日はそのMotoGPの日本GP決勝が開催されていたのですよ。

今年は私は行けなかったのだが、これまでも何度も現地のツインリンクもてぎに足を運んで生でレースを体感している。

そして、その日本GPの決勝にて…ロッシが前年に続いて転倒リタイアしてしまったんですよ…(涙)!!

……私が行かなかった年に両方転倒するなんて…私が行かなきゃダメなんじゃないか…!?とおかしな誤解をしたくなるほどショックで、しかもレースを観る前にその結果を知ってしまったものだから(SNSに流れてきてしまった。油断していた)その後の録画を観るのがちょっと、いやだいぶつらかった。

 

最近ロッシは怪我にも泣かされていて、久々に骨折でレースを欠場する事態にも見舞われていた。

2戦欠場が濃厚というほどの状況だったらしいのに、なぜか1戦のみ欠場で復帰したという、天才、無茶しやがって…なドラマを持っていたのだが、ここでこんなドラマは…つらいよ…!!

 

としばらく凹んでいたのだが、もちろん転倒したからといってロッシにがっかりなんてしないし もう世代交代なのかもなあ…なんてことも(ファンだからなのかもしれないが)思わない。

もしかしたら「いつも強くないとロッシじゃない」「どんなときでも圧倒的に速いロッシが好きだった」なんて人も中にはわずかながらいるかもしれないけれど、私はどうやらそのタイプではないみたいだ。

 

ロッシは私のヒーローだけど、それはただ強くて偉大な記録を持っているから…というわけではない。
いいときもそうじゃないときもずっと応援したい人なんだ。

 

彼はバイクが、レースが本当に好きなのだと思う。

MotoGPライダー最年長と何年も言われ続けて、30代も残りわずか。
既に多くのことを成し遂げたのに、それでも彼は挑戦と走ることをやめない。

情熱が失われていないのは、単純に好きだからなのだろう。

走ること、そして勝つことが。

世代交代だの若手に道を譲れだのもう勝てないだの、何も知らない外野が好き勝手いろんなことを言っても笑顔で交わす。
あるいはその悪口を受けて立ち結果でねじ伏せる。
親しみやすいキャラクターを武器に、ロッシはしたたかに、そしてとてつもない見えない努力でトップに君臨し続けるのだ。

 

そりゃあ、ファンとしては勝って笑顔のロッシが見たい。

でも今日みたいに転倒してしまっても、最終的に気になるのはケガがないかとか改善のヒントは見つかったのかとかそういう話だったり、「モチベーションが切れてしまわないか」という心配だったりする。

勝っても勝たなくても、ロッシのレースが好きで魅了されてしまう。

 

ロッシが完ぺきなコンディションで走れるなら、それと引き替えに自分が少し苦手なことに挑戦しても構わないとさえ思う。
私が何をしたって何を願ったってもちろん結果は変わらないのだろうけど、気持ちの上で「ロッシが頑張っているから私も」と思わせてくれるふしぎな存在なのだ。


またレースに向けて全力を尽くすロッシが見たいし、見られるのは分かっている。
でも、いつかは彼がMotoGPから去る日が来るのも分かっている。

たぶん本人が「そう」決断するときがそのときなのだろう。
モチベーションは切れてほしくないけど、もしいつか切れたとしても失望なんてしない。
ただそれが少しでも先であればと願っているし、そこは負けん気の強いロッシさんのこと。

外野の心配なんて本当に意味がないんだと思わせてくれる「その後の華麗なロッシ」を何度も何度も見てきているから、まだまだ続きがあると思っている。

 

いいときもそうじゃないときも好きだ。

でも、完ぺきなコンディションとマシンで思いっきり走って晴れ晴れした笑顔のロッシが見られたら、私はまた嬉しすぎて泣くだろう。

 

ヒーローの生き方をずっと見続けていける幸せ。

応援する以外の選択肢がない。

ファンってそういうものだよね。

他のスポーツ選手でもドラマチックな人生を送っている人はたくさんいる。
でも、私は彼が描くドラマが特別好きみたいだ。

これからもそのドラマを泣いたり笑ったりしながら見続ける、数多くの観客のひとりでいさせてほしい。

 


来年の日本GPは絶対行くよ。

ロッシが今日の走りを懐かしんで笑えるぐらい楽しく走れますように!

 

 

【おまけ】

こっそり画像をいくつか。

https://www.instagram.com/p/BGUG4EUL8KE/

2009年と2016年のカタルニアGPにて勝利したロッシ。ポーズが同じ…(涙)!

 

https://www.instagram.com/p/BVxKO8PhWJ7/

今年勝利したオランダGPでの最高の笑顔!!

この本当に嬉しそうな顔がまた見たい。

何度勝っても何度タイトルを獲っても、優勝の喜びは格別なのだね。

 

https://www.instagram.com/p/BV3O-uOh6Br/

ロッシさんの見事なてへぺろ

115勝しても無邪気に喜びまくる38歳のベテランライダーが私は大好きです。

 

https://www.instagram.com/p/BWztAK8BwY9/

とてもとても好きな写真。

今より少し若いロッシさんですね。なんという美形。

これでめちゃくちゃ速いとかどんな二次元だ。

ちなみに、漫画ワンピースのトラファルガー・ローというキャラクターは彼がモデルだとまことしやかに囁かれている。

噂が出始めた頃、ローを知らなかった私はネットで検索をした。

あ、これは似…せてますね…?黄色いシャツ着てる画像とか出てきたよ…?

さらにローの設定(?)が医者であることが分かりますます確信した。

そう、先述したようにロッシのニックネームはザ・ドクターなのだから。

【受賞のお知らせ②】SMAPについて書いた文章が音楽文.comの月間最優秀賞を受賞しました!

昨日のお知らせに続きますが、タイミングを狙ったのではなく偶然です。

実は先月、このブログにも掲載したSMAPの文章を「音楽文.com*」というロッキング・オンの投稿サイトにも投稿していました。

*音楽文.comとは…音楽について書きたい、読みたい人のための投稿サイト。平日ほぼ毎日、音楽好きたちの熱い文章が更新される。元々は定期運用されるサイトではなく、たまに行われるコンテスト的なものだったが反響を受け投稿形式に。

 

内容は9月9日のブログ記事とほぼ同じなのだけれど、音楽文はファン以外の音楽好きにも目に留まりやすいだろうな…と、より分かりやすいように加筆修正をしているのですが

なんとそのSMAP文が、サイトの月間最優秀賞を受賞しました!!!嬉しい。
SMAPファンのみんな、そしてSMAP〜!やったよ!!!!!


▼掲載文はこちら!

 

▼受賞作品一覧(本日月間賞が発表された。他の方の文章も本当に面白いのでぜひ)
2017年10月・月間賞 | 音楽文 powered by rockinon.com

 

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記念スクショ。

 

f:id:megumirai_words:20171010215905j:image

 

記念スクショ2。やったあ!

あ、でも今月の最優秀賞はひとりではなくもう1作品あるので、厳密にはいちばんとかそういうアレではない。やはりナンバーワンではなくオンリーワンなのだな(??)。そんなところでもSMAPが…!

 

音楽文、の宛先からメールをいただいたとき、あ、もしかして入賞したのかな?やったーと読み進めていたら「最優秀賞」の文字が出てきて素で「えっ!?」と声が出ました。近くにいた男の子がびっくりしてこちらを見ていた。

いやー、個人的な話になるのですが

「賞」しかも「最優秀」と呼ばれる評価をいただくことが続くなんてこと、人生で経験がなかったので…盆とクリスマスとハロウィンと正月がいっぺんに来たレベルでハシャぎ喜んだし今も喜んでいます!わーい!

そういえば小学生時代に運動的な市内大会の二重跳び部門でなぜか優勝(なんか100回以上跳んでいた)したような気はするのですが、それ以来の賞なのではないでしょうか…!?資格も中学3年時に取った英検3級しかない、運転免許もない、履歴書に書けることなんて何もない…そんな私が…!

あー、書いて良かった。

書きたい気持ちが自分の中にあって良かった。

そして何より、書きたいぐらい本気で向き合いたい出来事があることが嬉しい。

 

いつ見ても熱くすばらしい音楽好きの文章ばかりが並んでいる音楽文.com。特に最優秀賞に選ばれた方たちの文章がほんとに読ませる力がすごくていつも驚いていた。あんな文章を書けたらいいなあと、いつか自分の文章を送ることがひそかな憧れでした。

そもそもこの音楽文という存在を知ったのは第1回目の受賞者発表時。まだ定期運用サイトになる前の文章コンテストですね。

そのとき、受賞作品の年齢を問わないクオリティの高さに本当に衝撃を受けた。特に「高校生から見たキング・クリムゾンという作品が面白すぎて脱帽して少し嫉妬した。こんなふうに「自分が見た世界」を書けるなんて、思い出を残せるなんて、いいなあ!と思ったものだった。

☆ちなみにこちらの作品です。一気に読むのがおすすめ。

高校生から見たキング・クリムゾン(ウンババ) – 第1回音楽文 ONGAKU-BUN大賞最優秀賞 | 音楽文 powered by rockinon.com

 

☆過去の受賞作品にもSMAPが。この方の文章も本当にすばらしく私は泣いた。

26年目のOnly oneへ。(小泉麦) – 第3回音楽文 ONGAKU-BUN大賞最優秀賞 | 音楽文 powered by rockinon.com

 

その頃の私の心境はこうだ。

「世の中にはこんなに『書ける人たち』がいるんだ…」

さまざまな文章に触れられる楽しさと、こんな文章が書いてみたいという憧れと、こんなに書ける人がいるなんて…という軽いショックが同時に発生していた。

みんなの熱さがあまりに眩しくあまりに脅威だった。

私も書くことは好きだ。でもこんなにしっかりした文章も熱い文章も書けないだろうし、書きたい対象も今は分からない。そんなんで「書くことが好き」なんて言っていいのかな…?と後ろめたくなることもあった。

 

だから私はずっと「書かなかった」。

いや、書けよ。と思うけれど、当時の私は書かなかった。

仕事でいっぱいいっぱいだったこともあるかもしれないけれど、いちばんの理由はそれではない。

何よりの理由は「書かなければ、書けないことで苦しむことも自分に失望することもないから」だった。

 

このサイトに送れるほどすごい文章は書けない。そう結論づけながら、軽やかに熱く言葉を操る人たちをときどき眺めていた。

書きたい気持ちを抱え、書くことから逃げる。ずっとぼんやりとした切ない気持ちを心の奥に飼いながら、ただ憧れているだけだった。

その憧れがこんな形で現実になった。

 

「あのSMAPブログ」を書き上げたあと、

「この文章なら、あの場所に送れるかもしれない」とふと思いついた。

あの場所とは、もちろん音楽文.com

9月8日の木村拓哉のラジオを聴き「書きたい」と気持ちが明確になり、それまで書いていた9月8日と9日に関しての文章を全て破棄し、ほぼ寝ずに朝方までかかって書き上げたあのSMAPブログ。

ここまで本気で向き合った文章なら、送っても恥ずかしくないぐらいの「熱いもの」になっているかもしれない、と思った。

サイトに誰でも文章を送れることは知っていた。だから、自信がなくてもとりあえず送ってしまえばいいことも知っていた。

でもそれではだめなのだ。そのスタンスでは私の中でオッケーを出せなかった。

送るならば、「恥ずかしくないぐらいの恥ずかしさ」を持った文章が良かった。なんていうのかな、恥ずかしいぐらいに自分の感情を晒しながらも勢いだけではない、俯瞰した文章が書きたかったのだ。

熱い文章を書くみんなと読んでくださる方に敬意を表したいから。

そう。私の力というより、彼らとそのファン、そして音楽好きのみんなが書かせてくれたんだよ。

 

とはいえ、送るのはドキドキしたなあ。

「本当にこのレベルで送っても大丈夫かな?掲載対象になるのかな?」と、ブログを公開してからもかなりの時間をかけて投稿用の文章を推敲した。

「応募用 FIX」と書いたメモがどんどん更新されて、全然FIXじゃないというね(仕事っぽい用語をたまに敢えて使って楽しんでいます)。

読まれる前提の文章って緊張するよね。でも、相手を想像して書くことって本当に書き甲斐があるし楽しいし、責任を感じる。言葉と向き合うのは楽しいけれど一種のスポーツのようだと感じることがある。書き上げるまでは睡眠時間や食事の時間さえ惜しくなってしまうのだ。

なぜずっと書くことが好きなのか。自分でも分かりきっていないところはあるのだけれど

文章という形を借りて「相手に届ける」ことが好きなのかもしれない。

 

SMAPファンの方はもちろんのこと、ファン以外の方にも読みやすいような構成を心がけたので、最近(少し前の話ですが)の彼らがどんな感じなのか気になる方にもぜひ読んでいただけたらと思います。

特に…特に木村拓哉への俺様キムタク的偏見がなくなればいいなと思います!ほんとに。

 

フェスに通しで行けるほどの賞金までいただけるとのことなので、ますますライブや音楽へ投資したいと思います。笑
ロッキング・オンさま、SMAPファンのみんな、音楽好きのあなた、そしてSMAP

私の憧れを現実に変えてくれて、本当にありがとうございました!!!


今年はある時期から「プライベートでもどんどん書く」「書くことから逃げない」と目標を掲げていたのだが、それがこんなに目に見える形の嬉しい結果を運んできてくれるなんて…勇気を出して、準備を惜しまず、恥を背負って応募してみるものだな…!と思ったのでした。

 

もしファン以外の方がこの文章を読んで、ゴシップ誌が誘導したともいえるSMAP報道や木村拓哉の印象に少しでも変化が起こったとしたら本当に嬉しいなあ(まあ、受け取りは個人の自由にはなってしまうけれど)。

 

【ちなみに】

「あのSMAPブログ」はこちらです。

どこが音楽文の文章と違うのか…気がつく方は相当なマニアです。最高です。

【受賞のお知らせ①】「Dr.ウィラード」のコンテストで最優秀賞をいただきました。普段は言わない肌コンプレックスについて。

長年愛用しているスキンケアブランド「Dr.ウィラード」のコンテスト「Dr.ウィラードと私」で、なんと最優秀賞をいただきました!
夏に連絡をいただいていたのですが、サイト公開に合わせてご報告。
こちらが掲載ページです(ただし短いバージョン)。

スマホ

www.willard.co.jp

 

▼PCの方はこちらへ

ウィラードと私 | Dr.ウィラード・ウォーター

 

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私物のスニーカーまでイラストで再現されていて嬉しかった。かわいい。ありがとうございます!

 

Dr.ウィラードとは

私がアトピー性皮膚炎の症状で苦しんでいるときに出会ったスキンケアブランド。元々アトピー体質なのですが、当時は人生何度目かのつらい時期でした。もしかしたら美容雑誌などで広告を見たことがある方もいるかも。歴史は約30年と結構長い。防腐剤フリー、合成着色料も合成香料もアルコールもフリー。水だけどただの水じゃない的な化粧水を筆頭に、敏感肌でも使いやすいラインナップが揃っています。

 ▼オフィシャルサイト

www.willard.co.jp

 

他にもいろいろな要因はあるとは思うけれど、こちらの製品を使い始めて以降ほんとに生活が楽になったので 怪しい勧誘ではなく感謝的な気持ちで紹介します。 個人的には自信をもって良い製品だと言えるけれど、これを使うと絶対に良くなるよ!という無茶な誘いではないので誤解なきよう。
ちなみにこちらだけではなく他の製品を並行している時期もあるので、今後のブログでも違うブランドの話は出てくると思います。ただ、メインはずっとこのブランド。なくなったら本当に困る。

 

完治ではないけれど、果てしなく楽。

文中にも記したけれど、肌疾患が完全に治ったわけではないです。
今も実は軽いアトピーと持病のひとつである掌蹠膿疱症の症状が出ているし、それがしんどくてネガティブなブログを書いていたけどまだ投稿していないし、炎症が悪化するとすぐに生きるのがつらくなるのでこの賞をいただいたことに少しの申し訳なさはあるのですが(絶世の美肌なのね!と思われていたらどうしようと…)、ほぼ普通の生活が送れていることが嬉しいってことなのです。炎症起きていてもこの製品はほとんど沁みないのもいい。

 

実はもっと長いので全文公開します

WEBサイトに掲載いただいている文章は、応募時のものから編集を加えています。
応募時の原稿が約5,000文字近くと「あまりに長すぎたため」掲載枠に収まらず(笑)、ライターさんのお力を借りてリライトいただいたり私自身も編集に参加させていただきました。
その文章を見ていただくだけでも大体の流れは分かるのですが、元の原稿ではもっと掘り下げて…というか、もっと「そうなるまでの過程や背景」に触れています。併せて「もっと暗い」けど。つらかったときの詳細もあったりする(実際はもっと想像を絶するであろう症状だったが、グロテスクな表現は控えている)。

でもたぶん私の伝えたいことを網羅できているので、ここで全文バージョン(あ、でも商品リクエストなどの追伸はカットしました。復活してほしいアイテムがあって…笑)を公開します。
実は夏に受賞のお話をいただいてから、いつかブログを作って全文紹介したいなあと企んでいたのだけどね。実現できて良かった。スタッフの方には許可済みです。

 

「絶対」はないけれど、選択肢のひとつとして

ただし、あくまで私の体験談。
アトピーや肌トラブルで悩んでいる方に、これが絶対、という言葉はなかなか使えません。私も経験者だからこそ、言えない。
でも、もし選択肢のひとつとして手に取ってみようかな…と思う方がいたら、1か月じゃなくて3か月は続けてほしいかもと思う。私はそれで変化が見られたので(気持ちの部分ももちろん影響があったのだろうな)。

同じ方法でも、同じ方法じゃなくても とにかくみんな肌が綺麗になればいい。アレルギーも掌蹠膿疱症も、当疾患(?)には申し訳ないがこの世からなくなればいいなあと思う。けれど、きっと何かのバロメーターでもあるからね。無茶しすぎずこれからもやっていきます。

 

肌のことで悩んで本当につらい人に、普通に生きられるぐらい良くなった例もあるって少しでも知っていただけたらいいな。本当につらいときはどんな言葉も響かないかもしれないけれど、無責任になってしまうかもしれないけれど、希望を少しでも感じていただけたら本当に嬉しいです。もし私もまたつらくなったときは、この事例を自分にも言い聞かせて生きます。生きないと皮膚再生のチャンスもないから…(いや大真面目に)。


今日明日で良くなるものじゃない。だからきっと明日がダメでも希望はある。
つらい人の症状が未来で嘘みたいに改善していることを本当に願っています(…後回しで良いので私の今の症状も良くなれ~)。

 

肌の悩みが「ない方」へ伝えたいこと

そして、生まれつき肌が丈夫だったりとてもきめ細かったりする方、肌の悩みのない方の中に「何か楽しいことないかな、最近いいことがない」と思っている方がいたら…「肌が普通なだけで、まずベースがすばらしく幸せで恵まれた状態」であることに気付いてほしい。もちろん、肌は綺麗でも他の病を抱えて苦しんでいる方を対象にした思考ではないよ。
学生時代、肌も綺麗で友達もたくさんいてとても充実した生活を送ってるように見える子たちが「なんか楽しいことないかな」「最近つまらない」というような台詞を口にしていたとき(結構いたんです)、本当に切なかったんだよなあ。
何もかも、少なくとも私の欲しかった全てを、既に手に入れているよ。


ではここから受賞作(受賞とか縁がなかったので言いたがり)の全文です。関係者の方々もこの長文を読んでくださってありがとうございます。受賞連絡の際に私のほうが「深く感銘を受けました」とお礼を言われたり、「困っている方を助ける社会的な使命感をより実感しました」「涙を流して読んだスタッフも」など嬉しい言葉をいただいて、書いて良かったなあと思いました。これからも書くぞー、いろいろなことを。あ、でも大層なことは書いていないのでハードル低めで見てね。

 

___________________________________

【全文】

ウィラードに出会い約15年。

ずっとお礼を伝えたいと思いながらも、何から話せば良いのか…私の中でとても重要な出会いでしたので、あれこれ考えすぎてしまいご報告が出来ないままでいました(いつも無言のネット注文ばかりで失礼いたします…!)。
今回の募集を見て「このタイミングで書くしかない!」と使命感のようなものを勝手に感じました(笑)。少し長くなってしまいますが、この機会に改めてウィラードと過ごしてきた15年間や、それまでの自分を振り返ってみたいと思います。

 

私がウィラードと出会ったのは、高校を卒業して間もない18歳の頃。アトピー性皮膚炎の症状に悩み、家に籠もりがちの時期でした。
33歳の今からすれば「18歳か、若いなあ」と思いますが、アトピーや肌の悩みの年数に関してはその頃からある意味ベテランの域に達していました。

 

自分の肌は、周りの子たちと比べてあまりに違うようだ」と自覚したのは小学校高学年。

それまでも軽いアトピーはあったものの、高学年になるにつれ症状がどんどん悪化。心配した両親とも相談し、脱ステロイド療法(ステロイド剤を使わずに症状の改善を目指す治療法)や良いと言われる無添加化粧品など、今より良くなるかもしれない…と思ったことは何でも試しましたが、期待通りの結果は得られず落ち込む日々。

鏡を見るのも辛い、プールや汗をかく体育の授業も辛い、朝起きると体が傷だらけで辛い。中学時代には常に自分の肌が頭から離れない生活になっていました。

 

高校時代には、幸い見た目にはアトピーと分からないぐらいまで症状が改善していました。

が…実は服に隠れた部分や手指には重い症状が残り、顔や腕にも突然じんましんが出る厄介な体質に。当時はそれをとにかく悟られないように必死の毎日でした。

毎日入浴や通学が憂うつになるぐらいの症状でも、出来れば人には気付かれたくない。学校に遅刻しても「アトピーやじんましんが辛いから」とは言えず ちょっとサボりがちなキャラでいいと思っていました(笑)。

今から考えると、「そこまで頑なにならなくても」とは思いますが、若さ特有の感情もプラスされたのかもしれません。とにかく何より、自分がアトピーだと気付かれることが嫌でした。

 

ほとんどの時期が周囲の人たちに恵まれ、どんな肌の状態でも「普通の学生」として接してくれたことは救いでした。それでも…今思い出しても、あの頃はしんどかったです。

何をしても肌のことが気になり、何をしても肌の綺麗な人が羨ましい。

本当はアトピーのことなど気にせず、ただオシャレをしたり友人と恋愛話やショッピングを楽しんでいたかったのに。

「なんで皆は何もしなくても肌が綺麗なのだろう?」という羨ましさから逃れられずにいました。

もちろん肌のトラブルがなくても、それぞれが様々な辛い出来事を抱えているはず。でも、当時の私はそこまでの考えに至る余裕もありません。

とにかく「人を羨む」毎日でした。

(あの頃仲良くしてくれた友達、もし気を遣わせていたらごめんなさい!)

 

その頃の一番の夢といえば、「肌が綺麗になって、普通の生活を送りたい」。

大げさではなく、それ以外のことは考えられませんでした。憧れの職業や夢もありましたが、人前に出る職業は出来ないかもしれない…と、チャレンジしてもいないまま 気が付けば口にすることはなくなりました。

 

そんな背景からどうしても明るい大学生活を過ごせる自信がなく、進学はしないことに決めました。

また「そこまで頑なに以下略」と自分に突っ込みを入れたくなりますが、当時の私は大まじめに、高校を卒業して早く療養をしたいと思っていました。

19歳当時のブログを読み返し、文章をいくつか抜粋します。

 

「わたしが大学に行かなかった理由は高校3年時にアトピーがひどかったから。」

 

「パッと見はそこまでひどくなさそうなのだけど、楽しんでるように見えたかもしれないけど 実際はとても大変だった。」

 

「毎日を生きることで精一杯だった 朝起きて夜眠るまで全てが闘いだった。」

 

「卒業したらしばらく治療に専念したい どこにも行かず家でしばらく休みたい。人目に触れる環境に自らを置くことがいやだった。」

 

「これは未だにほとんど誰にも明かしたことがないのだけれど。もし入学したとしても、またアトピーがひどくて家から出られなくなったら全てが無意味だ。親に払ってもらったお金、それ全部無駄にすることになる。そこまでする必要ない。」

 

「少し症状が落ち着いたので卒業後は雑貨屋でバイトした でもそこも休みがちだった。だけど学校よりは遥かにマシだと思った 同年代の人に自分を見られたくなかった。あの頃のわたしはとにかく「学校」という場所でたくさんの人に自分を見られることがいやだった。」

 

ちょっと自意識過剰すぎる部分もありますね(笑)。自分が思うほど、人は自分のことを見ていないものだと今は感じますが

結局のところ、「自分で自分を見たくなかった」が一番の理由だったのだと思います。

 

晴れて(?)たくさんの人と顔を合わせずに過ごせるようになった卒業後は、食事のとき以外電気を消した部屋で過ごしていました。それももちろん、自分の姿をなるべく見たくなかったからです。

(書きながらも本当にあの頃の自分の精神状態が心配になりますが、今、こうして元気に過去を振り返れていることが感慨深いです。)

ウィラードウォーターを知ったのは、そんな限界に近い時期でした。

 

「いつまでこの生活が続くのだろう」

「何をすれば良くなるのだろう」

 

毎日卑屈になって絶望する私に、「もうこれを試してみるしかないんじゃない?」と母親が勧めてくれた化粧品。

それがDr.ウィラード・ウォーターでした。

実は、私もその少し前からウィラードを知る機会があり興味を持っていました。何かの雑誌で見かけた「水」の文字と、シンプルなボトルの写真。化粧品の情報に敏感になっていた私は、その広告が忘れられずにいました。

何だかとても高級そうで、そして安全そう。「水」なのだから、刺激もないはず…でも水なのに化粧水ってどういうことなのだろう?あ、怪しくはないよね…?←ごめんなさい!笑

でも、私の肌はこれまでどんな良さそうな化粧品も合わなかったからなあ…

 

期待したい気持ちと、今回もダメだったら…の気持ちが交錯しましたが 考えた末に決めました。

 

「これが最後だ。」

 

これが最後。15年経った今でもハッキリ覚えています。なぜか私は、ウィラードを「化粧品ジプシー」そして「綺麗な肌への憧れ」のラストチャンスにしよう、と覚悟したのです。

またまた「そこまで頑なにシリーズ」にはなるのですが、もう肌が改善する夢を見たり期待する生活にも限界を感じていたのだと思います。

「これで良くならなかったらもう、本当に良くならないかもしれない。そのときはもう、今世で綺麗な肌はあきらめよう。そのまま生きていくしかない。…その代わり、本当にもう無理だ!と思うまで根気よく続けてみよう!」

そんなことを考えながらお試しセットを注文しました。懐かしいです。

 

到着後、さっそく謎の覚悟と決意のもと、ウィラードウォーターやスキンジェルを使い始めました。

最初はウォーターのさっぱり感だけでは全く潤いが追いつかず、これでもか!というぐらいに重ね付けを繰り返す日々。乾燥はするものの、傷や湿疹がある肌にもあまり沁みることなく快適な使用感。

これはいいかも!とすぐに感じましたが、実は1ヶ月ほど経っても症状にはあまり変化なく、むしろ悪化したように見える時期もありました。

またダメだった…?と落ち込みながらも、「肌が新しい化粧水に対応しきれていないだけかもしれないし、私にはもうこれしか試せるものがない(という個人的決意)」と、なぜか気持ちは前向きのまま、とにかく暇さえあればウォーターをシュッシュッと全身にスプレーしていました。ウォーターは水なので、掻き壊した傷がたくさんあるときでも沁みにくいのが本当に心強かったです。

 

来る日も来る日もウォーターを使い続け、約3ヶ月。なんとその頃には肌のほとんどの部分が「普通」になっていました。

そして、それは15年経った今でも続いています。

正確には「完全に治りきった」わけではなく、あくまで症状が出ることが少なくなった…ということにはなるのですが、日常ではアトピーであることを明かさない限りは人に気づかれることが(多分)ありません。

 

特別食事や生活を変えた覚えもありません。ただただ謎の前向きな気持ちでウィラードを使い続けていました。

普通の肌。それが何より、アトピー肌にとっては劇的なこと。

肌が改善された経緯をここで詳しく記載したかったのですが、どのように肌が改善されたのかあまり覚えていないのが正直なところです。

とにかくウィラード製品を使い続けていたら、肌のことを考える時間が減っていました。

いつのまにか部屋にも煌々と明かりが灯るようになっていましたが、いつ自分が部屋の電気をつけるようになったのかも正確には覚えていません。もう少し詳しく書きたいところなのに、ドラマチックな展開ではなくなんだか申し訳ありません(笑)。

 

「もしかして、普通の肌っぽくなれた?」


18歳だった私は半信半疑のまま友人と出かけ、写真を撮ってみました。

写った自分の姿は、本当に「普通」でした。信じられませんでした。

 

その「普通」をずっと願っていました。

本当に嬉しかった。

そして、その時点で私の人生のほとんどの夢が叶ってしまいました。

それからはもう夢の続きを見ているような気持ちです。20代を待たずして、ある意味悟りの境地に入りかけました(笑)。

 

肌以外のことを考える時間を持てる普通。痛みや痒みがないから、他のことに集中できる普通。

私の人生のほとんどの悩みを占めていたことがなくなった普通の世界は、最高以外の何物でもありませんでした。

それからは、普通の肌の人たちは、こんなに快適な生活を送っているのか…と驚きの日々の繰り返しです。

 

肌について良い反応をいただけることが増えても、最初は疑心暗鬼でした。どんなに肌の悩みが消えて快適な生活が送れていても、それでも自分の肌が綺麗なのか分からないままの日常が続きました。

「肌が綺麗」と言ってくれる人に出会っても「そんなはずはない」とさえ思ってしまったり、うっすらコンプレックスが残ったままなのです。

でも「自分がアトピーだと気づかれない」「肌をほめられる」体験が一度や二度ではなく、そして何より「自分で自分の姿を見ることが苦ではない」ことが、変化の証明なのだと思います。

 

あれから15年。


実はそれから掌蹠膿疱症という手足の疾患に苦しむことにもなるのですが(これも話せば長くなりますのでまた別の機会に…)、こちらは病院での治療とウォーター使いを並行し重症をまぬがれました。本当に良かったです。

さて、15年前と比べて信じられないぐらいに快適な生活が送れるようになったので、旅行やライブ、ランニングなどアクティブな趣味も増え 現在は働きながら趣味を満喫する日々を送っています。

汗をかいても大して気にならない、水に濡れてもすぐにバリバリに乾燥しない、痒みや痛みにイライラせず予定が組める。ものすごく楽です。旅先やフェスにも、もちろん必ずウィラードを持参します。

夏にお気に入りの使い方を少し紹介すると、特に日焼けしそうな場所へ必ず持って行くものが、ウォーター、アクアサイエンスカバー、夏季限定のサマースキンジェルにうるおいチャージマスク。予め紫外線を浴びると分かっている日には、絶対にサマースキンジェルとパックを持参します。

これでもかというほどにウォーターを全身にスプレーした後、パックを約20分。その後、アロエスキンジェルを多めに塗り、モイスチュアクリームで締める。日中も気付いたときにウォーターとスキンジェルを塗るように。

2日間このスペシャルケアをすると、日焼けした!と思っても回復が早く感じます。旅行に行った感が少ない、と言われることもありますが…(笑)

ちなみに乾燥しがちな秋や冬には、ちょっと贅沢にスーパースキンジェルやクリームウィラードを使うのがお気に入りです。

 

肌が「普通に綺麗」になることが自分の人生の最大の夢だったので、ウィラードに出会ってその夢がほとんど叶ってしまいました。

これまで様々な場面で将来の夢や目標を聞かれても本当の意味では返答に困ってしまった理由は、肌の悩みやストレスがなく普通に生活できることがとても幸せなことだと知ってしまっているからだと思っています。

裏を返せばそれ以外に辛いことが少ない生活ということで やっぱり恵まれているのかもしれませんが、今振り返ってみても、あの酷い症状に泣いていた頃に戻ることは怖いことなのです。

今、あの頃の自分に「夢、叶っているよ」「普通に生活できているよ」と言ってあげたいです。

 

肌には少しぐらいお金をかけてもいい。そうすることで普通の生活が保てるのなら、それが自分にとって幸せなこと。

だから少しお値段が張っても、ウィラードをやめようと思ったことはありません。

もちろん肌が改善した理由は化粧品だけではなく、家族の支えや優しい友人に恵まれたこと、他の様々な要因が上手に作用した結果かもしれませんが、それでも振り返ってみて ウィラードを使い始めてから明らかに生活が快適になったことはハッキリと言えます。

 

ここまで、劇的とも言える自身の体験を話してきました。でも実は今でも、元々のアトピー体質が完全に治ることはおそらくないと思っています。ウィラードを使い続けて肌が強くなった実感はありますが、季節の変わり目やストレスのある時期などはやはり様々なトラブルが起こることもあります。

でも、あの頃とは安心感が違うのです。

「とりあえずウォーターをスプレーしておけばいつのまにか治っているしな」と思える症状がほとんどなので、なんというか 肌について重くなりすぎないでいられるのです。

お守りのような安心を得られたことが、私の症状を安定させた理由の一つなのかもしれません。

 

もちろん合うものは人それぞれ違うので、私と同じような劇的な改善がアトピーに悩んでいる方全てに起こるとは限らないとも思います(それがとても悔しく難しいところなのですが…)。

思いますが…もし。もし本当に化粧品ジプシーに疲れてしまっていたら、一度ウィラードを試してほしい…とも考えています。

アトピーと思われる方や肌のトラブルを抱えている人を発見するたびに、話しかけたい衝動に駆られることもしばしば。辛さが分かるだけに、安易に声をかけることもできないですが

絶対に良くなってほしい、もし頑張れるのであれば、まだあきらめないでほしい。何もできない自分にもどかしさを感じながら、いつも心の中で必死にエールを送っています。

 

私は症状がいちばん辛かったとき、本当に生きることすら嫌になってしまいましたが

「いま生きることをやめたら、肌が回復しなくなる…せっかくなら、綺麗な肌になってから…」の気持ちで乗り越えてきました(自分の楽観的な思考にときどき感謝します)。

いつか本当に、世界中の人の肌のトラブルがなくなればいいと思っています。

 

10代で肌が大変な状態だったので、一般的に肌のトラブルや衰えに悩み始める20代後半から30代を迎えても、特別ショックなことはありません。

むしろ、歳を重ねるたびに酷い症状の自分から遠ざかっていきます。

歳を重ねることが、少なくとも肌に関してはむしろ楽しみにさえ感じるのは、やはりウィラードと出会えたおかげだと思っています。

 

これからウィラードと一緒に歳を重ねることが楽しみです。

人生の節目となる出来事やワクワクする出会いや発見もあるかもしれませんし、喜びも悲しみもどんどん経験していくと思います。

いい時期ばかりではないかもしれません。

それでも、どんなときでも「肌はこれがあれば」と思える製品に出会えたということは、大げさではなく人生の悩みがひとつ減ったことと同じです。

 

「Dr.ウィラード・ウォーターと私。」

改めてメッセージ募集のテーマを振り返ってみて伝えたいことは…

「私にとってあなたは、まるで相棒のように、これからもずっと傍にいてほしい存在です。」

これからも、どうぞよろしく!

 

 

スタッフの皆さま、15年間お便りも出さずに本当に申し訳ありません。そして、ありがとうございます!これからもどうぞよろしくお願いいたします。

___________________________________

最近の写真を数枚添えて送りました。
締切時間ギリギリまで悩みながら書いていた。間に合って良かった。

 

ここからはあとがき的な裏話とおまけを。


裏話①

本当にいつかお礼を言いたいと思っていたので、募集を知りこれだ!このタイミングしかない!!とすぐに応募を決意。構成から考えると仕上げるまで1か月ほどかかりました。箇条書きにした最初のメモを見るだけで少し泣けてくる。自分で泣くんかい。

(参考)

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裏話②

賞に選ばれた場合の賞品が魅力的すぎて(製品1年分など)、これは…入賞したいなあ……と思ったことは事実なのですが、まさか最優秀賞をいただけるとは本当に予想外でした。
正直書く前は、最優秀賞とまではいかなくても入賞の20名には入りたい!と意気込んでいた。でも、賞に捉われすぎてしまうと「上手く書こう」と構えてしまい、伝えたいことの本質がブレてしまう気もした。なので書き始めてからは入賞するかしないかは気にせず、ただ「伝えたい、届けたい」一心で向き合いました。

評価されてもされなくても、伝えたい人に届けることがいちばん大事。その気持ちをこれからも忘れずにいたいと思います。

 

【おまけ】

送った写真の一部はこちら。

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半袖が着られるってとてもすごいこと。


賞品が届いたときの私の浮かれ具合。 

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(ノースリーブが着られるとかありえなかった。まあ二の腕をなんとかする課題などはあるし今は季節の変わり目で少し湿疹出ているのですが。)

化粧水、クレンジング、ソープ、ジェル、クリーム。いつも使っているアイテムたちがどーんと1年分!総額を考えると…ううう、ありがたい…さっそくめっちゃ使ってます。

 

本当に素敵な賞をありがとうございました!!

心が濁っているときはaikoに限る。私が「彼ら」の音楽を聴けない日

ある朝、気がついたらこんな短文を作成していた。感情を書きなぐっているだけの短文は細かい心の振り返りに役立つ。

 

「心が濁っているときはaikoに限る。どんなことを思っていてもaikoならその綺麗じゃない後ろめたい感情も言葉にしてくれている。異性が歌うキラキラした歌を聴くとごめんなさいあなたたちの思うような女の人像じゃないんですと思うから、こんなときはaikoがいい。aiko自体はキラキラしているのだけどね。」

 

そう、今日はaikoの話をさせてほしい。
熱狂的なファンではないかもしれないけれど、私はずっとaikoが好きだ。高校時代から数えてもう15年以上は好きだ。


好きな音楽は、このブログを何回か見てくださっている方ならお気づきかと思うけれどたくさんある。特にエレカシ(彼らについてはまだあまり書いていないがとても好きなのです)やスピッツSMAPの音楽が好きでよく聴いている。トライセラトップスクロマニヨンズ、MIKAや小沢健二も好きだし、最近ではビッケブランカというミュージシャンが気になっている。

でも、そんな私がそれらの音楽を聴けないことがある。というより、なぜだろう異性が歌う歌全般を聴けない時期がある。
それは大抵、心が濁っているときだ。

 

理由は割愛するが、さまざまな要因が重なって ここ数日ちょっと疲れていた。
疲れていたし、体の不調が続いてどんどんネガティブになるし、少し愚痴も言いたくなっていたし、ムカつくこともあったし、どこかに吐き出したいけれどこれを吐き出したらちょっとブログですらマズいな…という心の濁りが見て取れた。

私はそんなとき、異性の歌う歌が「女の人に優しすぎて」少しつらくなるのです。 

 

主観だが、男の人は女の人という生き物をとてもいい感じに美化してくれていることがままあると思っている。
男の人が歌う女の子の歌は、大抵がかわいくて優しい性格だったり謎めいた小悪魔ふうな恋愛上手だったり忘れられないほど魅力的な何かを持っていたりする。
まあエレカシは少し違っているというか、なんかもう近年では母なる大地よ…的な大きい慈愛の対象として女の人を見ている歌(めっちゃ雰囲気だけの例えですみません)が多い気がしてならないけれど。宮本さんにとって女の人というのは特に神聖かつ謎めいた存在なのかもしれない。

 

SMAPなんて、女の人を応援する『Dear WOMANという名曲までリリースしている。その曲では冒頭から

 

君がどんなに否定しても

本当だから揺るがない

「君はとても美しい」という真実


とまで歌い、まるごと女という生き物を肯定してくれようとする。
なんか、なんか、申し訳ない。
そこまで言ってもらえるほど、私の心は美しくない。そう、たぶんここで言う美しいは特に「心」を対象にしていると思うのだけれど、そんなふうに言われるほど頑張ってもいないし清らかな心でもないよ…と思ってしまうことがあるのだ。
確かにそういう肯定に値する素敵な女の人もたくさん存在するだろう。みんなの憧れの対象となるような人、不満も何も言わずに頑張っている人、大切な人の支えになること、守るべき存在のために自らのことは後回しにしてしまう人、エトセトラエトセトラ。
そういう方の話をしているのではない。
これはあくまで「私、そんなんじゃないのに大丈夫?」と危惧する自分の話です。

頑張っているときばかりじゃない。かわいい性格のときばかりじゃない。オシャレに身が入らないときだってある。愚痴を言いたいときだって、あの人いやだなと思ったことだって、(私の中では)あるに決まっているだろう。

オンもオフも、女の人のかわいい部分だけ。ずっとそんな心持ちで生きてこられたわけないだろうと、たまに後ろめたくなるのだ。
そんなわけなので、こんな心のまま、女の人を素敵な生き物だと思っているような、人をまるごと(じゃないのに、まるごとだと誤解している人たちの)肯定してくれるような歌は聴けない…!と影に隠れたくなるときが、あるときはあるのです。

 

少し話は脱線するが、ある出来事と曲をセットで記憶してしまった経験はないだろうか。私はある。
乙一という作家のオムニバス小説『ZOO』を読んでいるときに、PUFFYのミニアルバム『59』をよく聴いていた。大好きなアンディー・スターマーさん(元ジェリーフィッシュ)というプロデューサーが手がけたお気に入りの作品だ。
乙一の本は好きなのだけれど、作風によってはグロかったりとんでもなくエグい描写が出てくるのでいつも注意せねばならないのだが(黒乙一、白乙一なんて言われていた)そのとき読んでいた章は個人的には黒。
確か、アルバイトの休憩中にその本を読み進めていたのかな。そしてその中にとても怖く恐ろしい短篇があり今でも読み返したくないほどトラウマになっているのだが、その話を読んでいる最中に流れていたのが『風まかせ二人旅』という曲だった。
とてもかわいくて良い曲なのに、私の中では怖い乙一の本の記憶がセットになってしまっている。今でもイントロを聴くと怖くなる。ごめんよ…
あと小学生時代の話で、なぜか家に楳図かずおの漫画『漂流教室』の全巻があり、めちゃくちゃ怖いタッチのイラストなのにこれまたなぜか全部読んだのだが それを読んでいるとき、4歳下の弟が隣で頻繁にクレヨンしんちゃんのゲームをしていた。だからそのゲームの音楽は私にとってホラーと同義。クレしんの当時のゲーム音楽を聴いたら絶対に漂流教室を思い出すだろう。ああ、恐ろしい(怖がりなのになぜ読んだのだ…)。


…なので、
こんなに後ろめたいことを考えているときにこの音楽を聴いてしまったら、この曲がそのイメージになってしまうかもしれない。という懸念が常にあるわけですね。
ムカついている私がSMAPを聴いたら、SMAPの曲のイメージがムカついている出来事と連動してしまうかもしれない、ということだ。
それは何としても避けなければならない。音楽には何の罪もないのだから。

そうなることが怖くて、音楽が好きだからこそ音楽を聴かない選択をすることもあるのだ。

 

だからその日はSMAPスピッツを再生しようとして思いとどまった。

今日はやめておこう。清らかに女の人を肯定する人たちや男の人から見た夢のある世界の曲を、ムカつく事柄とセットで記憶したくはない…今日は無音で行こう


でも、ふと思い至った。

「あ。aikoがいるじゃん。」

 

そうなのだ。
この後ろめたいドロドロした、人には言えない気持ちを「今度こそ」まるごと肯定して、いや、同調してくれる強い味方。
それは私にとってaikoであった。

(ネガティブでおなじみ?のバンドSyrup16gもそんなときに最適ではあるのだけれど、やはり異性が歌うネガティブと同性が歌うネガティブは違って聴こえることがあり ここでは該当しなかった。)

 

さっそくiPhoneのミュージックでaikoを選択し、aikoの怖い部分がむき出しになっていると個人的に思う大好きな『冷凍便』を再生した。
この曲はいちばん新しいアルバム『May Dream』に収録されている。つまり最近のaikoの名刺代わりとも言える方向性なのです。

チョイスは大正解だった。
これだー。この後ろめたさだー!やっぱりいいな!
だって、冒頭から
「自分の汚いものを見て」ですよ。

第一声が、汚いもの。あんなにかわいらしい(大人の女性ですが)aikoが、最初から自分に汚い部分があることを暴露しているんだよ。最高だ。

他にも、「後ろ向きなこの性格も 仕方ないなもう生まれつきって」「この間 人は孤独なんだと あっという間に目が染まった」「どうしても乗り越えられない様な酷く苦しくて悲しい夜」などかなりキレのあるネガティブワードが並ぶ。

この歌詞、本当に好きなんです。でもご覧の通りのネガさだし、だんだん「aikoが心配になる」ことでも個人的に有名な曲でもある。
サビを例に挙げて説明させてほしい。

※ちなみにライトな層で申し訳ない、雑誌インタビューなどは追い切れていないため もし本人が歌詞について解説していることがあったら…下の歌詞考察は相当ズレている内容かもしれません。ごめんなさい。

 

早く家に帰ったらなんか

どうしていいかわからなくなる


ここ大好きな一節。分かる。分かるよaiko。つらいときって家に帰って考える時間が増えるぐらいならずっと仕事や予定があったほうがマシだと思ってしまうよね…

 

あたしの楽しみにしているラジオ

もっと遅くにやるの


ラジオいいよね、ひとりでいてもひとりじゃないというか距離の近い感じが好きだよ…ん?でもこれ、まんまaikoのことじゃ…(aikoはラジオが大好き)
そんな疑問が浮かびながらも続ける。

 

床に落ちた長い髪の毛を

見るたび軽くため息吐いた


…あ、あいこ…どうしたの、その光景でなぜため息を吐くの。掃除がめんどくさいってことではないはずだ。いったい何があったの?

 

もうこんな髪もいらないから

切ってしまおうよ


aikoー!!!!!
なんだか分からないけどとりあえずごはんでも行こうか!?

だから落ち着いて?
こんな髪じゃないよ、aikoの髪の毛きれいだから!!!
※この曲が収録されたアルバム発売時、aikoの髪の毛は少し短くなっていたと記憶している。それが余計に心配の対象になる。


『冷凍便』を聴くといつも大体こんな感覚に陥る。


そんな楽曲が収録されたアルバム『May Dream』。私の中でかなりの闇属性aikoが堪能できる1枚だと思っている。


1曲目『何時何分』の歌詞も個人的にやばい。

また一部抜粋する。

 

前半はそこまでやばくはないけれど、

 

嫌な事だけ見えない目と

悲しい事は聞こえない耳

そんなものあるはずないし

そんなものなんて欲しくもない

 

もう「何かあった感」がものすごく出ている。

何かあったはずなのに、その「何か」すらも真正面から受け止めようとする主人公がいる。

 

言いたいことがあったなら

どうして言ってくれなかったの

言いたいことがあったのに

どうして言えなくなってしまったの

 

さようなら さようなら

また今度 さようなら

今度ってつけたらさ

少し涙が落ち着くから

 

切ない。やはりさようならをしていたのか。

でもこれぐらいならまだ分かるような気がする。aikoが得意とするような、「言えなかったけどとてもつらかった」女の人のリアルな心情を歌っているのだ、これは。

 

ただ、問題はこの一節だよ。

 

今すぐ洗面所に行って

排水溝に吐き出して

そのあと冷蔵庫に行って

あの子がくれたジュースを飲もう


これを見たとき、冷凍便より前のこの曲で、まずaikoー!!!!!と心配になった。いったい何を吐き出すの?

しかしご安心ください、実はちゃんと何を吐き出すのか直前の歌詞で教えてくれているのでした。ふう早とちりだぜ。

 

一瞬の眠気に襲われ

数秒つぶった間にさ

何か世界が変わってたり

あなたから連絡が来てたり

そんな事あったらいいな

そんなはずあるわけないな

だからこの時間はきらい

重たい静けさに食べられる

 

たぶん「重たい静けさ」に食べられてしまったから、その重たい静けさを排水溝に吐き出すような気持ちで洗面所に向かったんだね。aiko、いや主人公は。

あーなんだよかった。何を吐き出したのかと…って、いやそんなによくはないよね。そもそも重たいのだし、指示が具体的すぎる。

そしてもうひとつの問題はあの子がくれたジュース。そんなにあの子からもらったジュースをおくすりのように摂取しないで。切ない。その子って、もしかして好きな相手ですか。違うか。あなた、じゃなくてあの子、だものな。でもそれはもうその子からもらえないジュースなんですか?もしひどいことを言われた相手なら、ジュースだけいただいて残りの感情は捨ててしまえばいい。
※個人の受け取り方です もしかしたらすごく素敵な女友達がくれたものかもしれないよね。

 

このドロドロの気持ちの歌詞をあんなにポップに歌い上げてしまうaikoはもっとあぶない天才だとバレていい。

 

もう少しいいかな?『好き嫌い』の歌詞もなかなかに闇に富んでいると思うの。
これは全体的にかなりシンプルな歌詞なのだが、特筆すべきはサビの歌詞。

 

きらい すき きらい すき

やっぱきらい

 

つらい。
だって、「やっぱきらい」ですよ。
「やっぱ好き♡」じゃなくて、一周したあとに出てきた言葉が「きらい」
花占いで当たりたくなかったほうの、きらい、だ。こわい。
これ、歌詞読んだときゾクゾクしてしまったよ。aikoすごいなあって。
ここで「きらい」になるんだ、と。


歌詞の世界では相手か自分の自宅で過ごしているワンシーンが切り取られているようなのだが、そのふとした瞬間に、どうやら彼女は彼に対して何かを思った。イラッとしたか、ゲンナリしたか、なんできらいになれないんだろう、と自分にムカついているのか。

年齢を重ねると丸くなるだとか、柔軟に優しくなっていく人間ばかりと思われがちな傾向があるけれど

こんなにシンプルに「あー好きだけどやっぱムカつく、何なんだあの男、調子に乗るな」(個人の妄想が入っていますaikoごめん)な感情をポップな歌にのせられるアラフォー女性がいるか?

 

これでは名盤『桜の木の下』に収録されている『傷跡』と真逆ではないか、と思った。

 

いじわるはしないで

あなたの側にいることが

何よりも重要なあたしに

 

『傷跡』はこんな言葉で始まる曲。

いじわる、から始まるということは、彼の行動に何かしらのいじわるを感じる「どうして?」な部分があって、モヤモヤしている女の子の話なのだろう。

 

あなたに落書いた嘘の言葉が肌色によく光る

「嫌い」

 

嫌い、ここでも出ていました。でもここで使用している嫌いは「嘘の言葉」らしい。また複雑である。

きっと、ちょっと彼にムカついて嫌いとか言ってみたいけど本当に嫌いなわけないでしょう、というかわいい女心なのだろう。

 

そしてサビへと続く。

 

何度も振り回されて怒って傷ついて

 

うん。やっぱり、状況的には『好き嫌い』の主人公と近い気がする。

何らかの理由で、彼女は彼に振り回されて それをいじわるだと感じて怒っているらしい。そして彼女の中で傷ついている。

でもこの曲はそれで終わらない。ここでいちばん言いたいのは次の部分。

彼女はある行動に出る。

 

でもあたし ちょっとだけ
ひっかいて ひっかいて 消えない跡残す
口元 ゆるんだ
「うん。幸せかも…」

 

ここがすごい。

傷ついているのに、いっそこんなに振り回されるぐらいならば嫌いになってしまいたいとちょっぴり思っているのに、それでもやっぱり好きだから強引に「あたしの跡(存在証明的な何か)を残す」のだ。

不意打ちで物理的にも彼との距離を縮め、あたしのほうに気持ちを向けさせる。忘れられないように仕向ける。まるで恋愛アスリートのようだ。彼女にはその自信もバイタリティもある。

 

まだ終わらない。

2番の歌詞ではさらなる行動に出ている。

 

そうあたし思い切って

ひっぱって ひっぱって

目開けて背伸びで口元奪った

「うん。幸せかも…」

 

いつのまにか、傷ついているはずの側が主導権を獲得し勝者(?)になってしまった。

ていうかaikoのこの頃の歌詞、完全に小悪魔だな…

 

『好き嫌い』の歌詞を読んで真っ先に浮かんだのはこの『傷跡』だった。

ねえ、この主人公は今どこに?
歌詞の最後で「ワガママでも強引でもかわいさを武器に幸せ」になっているaiko(の歌詞の主人公)はどこに行ったのだ。

このaikoの歌詞は、私の中でずるくかわいく強い女の子像。「きらいになりたいけどやっぱり好き!」の素直な小悪魔手法だと思っているけれど

『好き嫌い』は、真逆だ。それでいて対になるかのようでもある。
時を経て新たな手法を惜しげもなく披露するなんて、本当にゾクゾクした。


普通、順番的には逆のパターンが多そうなのに。ひねくれた若い時代を経て自分に素直になって、好きだと言える人だって多いかもしれない。
でもそうじゃない人だってきっといる。いつの時代だって、何なんだあの男、とひそかにモヤモヤしつつもきらいになれないやっぱり好き!じゃなくて、

ひそかにモヤモヤしているけど好きだから許してしまうけどやっぱりムカつくからやめよう!このままじゃ私がだめになる!と思っている女性だってたぶんいる。
(好きになったら仕方ないですよねってこともあるだろうけどさーそのあたりの話は青山あたりのカフェでフルーツタルトでも食べながらやりましょうか。)
aikoはそんな「ある意味アウトローな側」「明かせない嫌な気持ち」を抱える女性、いや人間の受け皿にもなってくれる。と、私は思っている。
だから好きなのだ。というか、続きが、今が、aikoの今がいつだって気になるのだ。

(もしかしたら『好き嫌い』の主人公もカメラのない場所で「やっぱきらい…でもやっぱり好き!」と大どんでん返しな結末を迎えているかもしれませんが。そこまでは把握できないからな…)


私、高校時代からaikoが好きなのにいつもアルバムを最後まで1枚通して聴けないというクセがあるのですが(ごめんよ…なんでだろう…前半の曲のほうがいつも好みなの…)
この作品は後半の曲も好みで、通して聴いても飽きが来ない。ラストの『蒼い日』の歌詞もすばらしい。
近年でいちばん気に入っている『時のシルエット』に近いぐらい好きなアルバムになりました。


aikoの作品って本当に作品ごとに系統が変わるので、人それぞれ好みのアルバムも違うみたいだ。たまにAmazonのレビューを見るとそれを感じる。
自分の例で言えば周期的に「この頃のaikoは自分の気持ちと同調している」時期がたぶんあって、その「時期」がぴったり合う作品に恋する傾向がある。
私は『泡のような愛だった』は『透明ドロップ』以外正直未だにピンと来ていないのだけれど、それはまだ時期が来ていないのだろう。
自分のことが好きになれたり嫌いになりそうだったりすることと似ているのかもしれない。
そのときのaikoと同調する心境になった場合、そのアルバムとの距離がぐっと近づく。


近年のaiko、ほんとすごいんだって。
作品をリリースするたびに軽やかになったと思えば重ーくなったりする。
進化しながら変化を恐れない。ひとつの場所に留まらない。
輝きと幸せに包まれているときもあれば、哀しさを増したと思うときもある。あくまで個人の印象ですが。

ひとりの女の子(から女性になった女の人)の生き方が、裏も表もさらけ出した感情が 彼女の音楽には詰まっているのだと思う。
歳を重ねるたびにaikoの凄みが分かる。あの覚悟はすごい。
これはまた別の機会にも熱く語りたいけれど、私がいちばん思い入れの強い愛してやまないaikoの曲は『向かいあわせ』である。
一時期あの曲を鼻歌で歌おうとするだけで涙がぼろぼろ出て、お風呂場で衝撃を受けていた。あの曲は、すごいよ………
たぶん同性で、しかも20代ではなくなり永遠の誓いをしていない私のようなタイプだと余計にその痛みと凄みといとおしさを感じ取ることができるのかもしれない。
あんなに毎回本気で感情の全てを音楽に注いでいるなんて、ずっともがいているなんて、音楽を作らなければいられないなんて。
他のことなんて、何も見えなくなるんじゃないのか。
あんなに負の感情を織り交ぜるのに、本人の印象が少しもダークにならないこともすごい。aikoのバランス感覚はどうなっているのだろう。カラフルなファッションがそれを中和させてくれているのだろうか(これは私自身も利用している。ネガティブな思考に陥りがちなときでも身につけているものは大体カラフル。髪色を明るくすることも好きだ。そのおかげか、あまり暗さを前面に押し出さず一般社会に生息することができる…と思っているけど、溶け込めていると思っているのは自分だけかもしれない)。

 

チャラのライブレポを書いたときにも少し触れたけれど、私が思うaikoの音楽は必ずしも幸せじゃない。

幸せから逃げないけれど、時に幸せじゃないこともある主人公の気持ちをずっと歌っているように思える。

aikoに少し触れたチャラのライブレポはこちら。


その登場人物はもしかしたらたったひとりの女性かもしれない。
女性の、ひとりだけどひとりじゃないような二面性。
天使のようにかわいくても、こんなにドロドロしたことを考えている。
ドロドロしていても、心の奥はただ優しいだけだったりする。
そんな女の子の、人間の、いびつな生き方を言葉にして歌うことが aikoは本当に上手い。

 

aikoにはずっとそのままでいてほしいと思う。
何かを手に入れても手に入れなくても、aikoは自分の「今いる世界」を大事にできる力を持っている。
ずっとそんな自分の心の内をさらけ出して、「あたしの恋」や「あたしのかわいいところ、かわいくないところ」「この目で見たきれいな世界や汚れた世界」「たまに嫌いだけどいとおしい毎日」を歌い続けてほしい。


少しだけ歳は離れているけれど 全部分かるよ、なんてありえないし言えないけれど
私が私でいられる限り、必ずついていくからさ。


最初に挙げた『冷凍便』の「自分の汚いものを見て」の歌詞は、実はこう続いている。

 

「自分の愛おしい色を見て」

 

汚い自分、後ろ向きな自分、愛おしい自分。

aikoはそのすべてを「存在していいもの」として、ずっと前から受け入れていた。

そして、受け入れてくれていた。

 

心が濁っているときはaikoに限る。
けれどその濁った世界を美しい透明にする力も、彼女にはあるのだ。

 

 

2021年追記

aiko結婚おめでとう!!!!