かくしごと(空色MIX)

webライターっぽい女のオタク気質ライフ。 ライブレポ、何かの感想、日常、思考整理。まずは素直な文章を。

三十七なり。オレの青春は終わったと歌った宮本浩次に想いを馳せた夏だった

自分はどうやら感受性が強いほうなのかもしれないと改めて思う。30代も板につきすぎた段階になっても水を飲むかのように気軽に泣く。

それも悲しいことがあるわけではなく、たとえば音楽を聴いたりドラマを観たり、何気ない日常を送っているときにふっと「何十年後はこの日常はない」と気づいたりしたときに。

犬と猫に、長生きしてね、なんて話しかけるともうだめだ。一番下の猫はまだ1歳にもなっていないのに(そう!またやってきました子猫が)そのときを想像して泣いてしまう。

 

もちろんライブやコンサートと言った生のイベントでも泣きやすく、歌ってほしかった曲が演奏されるときはぼろぼろ涙をこぼしながら放心状態で観ていたりする。みんなステージを観ているはずだから多分大丈夫と信じて。

 


誰かのSNS、特に身内やペットに関する投稿(それも亡くなったり病気の話ではなく、「最近は年齢を感じて、でも歳を重ねた姿を見られるのも愛おしい」と言ったような日常への感謝と老いへの寂しさを呟いたようなものに対して)を見ても気がついたら泣いている。

思えば昔から、何かを感じると電車の中だろうが道を歩いている途中だろうが泣いている。

涙は出るものだから当たり前だと少しは思いつつ、少し「自分はおかしいのかもしれない」と心配になったことも。

あ、ちなみに誰かがいるときは自分が泣いているとバレたくなくて自制が働くようで特に身内には不自然なほど全然涙は見せない傾向があったけれども、その反動かひとりでいるときは簡単に泣く。

 


この夏はエレカシの『覚醒(オマエに言った)』を聴きながら電車でいつのまにか泣いていた。

30半ばの想いを歌った歌詞に自分を照らし合わせたのだろう。

この曲は宮本さん自身が37歳のときにおそらく作られたもので、歌詞には37歳が「青春の終わった」年齢として登場する。

ああ、そうなんだな、37歳はもう大人なんだったなと思う。当たり前なのだけれど、大人どころかたぶんそれ以上に。

 

「ひとりでいる時には様々なことを考えようとしている」

 

この一節もずっとずっと好きで 印象深い。

何かがあると思い出す。

そう、私もそうしたいんだよ。ずっと考えていたいんだから、というように 頭から離れてくれない。

 

 

思っていたより遠くにきてしまったなあと、この少し晴れない鬱々とした気持ちを

彼は代弁してくれているように感じる。

 

 

全体的にこの頃の宮本さんの楽曲と姿勢は「闇の中でもがいている」印象が強かった。

しぼりだすような鬼気迫る雰囲気もあれば、諦めたり出口が見えないような空気も。

35歳独身、と歌詞に入っている曲もあるし、なんとなく40代に入って俺たちの明日と笑顔の未来へをリリースする前までは

ずっと八方塞がりの焦燥感、トンネルの中にいたような印象を抱いている。

『扉』や『扉の向こう』の凄みはその真髄ではと。

もうきっと彼にも出せない、あの30代特有の空気。

 

 

彼は40代になってから急に抜けたというか、明るくなったように感じる。

もう一度大人を楽しむ、音楽を楽しめるようになったのだなと勝手に想像する。

私がファンになったのは宮本さんが42歳の頃だった。その頃の宮本さんはもう明るさに手招きされていて、そっちに行っていいんですか?一回行ってみますよ?な感じで、すこんと晴れやかさを背負っていた、ように見えた。

とても憧れて、42歳が少し待ち遠しくなった。

 

 

35歳はいい。36、7から40じゃないかなと、個人的に感じている。

昔、30代だった頃の川上未映子さんとの対談で宮本さんが彼女のことを「中猫」と表現したことを覚えている。

子猫でも大きな猫でもない、中猫。

中猫の自分をもっと観察していくといい。

エレカシの歴史に助けてもらえるのに、なぜか渦中になると 忘れてしまうなんて。

 

なぜ一定数の人が、その年齢で八方塞がりな想いを抱くのか。理由はいろいろあるにしても

それも歴史になっていくから 研究だと思えばいいのかもしれないなと。

 

とにかく、30代のリアルな心情を知りたい人はエレファントカシマシの『俺の道』と『LIFE』それから『扉』のアルバムを聴けばきっとなんとなく、分かるから。

『風』は扉とあまりリリース時期に差はないのに爽やかなので、ここには一旦入れていない。

扉も風も好きなアルバムなのだけれど、ある意味器用な人だよな、と思う。あんなにテイストの違う、根本は同じだけれどもテイストの違う作品を短いスパンで届けてくれる。

 

これから40代、50代になれてもその時代にはまたその年齢のエレカシ宮本浩次を追って、重ね合わせたり答え合わせしたりできる。

それが贅沢なのも知っているから、歴史を辿れる=歳を重ねることが楽しみなのも やはり本当なのである。

いくつになっても楽しみは残る、いや、やってくるのだ。

推しが引退を決めた日

20年は見てきた私の(もちろん多くの人の)スーパースター、MotoGPライダーかつ9度の世界王者、バレンティーノ・ロッシが今季限りでの引退を表明した。

42歳。

いつかはこの日が来ると分かっていたけれど、生ける伝説ロッシならまだまだ続けてくれるのではと思っていたかったし、それはたとえファンならずとも多少なりとも─思っていた、と言うより「思っていたかった」人はいたのではと感じてしまう。

少なくともレースを観続けてきた人にとっては。

 

なんたって26年間ロードレース世界選手権に出続けているのだから。

赤ちゃんだった子がまあまあ慣れたMotoGPライダーになってしまうぐらいの年月のあいだ、ずっとレースに参加し続けている彼(もちろん最年長)が、ついにその世界を去る。


もうとっくに偉業は達成しているし巨額の富も名声もあるので、彼がレースを続けるのは、過去ではなく「いま」まだまだ勝ちたい気持ちに加え
楽しいから、情熱やモチベーションがあるからだと思っていた。
勝てなくなった。それはシンプルな理由ではあっても、
何よりモチベーションが切れたら、楽しいと思えなくなったら彼は自分からやめてしまうのかなと

とても恐れていた。


では、いま、実際に切れたのか?
楽しくなくなったのか?
そうではない気もする。

もっと複雑な感情、実際はきっとまだ楽しさはあって

だけど体が、結果が、よく分からないけれどうまくいかなくなったことを受け入れるしかなかったのかもしれない。

(ファン的にはまだ、マシンやタイヤが違っていれば強さが戻るのでは?と思ってしまうのだけれどね)


やっぱりとても寂しいし涙は出て、ニュースを知った夜中から朝までいろいろなことを考えていた。

でもこの決断と胸の内を知り、引退までの時間を目撃できるのもファンだからこそ与えられた時間。

ずっとスターのドラマに参加させてくれてありがとうと言いたい。

 

 

制服のスカート丈をとにかく短くしたかった頃から、父の影響でずっとレースを「ながら見」してはいた。

(2003年、加藤大治郎選手の訃報に大きなショックを受け、お別れの会にも参列した)

だから冒頭で「20年は」と書いたのだけれど、超ライトな時期を含めればもしかしたらそれ以上かもしれない。

なんだか速くて面白いイタリア人がいるなあ、ずっと勝ってるなあ、という印象で

とにかくずっと居ることが、そして勝っていることが当たり前だった。


本格的に、前のめりで応援し始めたのは2004年のヤマハ移籍後に初勝利した頃からだった。

当時、いくらロッシといえどもほぼ確実にすぐには無理だろうと言われていたヤマハでの勝利を

開幕戦であっさり決めたことへの驚きと高揚は、当時10代だった私の心を捉えるには充分な事実だった。


それからは基本的には年中(だいたい隔週で開催されるので)レースのことを気にして過ごして、結果に一喜一憂している。

食事や用事で少し目を離したレースでロッシが転倒してしまったり結果がふるわなかったりすると(絶対にそれは関係ないのだが)「私…ファンなのにしっかりと観ていなかったからでは…」とか願掛け的な気持ちが生まれてしまい、側から見るとテレビを観ているだけなのだがたぶん人が思うよりは真剣に応援していると思う。

(ずっと体勢を変えず体育座りで片時もテレビから目を離さず応援しまくっていたレースでロッシが鮮やかに勝ったりしたので、なんとなくレース中体勢を変えることにも最近まで抵抗があったぐらいだ)

外出よりもテレビのレース観戦を優先させたときもあったし、

日本GPにも何度も足を運んだ。

父や弟が行けないときはひとりでバスツアーに申し込み、もてぎサーキットまで応援に行った。

バイクの免許もなく、専門的な知識もないのに、だ。


速いから、強いから好きなのか?

応援するきっかけになったレースは確かにその速さと強さが満載だった。

でもどうやらそれだけではなかった。

仮にそれだけであれば、ドゥカティで勝てなかった頃や年間の勝利数が下がった頃、台頭してきた他の選手に目がいっても不思議ではなかったはず。

あっさり結果を残す無邪気なロッシの顔も、

結果が伴わず苦しむロッシの顔も、

どちらも応援せずにはいられない。

 

人自体を好きになってしまったんだよな。

 

これは賛否あるかもしれないが、スポーツもエンタメも私はまず、人に魅せられるのだと思う。

好きな競技があり、そこから好きな選手を見つける人もいれば

好きな選手や追いたい人物を見つけて、そこから競技自体に興味を持つ人も。

後者はミーハーやにわかとも呼ばれてしまう場合もあるかもしれない。それも分かっている。

 

でも、才能やスター性のある人の魅力に吸い寄せられて、自分もさまざまな世界を広げられてきたことへの感謝や発見や喜び。

生活の質、QOLって言葉をいつしかよく見るようになったけれど、応援する対象がいるだけで、それだけで 質ってものは確実に向上していく。少なくとも私の場合は精神だけでなく。

スターのおかげで自分の生活も楽しく豊かに満たされる。

その何に対して、誰に対して後ろめたいことがあるのか?

よく考えると、別にない気もしている。

(応援の仕方が過激であったりマナーがない場合については誰かの迷惑になっている可能性もあるし、すべてを許容するわけではない。そのへんはちゃんとしたいよね)

 


ファン友達という存在はあまりおらず、身内以外には詳しくは話さないけれども

ずっと私がロッシロッシ、イタリアイタリア、と言っていることには気がついている友人もいるかもしれない。というかいるだろう。私はインターネットでよくひとりごとをつぶやくから。

 


他のスポーツもそうだと思うけれど、年間通して何かしらのレースや試合が行われている競技を応援しているって

改めて考えるととても不思議な感覚なんですよね。

実際の知り合いではないのに、年中彼らの情報がそこにある。

隔週や毎週、競技によっては毎日のように

選手の調子や動向を確認できる。

彼と仲の良い選手やそうではない選手にも詳しくなれば、

恋人がいるとか別れただとか、生まれたお子さんが可愛いとかいうプライベートな情報まで仕入れることができる。


もう全然立場は違うのに、知りすぎて知り合いみたいな気持ちになるんです。

本人の夢の、生活の目撃者にずっとなれるのが

ファンとスターの面白い関係性だと私は勝手に思っている。

 

ロッシは「2022年から、僕の人生は変わる」と言っていたけれど、

それは同時にファンの生活をも変える。

変えてしまうのだ。

スターならではの宿命で、同時にそれはとても責任重大というか、勇気のいることではないかと想像する。

 

私たちファンはその準備期間を与えられたから、

その日が来るまでの間は思いっきりMotoGPで走るロッシを応援して、

来年からは彼が不在の生活に慣れないといけない。

(四輪もやってくれそうだし、チームオーナーとしては見られそうなのが救いではあるにしても。)

 

 

イタリアGPで走るロッシを現地で観られないであろうことは心残り。

そう、イタリアに行ってロッシを応援するのが私の夢でもあった。

観客席がロッシカラーの黄色で染まるムジェロGPと、ロッシの地元に程近い場所で開催されるサンマリノ

どちらかは絶対に行きたい、イタリアに行きたい、と何かある度に呪文のようにつぶやいて、

行くだろうと自分でも思っていた。

こんなことは思いたくないにしても、

「まじめにあと数年以内には行かないと、ロッシがいつまでやってくれるか分からないから」。

 

そうこうしているうちに世界はこんな状況になり、ロッシの人生も変わっていく。

本来であればロッシのこのようなニュースがあれば、日本の旅行会社か他の何かも黙っておらずガチなファンへ向けてイタリアGP応援ツアーが組まれると踏んでいた。たとえ日本全体で言えばマイナーなスポーツだとしても、ツアーに参加するファンは私以外にも確実にいると断言してもいい。

 

絶対に参加しようと思っていたのに。

 

でもいつか、さまざまなことが落ち着いたら

絶対にイタリアに行くのだ。

ロッシの故郷タヴッリアでピザを食べたいし、

加藤大治郎さんのDaijiro通りにも行きたいし。

 

その日を楽しみに、ずっとずっと応援します。

 

 

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約15年前に出版された自伝の翻訳版。

今は在庫切れみたいですが、写真も割と豊富でファンなら持っていて損はないはず。

バレンティーノ・ロッシ自叙伝(日本版)

 

 

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数年前に発売された、モンスターのロッシスペシャル缶(もう期限的に飲めないのだけど取ってあります)。


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記念的に購入しずっと保管している、ライディングスポーツのロッシ表紙。


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左の「王座奪還」した2008年日本GPレースは現地で観た。

当時のブログが興奮を物語っている。

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(ヘイデン…ずっと大好きです)

 

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ひとりで応援に行った2014年の日本GP。懐かしい。

バイクに詳しい父が参加できない中、ひとりでツインリンクもてぎのバスツアーに申し込んだ勇気はロッシがくれたもの。

バスで隣の人がマルケスの帽子をかぶっていたのもいい思い出。

(特にバトルにはならなかった。当時はまだ事件が起こる前だったし。意味が分からない方はロッシ マルケス 関係 などで検索を)


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こちらは2015年日本GP。黄色に染まるのである。


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2007年に新宿で行われたライダー集結イベント。約3000人が集まったらしくすごいことになった。

もちろんロッシ他選手すべて豆粒だったが、思ったよりMotoGPファンいるじゃないか、普段どこに隠れているのだよと嬉しくなったりもした。

 


面接で聞かれたらこう答えようと思っていつつ、聞かれずにここまで来たので 今ここで。

私の尊敬する人物は、ヒーローは、今も昔もこれからも、このバレンティーノ・ロッシというストイックな天才で努力家の、バイクが大好きなイタリア人ライダーです。

 

ちなみに。

さまざまな関連記事を読んで、悲しいながらも興味深かったことは

ロッシが自分の人気の秘密とでも言うのか、特別に多くの人を熱狂させられる理由について「それについては本当になぜなのか分からない」と繰り返していたことだった。

それって、ねえ?

 

本人も分からないのなら、スターとかカリスマって存在が「どうして多くの人を惹きつけるのか」なんて考察をしたところで、それは恋愛と一緒な気がする。

そう。まずはとにかく好きな気持ちに、熱狂する心に

理由なんて必要ないってこと!

(もちろん何らかのきっかけや理由が明確ならばそれもまた人間の面白さ。微妙なニュアンスの違いで申し訳ない)

 

そして「なぜなのかは分からないが」その理由のない好きや熱狂を多く集められる人が、私やあなたのスターやヒーローになっていくのだ。

 

これからもスターに魅せられ、QOLってやつをブチ上げられればと思っている。

Grazie di tutto Vale! そしてこの先も。

 

 

以前ロッシについて書いた日記はこちら。

【MotoGP】晴れでも雨でも私のヒーロー。バレンティーノ・ロッシについて語らせてほしい。 - かくしごと(空色MIX)

 

【ネタバレ注意】エヴァ世代、女、シン・エヴァ感想日記

(ここのブログを更新せずかなりの時が経ってしまったけれども、ナチュラルに再開させるかもしれない。読者登録してくださっている方、ありがとう。不定期すぎてごめんなさい。)

 

 

シン・エヴァを観たある日の感想。

 

今回は一度しか映画館に行けなかった。

上映期間内にもう一度観たかった気持ちもあるけれど、初見で感じたことをそのまましばらく大事にできる経験もまた いいのかもしれない。

 

ゴリゴリネタバレあるので注意してもらえればと思う。

 

 

 

なぜか冒頭のあらすじだけで泣きそうになり、その後の10分ぐらいで涙が出た。

特にストーリーが動き出したわけでもない時点でクライマックスになったかと思うほどの満足感。なんでだ。

 

正直に明かしておくと、私は前の映画の内容(映画館で3回も観たのに)も、アニメシリーズの内容もすべてをばっちり覚えているとは到底言えないダメな視聴者である。

それでも、それでも涙が出てしまうのだ。

 

最初に観たときの「同世代」感が忘れられないのは大きいのかもしれない。一緒のスタートラインだったのに、エヴァはここで一旦終わってしまうのだから。

 

 

究極に考えればシンジやみんなの成長物語、父親のねがいは厨二病という感じではあったけれども(ほんとうにただの主観です)、それでも感動的だった。

訳の分からない箇所があってもエヴァに関してはぶっちゃけ、それでもいいと思っている。

言い方を変えれば勉強不足の怠慢であるが、結局人生だって世界だって「よく分からない」ことばかりだし、それが当たり前でいいはずだとも。

 

 

途中までシンジは声も発さないからどうすればいいのかなと、緒方さんと緒方さんのファンへ想いを馳せていたが心配無用だった。

最後もかっこよかったなあ。このシリーズで初めてシンジ推しになったかもしれない。

自信を受け入れた人間はそのままで輝きはじめる。

 

 

加持リョウジ」にはびっくりするしかなかった。このキャラクターの続きが見られないと思うと、正直勿体ないけれど。

 

ミサトさんと「彼」にもまだまだいてほしかったが、なぜだろうあまり悲しくはない。

そう、悲しいシーンがあまり悲しくないのが今回のエヴァだったように思う。

 

なんでだろうね。自分の人生を生きようとしている、からだろうか。誰もが。

 

 

 

マリとシンジの関係性がここまで濃いものになるとも思っていなかった。なんとなくノルウェイの森の緑を思い出す。物語の途中からやってきた生の象徴とでもいうのか。

出会いと成長は高い確率で一部のなにかを変えてしまうから、アスカもレイも自分の場所を見つけるように、シンジも大人になってしまう。

みんな気がついて、成長を受け入れてしまう。

切ないような嬉しいような、そして、私は一体何を「変えられた」のか、この20数年で?

そんな気持ちにもさせられた。


とにかく、前向きさを感じられるラストはいいね。あとトウジたちにもびっくりした。幸せに。

 

 

深夜、眠らない部屋のテレビから流れるエヴァ(おそらく再放送)に夢中になった14歳の頃。真っ暗の部屋の中で何話も何話ものめり込んでいたっけ。

何がそこまで中学生だった私を惹きつけたのかは正直覚えていないけれども、同世代だった彼らがしっかり大人になる過程を、大人になって見届ける未来があるとは もちろん当時は思っていなかった。これも庵野秀明さんのおかげ。

 

それなのに、庵野秀明とは碇ゲンドウだったのかな、それともシンジそのものだったのかな、となんとなく思っている私を許してほしい。

もちろん、それほど影響力があるという意味なのだけれど。

 

エンドロール、最後のクレジット。

絶対にどんなことがあってもゆっくり彼の名前が登場し、観ているすべての者に存在を焼き付けてハッとさせて終わると当然思っていたがその通りだった。むしろ、これを観ないとシン・エヴァエヴァも完結しないとさえ思った。それもやはりゲンドウちっくだった。

あの瞬間私は、エヴァの夢の中にいたこれまでと、30代の現実を生きるこれから、体験前後の気分を少しだけ味わっていた。

庵野秀明前の14歳と、庵野秀明後の14歳が

果たしてどこまで同じでいられるかということ。

 

 

なんつー感想で締めるのかという感じだが、彼の思考の具現化、形にできるプロフェッショナルチームのおかげで、「たったの8年ちょっと」で物語の続きを目撃することができた。

 

確実に観て良かったと思える、映画館で観るべき作品に携わってくださったすべての方に

「ありがとう」を贈らせてください。

 

 

 

そして忘れてはいけない。

世界を変える庵野秀明クレジットともしかしたら同じぐらい、この曲なしのエンドロールは成立しなかった。

序の頃は─どうしてもテレビシリーズの面影で、あの世界観とは別の声や音楽が「入ってくる」ことにまだ慣れない自分がいた。

 

今は、ここが新しくたどり着いた場所だ、と思う。

 

宇多田ヒカルの声は切ない。全身から慈しむような、誠実な切なさを感じる。

それは悲しさだけでは終わらない。

今より私が幼かった頃は気がつかなかった。

憂いと切なさを帯びた声を美しい旋律にのせて、哀しみを編んで、優しい手ざわりに変えてくれる。

この作品にぴったりと、はまる。

だから涙が出るのだろう。

 

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ジャケットも、これ以上はないのではないかな。

凛とした優しさ、懐かしいのに初めて会うみたいな気持ちにさせてくれる。

体に取り込んで、

世界が色づいていく。

 

 

映画の中身もエンドロールも音楽も振り返ってしまったな。どうしようか。

 

ほんとうはいつまでもここにいたいけれども、

「行こう!」

あの聞き慣れない彼の強い声が教えてくれた。

 

さあ行こうか、私たちも。

変わることを受け入れてくれる現実の夏を、

生きていくんだ。

『濡れゆく私小説』に仕舞い込むのは

indigo la Endの『濡れゆく私小説』を、眠る前の誰もいない部屋で聴くのが好きだ。

 

 

もともと川谷絵音の作る楽曲は好きで、ライブにも足を運んだことがあるが(3度ほど)
今作はやっぱり、ちょっと、ほんとうに名盤だと思う。
一枚のアルバムでここまで一貫して同じ物語を切なく美しく儚く描ける人って、きっとなかなかいない。

 

 

「この曲めちゃくちゃいいな」

ハッと曲のタイトルを見て、目を閉じ、世界観に浸る。

 

 

それを全曲分繰り返す。

 

いつのまにかアルバムの最終曲に辿り着いているのだ、ほんとうに。

 

 

 

誤解を恐れず言えば─その曲たちが本人の醸し出す雰囲気やバックグラウンドによってどこまでも複雑な説得力にあふれているのに、
それでいて現実離れしているハイレベルなフィクションとして成立しているのも面白い。

 

何より、こんなに心に寄り添ってくれる音楽、
理屈抜きに貴重で極上に決まっている。

 

 

 

今日はどんな日だった?

私は、あなたは?

 

 

気軽に聞ける人、聞けない人。

 

 

川谷絵音は、「聞けない人」の気持ちをいつでも丁寧にすくいとってくれるように思う。

 

強靭なメンタル?

ほんとうにそうかな。

 

 

 

どんな日だった?なにがあった?

 

聞けないまんま、歌を聴く。

 

 

 

あなたの音楽や色んなことに救われている夜の部屋や何色もの涙がたぶんいくつもあることだけは、知っておいてほしいんだ。

 

 

あのとき久しぶりに曲を聴いて、歌詞を読んで、自然に涙が出たのだからさ。

 

 

 

酷なことを言うけれど、
ミュージシャンの川谷絵音に対しては

「このままいつかの切ない恋を忘れないでくれ」
そう思ってしまうほどには素晴らしい才能と執着が、彼にはある。

 

はにかむ普通の男性としては、どうだろう。分からないけど。

 

すべてがフィクションであってもノンフィクションであっても、彼の内に秘めた高い芸術性を誰が否定できるだろうか。

 

 

 

曲順にも「確実に」意味を持たせていると思う。
どれだけ正直な私小説なのかと頭が下がるが、
ぜひこのままの、ストレートに設定された曲順で最後まで聴いてほしい。

 

私は曲順通り聴いて、並行して歌詞を読み、度肝を抜かれた。

 

 

 

なんで全部分かるんですか?

 

「ああいうとき」の気持ちが─

 

 

絵音にそう聞きたくてたまらなくなった。

 

 

 

恋の喜びと戸惑い、自信と不安、
そして、静かなあきらめと感謝。

 

 

なにより、『結び様』で終わるのが素晴らしすぎるんだよな。

 

 

好きなことにするか、

好きじゃないことにするか、

 

花占いで決めたいときがあるように

「わからない」ときもあるのだろうと思う。

 

 

 

濡れゆく私小説(初回限定盤)

濡れゆく私小説(初回限定盤)

 

Amazonのレビューもすべて(!)満点で、みんな高揚した感想しか口にしていない。

ホッとした。そうだよねえ。

このアルバム、めちゃくちゃいいですよね。

 

「絶対聴いてほしい」

「素晴らしいの一言。」

「買えばわかる」

「想像以上です。」

「なんていうか、ここまで完成度の高いアルバムは久しぶりです。買って良かったです。」

 

レビューのタイトルと一文を少し記載させていただくと、よく考えずに業者が依頼したようなサクラ感が出てしまうほどの絶賛。

しかしこれが全て「心からの称賛と興奮」の結果なのだから、川谷絵音は罪な人だ。

 

 

まだ「ほんとう?」と思っている方は、まずこのブログ内の視聴ボタンだけでも押してほしい。

 

花傘

花傘

アルバム1曲目の『花傘』。

美しい雨の日に聴きたいメロディー。

「恋しちゃったんだ」

1曲目の世界観にふさわしい恋のはじまりを予感させるのに、「さよならの雨がパラパラと降る予報です」と同時に歌われているのが 既に儚い。

でもまだ、どっちに転ぶか分からない恋愛を歌っているようにも思う。

恋をした自覚が芽生えたスタートライン。

まだどうとでもなるような、もう後戻りはできないような。

 

心の実

心の実

『心の実』

イントロから「あ、いい歌だ」と分かってしまうことに悔しささえ感じる。

80年代の音楽に影響を受けてきたらしい川谷絵音。特にこの曲にはどこか懐かしいポップスのにおいもする。

「もういっそ 恋しない」と歌いながら、「まあいっか」と思考を中断させたり、明るい迷いをさらけ出す。

だってまだ、2曲目だからね。

 

通り恋

通り恋

『通り恋』、これもアルバム序盤。

多くは語らない。サビのメロディーだけでも素晴らしい楽曲であることが伝わるはずだ。

 

 

ほころびごっこ

ほころびごっこ

『ほころびごっこ

これはぜひ歌詞を読んでほしい。

「慣れてない幸福の合図は似合わない」
「救われたことないから 救い方がわからない」

「まだ想像の範囲ですけど少しは望み持っていいの?どっち?」

「愛情ごっこで手を打とう」

よくこんな心情をきれいなスプーンですくってしまえるな、と 勝手に後ろめたささえ覚えてしまう。

 

 

砂に紛れて

砂に紛れて

『砂に紛れて』

サビのファルセットが心地良く、耳の中が甘くなる感覚に陥る。

「好きだよ 今日も独り言」の歌詞が胸に刺さる。

 

『秋雨の降り方がいじらしい』

こんな情緒的なタイトルを思いついた時点で、もうこの曲は「完成してしまっている」。

「この恋を流すのはもったいないよ」

「主賓はいつも雨 目立ちたがり屋」

indigoは青や雨が似合うバンドだと思っているが、特にこのアルバムの世界ではずっと淡い雨が降っているのだろう。

薄くぼやけた紫の景色を思い浮かべる。

 

 

 

YouTubeも紹介したいけれど、はてなの仕様が変わったのか埋め込みがうまくいかない。

 

YouTube

『小粋なバイバイ』は本人たちが一切出演しないMV。

歌詞がひたすらオシャレに生活の中に溶け込む姿が流れ続けていて、観ているだけで自分の感性レベルがとてもアップした気になってしまうし、

「恋心は小粋だから 簡単には終わりが来ない」

「泣き損がいつも嬉しいんだ」

自分では絶対に思いつかない言葉の組み合わせを見つけられるから、気持ちに名前をつけてもらえたみたいな喜びにも出会えてしまう。

 

 

 

YouTube

これは『通り恋』のMVなのだが、

「何故か他の人に教えたくないバンド」

「indigo聴きながら失恋できてる私は不幸せではなく幸せなのかもしれない」

というユーザーのコメントが秀逸だった。

 

indigoのYouTubeにはどうも文学的で短い中に本質が詰め込まれている「恋を知ってしまった」人のコメントが多く、開くたびに見入ってしまう。おそらく意識せず、狙わず、素直なままで文学的になってしまっている。それがとても切なく魅力的だ。

川谷絵音やindigoの音楽が好きな人は、どんな年代でも感性が豊かに「なってしまう」人が多いのかもしれない。

 

恐れずに想っていたいよね。

 

 

 

ほんとうは『結び様』の音源もオフィシャルで上がっているのだけど、ほんとうはその曲をいちばん聴いてほしいのだけれど、

これを先に聴いてしまうとアルバムを最後まで聴いたときの心地良さと切なさが半減してしまうので、載せません。

 

美しい映画のラストシーンをネタバレしてしまう気分になるから。

 

 

 

今日もまた、思いをすくって すくわれよう。

 

 

 

わからない感情を、自分の中だけでも覚えておきたいすべての人におすすめします。

 

12/14 スピッツがいる街はあったかいな。横浜アリーナライブ感想と一部レポ

なんと当日にチケットを譲っていただけるチャンスに恵まれ、睡眠不足など気にせず急遽横浜まで行ってまいりました。

 

 

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まさか武蔵野の森に続いて横アリまで行けるとは!!高まる。ありがとうございます!

(▼武蔵野の森のエモさに浸った感想はこちら。セトリのネタバレなし)

 

 

武蔵野の森で「あの」最高セットリスト(仮にAパターンとする)は体験済みだが、この日は少しだけ違うセットリストBが来るであろうと予測をつけていた。

結果、やはりBパターン!

ああ……あのアルバムのあの曲、2曲コンプできてしまった……

どちらも聴けてしまって贅沢すぎる。

 

ネタバレせずにこの感動を伝えるのは難しいが、ううん、かなり昔のアルバムの曲とだけ記しておこう。

そう、『見っけ』のツアーではあるものの、他のアルバムのあんな曲まで聴けてしまうからこのツアーはおそろしいのだよ。もちろんとても良い意味で。

 

 

 

今回譲っていただけた席はスタンド北側、ステージを真正面から見つめ、見渡せる場所。

距離はあるが演出もバッチリ見られる良い席でした。

 

 

前回の武蔵野の森で「光に包まれ、幸せになってしまったあの曲」は演奏しなかったものの、「あの演出」に近いものは別の曲で体験できた。

 

この日は黄色い街が見えた。賑やかであたたかな街に星が瞬いていた。

 

セットが既にそういうコンセプトなのであろうが、スピッツというひとつの街に灯りがともり、きらきらと輝くイメージ。

星降る夜、あるいは小劇場で見るようなほっとする明かり。

暗闇のなかで一筋の光とあったかいスープとパンを見つけた気持ち。

客席の私たちは街の住人か、星の一部。

 

 

 

なんてまたもやエモい思考にふけっていたら、テッちゃんがMCでふたご座流星群の話に触れて、「今夜は流れ星が見つかるかもね」なんて話すから

ひとりで勝手にリンク感を楽しんだ。

 

 

 

昨日のスピッツは少年のようだった。

なんだかほんとうに高揚して楽しかったのか、

マサムネさんがいつもよりカッコいい口調になっていたように思う。

 

「後ろのほう、元気?オーケイ?」

「当日になるまで席が分からないというシステムにね、戸惑った方もいらっしゃるかもしれませんが。後ろのほうの方々にも届くように歌います。後ろの人たちには、きっと来年いいことがあります……」

 

 

序盤の話し方からノリノリだなと思っていたが、

 

「空調が暑いのかと思っていたけど、皆さんの熱気かもしれません。モイスチャー効果!」

「なんかね、楽しいです」

 

序盤以降も「今日への手応え」を口にし、

 

「いやあ……今日、“いい”よ。」

「このあたり(自分の前方をまあるく指して)に何か、フワッとした幸せのかたまりが見えます」

 

静かに興奮しながら無邪気に語るマサムネさんはほんとうに音楽とファンに真摯だ。知ってるけど。

 

 

「きっと今日のお客さん、誰かひとりでも欠けたらこの空気は出来なかったと思うので。本当に皆さんひとりひとりにお礼を言いたいです。ありがとうございます」

 

 

草野マサムネを嫌う人ってこの世にいないのではと思うしかない善意。

こんな言葉を聞いたら、「ほんとうにスピッツがずっと純真のまま音楽を続けていられてよかったなあ………」

とまた感慨に浸り、現実に感謝してしまいますよね。

 

そして、その景色の一部になれている私たちも、妙に誇らしくなっちゃいますよね。

 

 

テッちゃんが終盤「横浜ーっ!!」と叫んでいたのも驚いたなあ。ライブに何回か行けたことのある方ならその意味がわかると思うが、テッちゃんってほんとうに落ち着いた繊細な演奏と静かにバンドを支える姿がデフォルトというか

少なくとも、毎回恒例のように叫んだりはしないんですよね。

感情があふれだす衝動、嬉しいじゃあないですか。

 

 

 

 

たしかに昨日は体感で、いつも以上に客席の「治安が良く」、「この夜を純粋に楽しみ、感謝していた」人が多かったように思う。

(きっと今日の横アリもそんな空気に満ちていただろう)

 

 

私がいた席前方では、ロキノン系の大学生ふう男子3人組が、MC中含めて一度も座らず

ステージにいる遠くのスピッツを、夏休みの始まりのようなワクワク感を隠さず眺めていた。

(背中の雰囲気だけでも分かるものです)

 

 

隣の席にいたお母さまと娘さんらしき二人組は、中盤までは着席し落ち着いてライブを観ていたものの

途中で高揚を抑えきれなくなったのか「母のほうが」立ち上がり、きらきらとした笑顔で彼らに向かって拳を突き上げる。

 

『8823(これぐらいはネタバレして大丈夫ですよね、テッパンということで)』では娘の手を取り、「一緒に盛り上がろう!」なまなざしを向け、娘も最終的には盛り上がりを隠さずに彼らに向かって手を振った。

お母さまはとても嬉しそうに笑った。

 

あれ?なんだか泣けてくる。

 

 

チケットを譲ってくださった女性もとてもいい方で、ライブ前にも話が弾み、ライブ後は一緒に食事をしながら好きな音楽やオタク気質の楽しさについて語り合った。

スピッツが実在するかこの目で確かめます、泣いちゃいそうです」

「推しのライブ前には緊張してお腹が痛くなります」

最近は耐性がついてきたとはいえ全体的に分かりみがすごく、楽しい巡り合わせに感謝した。

(ほんとうに譲っていただいてありがとうございました…!)

 

 

 

客席でこんなふうに「その日だけのドラマ」がたくさん生まれていることをスピッツは知らないはずだけれど、もしかしたら届いているのかもしれない。

 

 

 

 

スピッツ、なんと32年やってます!」

 

 

それなのに、あんなに素晴らしい伝説のような歌唱と演奏を更新しているのに、

MCやテレビ出演時はいつもどこか不安げでぎこちなく、

 

「32年やっていてもこんなんですから、皆さん、大丈夫ですよ。」

 

成功も失敗も、みんなの人生をまるごと肯定するように笑う草野マサムネは、そろそろ「一生初々しく奥ゆかしいのにたしかな技術を持つプロフェッショナル」の代表として表彰されたほうがいいのかもしれない。

 

それにしてもライブ中毎回思うことだが、彼の歌声と喉の仕組みはいったいどうなっているのだろう。甘くて少しハスキーでツヤのある高音と完ぺきな音程。

昨日は珍しく個人の感想として一箇所ほどヒヤッとする歌唱があったが、むしろ人間味があって感動すら覚えた。だっていつ見ても危なっかしいシーンがほとんどないのだもの。

(テレビでの目に見える緊張は別として)

 

 

 

 

「みんながアンコール呼んでくれていたのに、手違いでお客さんがほとんど帰っちゃって……2、30人になってしまった夢を、今でもたまに見るんですよ。」

 

 

この日のやり取りで特に心をつかまれたアンコールでの一コマ。

鳴り止まない拍手に応え、ツアーTシャツ姿ではにかみながら再登場したと思ったら、いきなりこんなことを話し出す32年目のベテランバンドがここにいるんですよ。

ああもうスピッツというバンドのまじめさを象徴するようなエピソードだと思います、これは。

 

そりゃあ「こうはく」などに出たら心臓がどうにかなってしまうだろうし夢でリハーサルから年越しまでを毎晩行って青白い顔をしてしまうだろうし無理しなくていいからね、と言いたくもなるし、Yahoo! のコメントでも似たような書き込みをいくつも見たのだから。なんでもないです。

 

 

 

 

「いちばん最初に喋る特権を生かして、今日は『付き合ってはいけない男の3B』って、いつも崎ちゃんが話してることをね─」

 

「あと似顔絵ね。これもいつもテツヤが話しているけど、先にね。皆さん、今日はテツヤのまっさらな言葉が聞けると思いますよ

 

 

グループいちばんの自由体質疑惑・田村さんがまさかの「他のメンバーのMCつぶし」で遊んだため、この日のメンバー紹介タイムは爽やかな動揺に満ちていた。

 

 

崎「えーっと……話そうと思ってたことが……(笑)あ、僕もそういう夢を、見るんですよ。もうステージに上がってるのに、ドラムのセッティングがまだ終わってないとか。あと衣装がひとりだけ用意されていなくて焦るとか(笑)。」

 

テツヤ「俺もなあ、先に言われちゃったからなあ……夢ね!俺も見るよ!なぜか、エアロスミスのステージに立ってんの(笑)。なのに何にも弾けないって夢。エアロスミスのメンバーが俺のことすっごい見てくるんだけど─」

 

田村氏の愛ある(たぶん)MCつぶしの術により、みんなが夢について話し出したのが可笑しかった。

田村さんってずっとファン目線を忘れない人なのだろうなと思う。もちろん自由に見えてさまざまなことを考えているリーダーで、でもやっぱりほんとうに自由だからバンドの楽しい空気感が持続するのだろう。そこがいいんだよ。

 

 

マサムネ「でもエアロスミスのメンバーになるってことは、いい夢なんじゃないの?」

 

テツヤ「いや、弾けないんだもん。キツいもんよ?」

 

マサムネ「ライブの夢はみんな結構観るんだけど、あんまりいい夢じゃないんだよね。うなされるみたいな(笑)。現実では楽しんでるんですけど。」

 

 

みんな笑いながら話していたけれど、ほんとうに日々計り知れない「今日だけのプレッシャー」と戦いながら彼らはここにいることを選択しているのだ。それを今さらながら思い知る。

 

だって不安な夢って、やっぱり現実にどこか不安があるときに見てしまうことが多いと思うから。

(私も仕事に追われているときは夢のなかでも仕事をしている。そしてあまりいい内容ではない)

 

 

そういえば先日aikoが「デビューして21年経つけど、何回も落ち込むし何回も興奮します」とツイッターで話していた。

ずっと活躍し続けている謙虚なミュージシャンたちの共通点を見っけてしまった気がする。

 

ただただ、いつでもその日限りの最高を届けるために、

プレッシャーに弱いからこそ努力を怠らず、真剣に音楽に向き合い続けること。

 

「好き」から逃げないこと。

 

それを当たり前のように続けること。

 

 

どうしたって好きだよなあ、そんな人たち。

 

 

そして、それは音楽だけではなくすべての仕事に言えることだから

また明日からがんばらないと。

 

 

自分の価値と実力に絶対的な自信を持っている人もとても頼もしいけれど、

自信がないからこそ準備と練習は人一倍で努力をし続ける人たちって

どんな職種を選んでも「光る」んだよね。絶対にさ。

 

やっぱりスピッツのライブは生活がシャンとするきっかけになるように思う。

 

 

 

 

そう、夢の話の流れでテッちゃんが放った言葉が大好きだったので最後はそのくだりを紹介したい。

 

 

 

「2、30人しかいなくても、やりますよ」

 

「何人でも。たとえステージにいる人数より客席の人数が少なくてもね。」

 

 

この瞬間、ああ、なんてイメージ通りなんだろう!と笑ってしまった。

そして客席の半分以上がきっと同じことを感じていたのだろう、すぐに拍手が起こっていたのも嬉しかった。

 

 

彼らはきっとそう思っているだろうな、こんな台詞が聞ければいいなあ。

そう思っていた矢先だったので

答え合わせする暇もなく感動してしまった。

しかもそれを、普段は飄々としている素振りのテッちゃんが熱くきっぱりと口にするのが、なんていうのか、正解過ぎてありがとう。

 

 

スピッツ草野マサムネひとりの世界観で成り立っているわけではない。むしろおそらく精神的支柱でバンドの核であるのは、草野マサムネを囲む3人のメンバーの「揺るぎなさ」だ。

 

やっぱりスピッツは「この4人だから」ここまで来られたんだよな。

なんてバランス良く、なんて共通認識にブレのない、以心伝心テレパシー、

とにかくなんて誠実で愉快なバンドなのだろうと この一件でより強く思えた。

 

 

好きにならなかったら、きっとマサムネさん以外のメンバーのことは誤解したまま、よく知らないまま、いろいろな印象を決めつけてしまっていたかもしれない。

バンドはメンバー全員を「知ってから」が、より面白いんだよね。

そう、たとえ付き合ってはいけない男の3Bのなかに「バンドマン」が入っていても、バンドマンなくしてこの幸せな街の空気は作り上げられないのだから

バンドマンは、誇っていいと思うぜ。もちろん美容師さんも、バーテンダーさんも!

(客席にもいるであろうバンドマンたちに配慮して、「お互いがんばりましょう」なんてマサムネさんが話す一幕もありましたね。お互い、って軽く話しているけど咄嗟に出る言葉としてパーフェクトだし、ほんっとどこまで人を傷つけないんだか!表彰!)

 

 

 

 

あったかい余韻はまだまだ続く。

スピッツという街はこれからもきっと繁栄し続け、人口も増え続けるだろうが、

どんなに大きくなっても、街の灯りのやさしさは変わらない。心からそう思えたライブだった。

 

 

またすぐに観たくなっちゃうよ、まったくもう。

 

 

 

 

 

ちなみにマサムネさんの服装は黒ハットに白黒のバイカラーシャツだったのだが、

 

 

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シャツの右半分は黒く、左半分は白。

心臓に近い場所に位置するポケットは黒。

そう、わかる人にはわかると思うが、配色が完全にSMAPの「モダスマ」ジャケットのそれだったので

SMAP好きな私は勝手に嬉しかったです。

(さらに言うと崎ちゃんも黒シャツに白ベストと、リンクコーデ状態だった)

 

 

 

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かわいいグッズも見っけ。

ぬくぬくブランケット。手触りがすべすべした毛布みたいで、おすすめです。

 

 

スピッツもお客さんもみんな、あったかい気持ちのまま今年一年を終えられることを願いつつ

また明日から、がんばりますかね。

 

12/5 色んなスピッツと、あなたや私を「見っけ」るツアー。武蔵野の森総合スポーツプラザ公演感想と一部レポ

スピッツ「見っけ(MIKKE)」ツアー、武蔵野森の総合スポーツプラザ、略してムサプラ(とマサムネさんが言っていた)初日。

12月のド平日ですが、行ってきましたよ。

…楽しかった………

 

 

ここ数日はライブで聴けた「あの曲」たちを繰り返し聴いたり思わず口ずさんだりしている。

今も、Siriに「スピッツの◯◯かけて」なんて声かけてこれを書いたりして かぶれています。

 

 

電気を暗くするだけであの照明のゆらめきが再生されたらいいのにな。 

 

 

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急いで撮った。

 



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新しい地図のファンミ以来、2度目まして。

 

 

 

事前情報はほとんど耳に入れず、しかしセトリが「やばい」噂は知っていた。

いったいどんなセットリストなのか、と思っていたのだが、確かにこれは……

やばい!

 

 

どなたかのツイートで「これは単なるアルバムツアーじゃない」的な話を見たけれど、その意味が割とすぐに分かるし、「分かる」のレベルがどんどん本編で更新される。

確かにアルバムツアーだけど、2019年に発売された素晴らしいアルバムのツアーだけど、

それだけじゃない。

 

 

15年近くファンをやってて良かったなあと思える、じんわり来るセットリストだった。

はっきり言って、誰もが来たほうがいい。

 

とてもネタバレしたいがそれはいけない。

あの衝撃を味わってほしい。

(いやセトリ変えてくるかもしれないですけど)

少なくとも、新しいファン、昔からのファン、いろんな人が満足するのではないかな。

 

 

ひとつのアルバムを起点に、豪華なこんにちは、ありがとう、久しぶり、が顔を見せてくれるというのか。

とにかくいろんなスピッツを「見っけ」られるし、何なら私は途中でびっくりしすぎて倒れそうになってしまった(リアクションが大きい)。

そう、「ある曲」のイントロが流れた瞬間に時が止まり、力が抜け、なにもかも投げ出してその世界に漬かりたくなり(嬉しいとリアクションが大きい)、リアルに一緒にいた人に体重を預けかける事案が発生した。ごめん。

 

 

だってまさかあの曲、ここでやります?

 

 

照明もほんとうに美しくて。あの曲の世界観を体現した、幻想的な。

「光に包まれる」とはああいう状態を指すのだと思う。

 

 

今回まさかの4階席で発券時にも別の種類の驚きがあったが、あの世界は、私の中では遠くからがちょうどよかった。

 

上から見下ろしたキラキラに包まれ、全身で光を浴びて、幸せになってしまった。

というか涙を流し、よろよろした。

不審者。不審者を生み出すスピッツの楽曲。

 

 

いやあ、もう一回行きたいなあ……………。 

 

 

 

 

純粋なアルバムツアーに行けたの、実は相当久しぶりなのだ。

30周年ツアーやゴースカやフェスでは観ているのだが、なぜだか分からないが、私、「醒めない」ツアーに参加していない。

 

 

単にチケットが取れなかったのもあるが、それはファンクラブでの申し込みを忘れたのがいちばんの要因と言えた。

 

ファンクラブに入るほど好きなのに、申し込みを忘れるなんてあるのだろうか?

それが実際は あるのだった。

 

 

 

長く好きでいると、好きなものが増えすぎると、プライベートでいろいろなことがありすぎると、

「当たり前に甘えてしまう時期」や、「エンタメを楽しめない後ろめたさ」みたいなものにとらわれる時期がある。

それはまた機会があれば詳しく話すけれど。

 

 

 

 

アルバムの1曲目『見っけ』の印象的な歌詞を思い浮かべる。

 

 

「再会へ!」

 

 

うん。確かにたくさんの「再会」ができた気がしている。

 

それは曲だけではなくて、自分の歴史とも。

 

スピッツを通しての、過去や生活の確認作業。

 

 

 

 

年末っていろんな人に会いたくなるけど、このライブも「そう」だったのだろうか?と錯覚するぐらい

なんだか泣けてしまった。

 

 

ずっと節目節目で会えているけどさ─

 

世の中が慌しくなる12月の平日、

あんなに大勢の人が予定や仕事を切り上げ、同じ場所に集まり、

ステージには変わらないスピッツのメンバーがいて、「皆さん、平日のお忙しい中、スピッツのために時間を割いてくださりありがとうございます」なんていくつになっても腰が低い挨拶をする。そうかと思えば突然「楽しい時間にします」とカッコいい誓いを立てたりする。

 

いろいろなことが確かに、奇跡みたいだなと。

 

 

 

メンバーのコンディションも素晴らしく(ツアー始まりたては本人たちも話すようにある種の「カタさ」はあるけれども、その空気感がライブの中で「整っていく」瞬間がある。それが楽しい)、

草野マサムネのボーカルは精巧だが時に感情的で、喉からCD音源という表現だけでは済ませられない凄みを感じさせる。やっぱりこれは、「生」なのだ、と。

 

奇跡とか幸せとか、こちらこそだよ。

そんなクサい台詞を難なく口にしたくなる魔法の夜。

 

 

あ、奇跡とか幸せとかはライブでスピッツのメンバーが発した言葉でして、

それがほんとうに本心にしか聞こえなかったから「こちらこそです」となっている。

 

 

リーダー田村氏は「誰も欠けずにこうしてバンドを続けられている」ことを奇跡みたいなものと語り、

ボーカル草野マサムネは「中学生の時に、バンドいいなあ、いつか俺もやりたいなあ、と思っていた自分からすると、今のこの状況ってほんとに幸せなこと」とかみしめるように感謝する。

 

 

奇跡はあなたたちが私たちに見せてくれているわけだし、

その幸せな空間はあなたたちが作り上げたものなので「こちらこそだよ」なのだが、

彼らは「それは聴いてくれる人観てくれる人がいるからこそ」と言うのだろうし、たぶん、永遠に決着がつかない感謝の連鎖だ。

 

 

まあ、きっとファンはバンドの性質に似る部分もあるから(?)、

お互いに謙虚なんですよ。

 

 

毎回謙虚同士の対面みたいな気持ちになるスピッツのライブ。

この謙虚な対面を、まだまだ、できるだけ長く、続けていたい。

 

 

 

 

 

モニターに映るメンバーの横顔を見ながら、

18歳で繰り返し繰り返し、スピッツのPV(当時はMVなんて言葉はなかった、たぶん)とライブ映像を食い入るように見続けていた自分の姿を思った。

 

 

当時のスピッツは、今の私とたぶん同世代。

「こんな素敵な35歳、36歳いる?」

なんて日記にも書いていたっけ。

 

 

 

真夜中の四角い画面越しの世界。

ハヤブサに収録されている某曲のPVを観ながら、いつかこの曲がライブで聴けるだろうか?と夢を見ていた。

 

 

 

「そうか。スピッツが続いていく限り、私の未来にはずっと『未来のスピッツ』がいてくれるのか」

 

10年ほど前にそう気づき、本気で「スピッツと歳を重ねていけることに感謝」した瞬間があったのだが、今回も同じような気持ちを抱いた。

 

 

ステージに立っている人たちとファンの関係性を恋のように語るつもりはないが、

秀でた才能ある方たちが「好きなことをやり続けてくれる」「居続けてくれる」おかげで自分の感情や人生が豊かになるって

夢じゃなくて絶対にあってしまうし、

それって、とてもラッキーだなと思うのだ。

 

 

 

「おじさんになると話が長いんですよね」

 

「こんなおじさんバンドだけど」

 

「テレビでジャニーズの子と並ぶと、俺ら厳しくない(笑)?」

 

「画素数も上がっているわけだしね」

 

「みんな膝は大事にしましょうね」

 

 

随所に清々しいアラフィフトークを挟む彼らだが、

モニターに映る横顔や笑顔を見ると、とてもその年齢には思えないよ……と突っ込みを入れたくなるし、でもたしかに、

 

彼らはもう、私が最も狂ったように映像を見続けていた頃の、30代のスピッツではない。

 

私もあの頃と、まったく同じ自分ではない。

 

それでも「そのまま」な部分はある。

それがなんだか 嬉しいのだ。

 

そのまま歳を重ねてくれたのだね、と

壮大な物語に参加させてもらっている気分にもなる。

 

 

 

大げさかもしれないし勘違いかもしれないけれど、

スピッツのメンバーは年齢の変化を楽しんでいるようにすら思えるのはなぜなのだろうなあ。

抗うことなく変化というイベントを受け入れることで、知らない自分を見っけていく。

おじさんトークで客席と距離を縮める彼らを見ながら、変化は悲観しすぎるものではないのだな、と妙な確信を得た。

変化はその年代にならないと分からない。

私にはまだ分からない。

でも生きている限り必ず分かち合えるものでもあるわけだから、

また少し、強くなれる。

 

 

 

 

 

歳を重ねてきて思うことは、

いろんな年代や環境の違いをいつでも「理解していたい」し「想像していたい」ということ。

 

共存したいんだ。

 

 

スピッツのメンバーが大御所ぶらず、というかただの純粋さで、さまざまな若手バンドの音楽を公平に聴き、惚れ込んだり刺激を受けていることは知っている。

 

それをずっと見てきたからなのかは分からないが、私も年代や環境や背景の違いに限らず、まずは「聴いて(聞いて)みたり」「話してみたり」することを日常の中で大事にしている。

 

そして、そういうことを忘れないこの生活が

そんな自分の気質が、結構好きだ。

 

 

 

私にとってライブに行くことは、

きっと、生きていく上で拾いたい感情を「見っけ」ることと同じなのかもしれない。

音源を聴いているだけでは生まれない、その場で生まれる気づきや答えがたくさんあるのだ。

 

 

遠くから眺めた彼らの姿とギリギリでたゆたう世界に、懐かしくも新しい発見をもらった─今っぽく言わせてもらえば、「エモい」「激エモ」な夜であった。

 

 

「エモさ」ってさ、いくつになっても感じられるんだよ。

 

むしろ、過去や思い出が増える「これから」のほうが。

 

 

 

 

 

今回、同行者の仕事がありえないほどに多忙すぎたようで、開演数時間前まで来るか来られないかのギリギリの攻防戦が繰り広げられていた。

来られればいいなあ、とずっと願っていたが、どうしても都合がつかないことはある。

念のため「譲ります」の文章をスマートフォンの下書きに保存しいつでもSNSに流せるようにはしていたが、それはただの保険で、どこか「大丈夫」だとも感じていた。

だから無責任に「がんばれ」と言い続けた。きっと相当な圧だったと思う。

そうして数時間後の私たちは、同じ場所で美しく揺れる照明の光を浴びることに成功していた。

その人のスピッツ好きを知っているがゆえに本当に良かったなと素直に思うし、調整してくれたこと、感謝している。

何よりあのセットリストは逃してはいけないのだから、ね。

 

 

 

生きてきた環境が違っても、それぞれの場所で「おんなじ音楽」を聴いてきた人たちが無数に存在しているのは、

知っている名前の星を探すことに少し似ている。

共有できるプラネタリウムのスイッチを、知らない間に押していく。

音楽の素晴らしい一面をまた一つ見っけられた、そんな気がした。

 

奇跡は日常の中で生まれていくのだ。

 

 

 

【おまけ】

曲のネタバレはしないけど、衣装と覚えていたいMCの話を少し。

 

 

・マサムネさんは最近定番化しつつあるハット

・会場が調布の近くということで、上京仕立てでお世話になった調布での思い出を語るマサムネさん。東京に来たばかりで知り合いもいない、でもひとりで部屋にいるのは寂しい、と、調布駅近くのマクドナルドでコーヒーを買って文庫本を読んでいたと言う。想像したら絵になるわあ。

・「その頃を思うと、今、こんなにたくさんの人に見てもらえて……夢みたいです。笑」

・その少し後に田村さんと出会う。

・田村さん、いつも以上に跳んでいる。めっちゃ元気で安心する。

 

 

エゴサの話。

田「この前スピッツの歌詞についてのハッシュタグ※ができてて…」※ #衝撃を受けたスピッツの歌詞 

草「え……こわ」

私(え、そうなのか)

一緒にいた人(そうそう、数日前に突然トレンド入りしてた)

私(まじか)

 

田「歌詞が一行書いてあるだけなんだけど。あ、別に草野の性癖とかは明かされてないよ?ww」 

草(笑いながら訝しげ)

会場(とりあえず笑うしかない)

田「例えば『本当は犬なのにサムライのつもり』とか。」

草「そうなの?で、こういうところが変態、とか続けて書いてたり……(拗ねるように)?」

田「違う違うw」

私(変態と思われる認識はしているのか…褒め言葉なんだけどねえ)

 

田「スピッツがインディーズのときにさ、『マムシの歌』ってのがあったじゃない。ロックバンドでマムシか、すごいなあ、と。」

草「あれは…学校の近くでマムシが出るから気をつけてくださいねって校長先生が言ってたのを歌にしただけですよ…?」

田「だからもうね、『僕のペニスケース』とかじゃあ驚かないわけですよ……(会場若干ザワる)どんな歌詞でももう…」

草「…田植えの季節、とかね…?笑」

私(巧妙にケースから話題を逸らした─?)

 

・田村さんスピッツの歌詞大好き問題

田「(タグを見て)改めてスピッツの歌詞ってやっぱすごいなあって思ったね」

草「…そう?他にも色んなすごい歌詞書くバンド、ありますけどね?」

田「いや!やっぱりスピッツはすごいって!」

草「…!ありがとうございます笑 バンド内で褒めあってますね…」

私(純粋すぎもほどほどにしてくれ…ほんわかしちゃうだろ…)

 

 

・テッちゃん、U2のライブに行くの巻

「昨日U2のライブに行ってきたんですよ。若いつもりで、スタンディングの席を買ってね。そしたらヤバかったね……めっちゃくちゃ疲れるの!笑」

「俺ら今こうして立ってるじゃん、あ、田村は座ってるけど(MC時に捌ける)。ギター持って立ってるときは平気なんだけどね。何もしてないで立ってるのはダメだった……」

「みんなも無理しないで座ったりしてね」

 

メンバー共通で「おじさんになると話が長いから」「座って休んで大丈夫ですよ」「今この時間、トイレとか行っても平気だよ」と休息を促す体に優しいロックバンド、それがスピッツです。

 

・ちなみに過去、MC時に捌けた田村さんがあるメニューを爆速で食べているのが見えました。今も食べているのだろうか…

 

 

・流れは曖昧だけど奇跡のワードちりばめ

田「50代になってもバンドやってるって思ってなかったです笑」

草「もっとこうね、弾き語り的なのは想像ついたかもしれないですけど、ロックバンド─」

田「なんかね、奇跡みたいなものだなって思ってます」

会場(心を掴まれる)

 

田「ひとりの逮捕者もなく続けてこられて─」

会場(笑うしかない)

テ「うん……でも、それが普通なんじゃ─?

会場(ご も っ と も )

 

テッちゃんって「人は結局見た目による?そんなわけない。それこそ人によるんだよ」を体現してくれている日本代表だと思っている。

こんなに繊細でまっとうで物静かな奇抜な人もいるのです。派手な人みんなが怪しげなクラブで闇ウェイしているとは思わないでほしいのだぜ。

(ちなみに私の母親はピアスや髭を生やす男性に割と厳しいが、テツヤ氏に関しては「テッちゃんはOK。テッちゃんはあのままがいい」と特例を設けているほどの信頼を置いている)

 

 

 

・みんなの癒し、崎ちゃんはバーテン

「(ニコニコしながら)最近知ったんですけど、付き合ってはいけない男の3Bってのがあるらしくて─」

私(あ、そ、それは…!)

一緒にいた人(笑ってる)

崎「美容師。バーテンダー。…バンドマン……」

(メンバー笑う)

崎「しかも僕の今日の服装、若干バーテンダーみたいだし。笑」

たぶんマサムネ「ほんとだ。笑 3つのBのうちの2つを持つ……」

この日の崎ちゃんは白シャツの上に黒いベストを合わせていた。

似合うけど確かにバーテンっぽさがあり、こんなマスターがいたら通うだろうなという邪念が頭をかすめていた。

 

・オシャレな崎ちゃん

「そういえばベストよく着るよね」のメンバーの問いに

「好きなんですよ。ドラマーって下がほとんど映らないんで、上半身で勝負っていうか。笑」

このくだり一番癒された。崎ちゃんはバンドの平和の象徴だな。これからは崎ちゃんの上半身ファッションに注目しよう。

マサムネさんも「そんな理由が」的に納得していた。

 

 

以上、総じて優しく平和でカッコよく、芯の通ったバンド活動と音楽とメンバー愛が垣間見えるMC一部(ニュアンス含む)を現場からお届けしました。 

 

 

 

 

 

さて今頃は武蔵野森、2日目かあ。いいなあ。

行かれた方々の感想と高揚感のダダ漏れを楽しみに、今宵もスマートフォンでセットリストを追う長い余韻に浸ります。

 

 

【8/12ロッキンレポ前編】私得すぎな最終日。風を呼ぶGRAPEVINE、スカパラ沼、エレカシの進化

最終日があまりにも好きな人たちの集結で、久々ロッキン参戦してまいりました!

いやー楽しかった。

何年ぶりだろう?もしかしたら5年ぶりぐらいかもしれない。

ほかのSNSでたくさん感想を呟いたが、ここにも当日振り返りを残しておこう。

 

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くもり予報はどこへという青空でした。

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いつからか勝田駅の社員の方々によるエモい手作りポスターが楽しみの一つになった。しっかり激写。

今年はこういう感じだったぞ(誰に伝えているのか)!

 

【マイタイムテーブル】

GRAPEVINE 12:20〜

スカパラ 13:00〜 ※途中から

エレカシ 14:15〜

ポルノグラフィティ 15:30〜

スピッツ 16:45〜

フジファブリック 17:30〜 ※途中から

ほらね、推し多すぎィ!

こんなに観たい人詰め込まれフェスは初めてかも。どういうことだ。

本当はindigo、くるりチェコも観たかったけど物理的に無理だったよねえ。

 

一部ステージ移動に間に合わないほどのかぶり具合、

でも充足感はんぱない。素晴らしかった!

びっくりするぐらいに暑くて汗まみれだったけどね!

 

たぶん観たい人たちが多すぎてあまり休めなかったのもあったけど、

個人的には大雨の2017年フジロックと肩を並べる過酷さだった。笑

でも次から次へと良い音楽の渦でとても心地良かった。

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いえーい記念写真。

(この時点で既に「ヤバい」暑さを実感しているが隠している)

掲げているタオルはスピッツの名前猫タオル※。

※『名前をつけてやる』というアルバムのジャケットにいる猫が描かれたタオルを勝手にこう呼んでいる

洋服は高円寺で数年前に購入した古着のワンピース。こういうイベント時に活躍。

 

当日ライブ直後に書き留めていたメモを交え、時系列でレポするよ!

まずは前編3バンド。

 

GRAPEVINE 12:20〜

・田中くんいつもの白シャツ

・うお、陽が照っているな…と弱気

・いつも通り色気全開

・10年ぶりのロッキンらしい

・「次いつ来るかわからんぞう!」

・風待ちのラスト、「風のせいかなあ?」の歌詞で本当にそよそよと自然の風が吹いて、田中氏は魔法使い

・フォレスト日陰多くて心地良くて好き

 

久々のバイン、相変わらずカッコよかったな。

それこそ2017年のフジロックぶり?

田中氏気だるい色気全開、喋る声はハスキー、気のいいあんちゃん。

歌うとちゃんと「バイン」になるのがすごい。キャリア感じさせる。

ラストにCOREをやるかな?COREのトリップ感好きすぎる!

あの日のフジロックの再来を(2017フジロックでラストにこの曲をやった。ちなみに第1回目のJAPAN JAMで初めて聴いて好きになった)!と期待していたが、

ラストに彼らが選んだのは『Everyman,everywhere』というまあまあレアな曲だった。

そっちのコアか!でもこの曲も好きなので満足感がすごい。

 

『風待ち』も嬉しかったなあ。

しかも本当に最後にサーッと風が吹いてねえ。心地良い風が。

歌詞の通りかよ……ってひそかに感動していたよ。

いえーい夏だぜ!ハジけるぜ!なイメージは失礼ながら(失礼ではないか)無いけれど、

緑ある爽やかな木の下で読書したり、ハンモックで幸せなうたた寝をしてしまうような

そんな心地の良い夏の1ページがとても似合う人たちなのかもしれない。

 

Sound Of Forestのステージは、客席後方が木陰多めでかなり快適に観られるので好きです。

バインにとても似合う。

 

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こういう感じ。この男性、弟ね。

 

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バイン前は森のキッチンというフードスペースでビールとごはん。

ここにいるときも音ががっつり聴こえるから、ごはん食べながら音漏れ聴くのが楽しみな人もかなりいるのではないかな。

会場に着いた時点で既に汗だくだったけど、このステージ中はむしろ涼しく

体を休めながらバインの音を楽しむことができました。

 

さて、余韻に浸りつつ次のステージへ移動せねば!

 

 

スカパラ 13:00〜 ※途中から

今年のJAPAN JAMで初めてライブを観て以来、

スカパラが気になって気になって。

だってめちゃくちゃカッコ良くて、何より音楽愛が伝わってきたんです。

この日もマストで観る予定に入れていました。

 

バインが思いのほか早く終わった(12時50分ぐらい)が、さすがに最初からは間に合わず。

 

スカパラはロッキン最大規模のGrass Stage出演。噂によると6万人は入るとか……

そして私のお目当てバンドはここからほぼ全て、この最大ステージでのパフォーマンスなのだが

Grassエリアに到着して軽く不安を覚えた。

 

暑い!!!し、日陰ほぼなし!!!!??

大丈夫なのかこの仕様……!?!?

前もこんな感じだったっけ、いやきっとそうだよな…今年が暑すぎるのか???

到着しただけで汗まみれ、水分補給が早急に必要な状況だぞ。

でもみんなそんななか拳振り上げて盛り上がっている!!!!!すごい!!し、

スカパラ、スーツで超カッコいいパフォーマンスしてる!!!!!すごすぎる!!

早くしっかり観たい!!

 

心は前方で盛り上がりたい気持ちでいっぱいだが、夕方まで体力を温存せねばならないため

まずはとにかく「日陰」を探して歩く。

運良く後方で日陰っぽい場所を確保したあとはライブを楽しむ余裕ができた。良かった……

体力的にヤバいと思ったら良い位置をあきらめる勇気も必要。それが真夏の野外フェス……

ガチ太陽の下で盛り上がる猛者たちに尊敬と健康への憧れを抱きながら、しかし終わったらくれぐれも水分補給をしてねと念を送りながら

自分のペースで楽しみました。

 

終演直後のメモ抜粋


・みんな相変わらず超超ちょーカッコいい

・みんな、この暑い中、スーツ……すごい

・特にギターの方と谷中さんのカッコよさしびれる

・谷中さんだんだん阿部寛に見えてくる

・民生さんがスペシャルゲストでやってくる

・大歓声

・私、何度も民生を観られているので「あ、民生だ。」親戚のひとの反応か!

・最後、谷中さんの掛け声でJAPAN JAMでもやったセルフィータイム

・谷中さんのインスタ、人脈と音楽への純粋さやつながりの嬉しさが滲み出ていて大好きだ〜〜

 

 

実際にはこの10倍ぐらいテンション高く感動していたが、体力がね。

とにかく2回目の生スカパラもめっっちゃくちゃカッコ良くてやはり音楽愛に溢れていて、大好きだなと思いました。

音楽の楽しさを思い出させてくれるステージというかね、

自然に体が動くってこういうことだなと。

メンバー全員本当に楽しそうだし、スーツをビシッと着こなしている姿も本当に素敵。

民生参加の大名曲、美しく燃える森も生で聴けて贅沢すぎました。

あと『遊戯みたいにGO』って曲が大好き!めちゃ良い!踊れる!

最近この曲ばかり聴いています。

 

最初、遊戯でGOってタイトルだと誤解してた。電車でGO世代なのがバレる。

 

音楽以外の話にはなるが、人数が多いにも関わらず体型が崩れているメンバーが全く見受けられないことからも

彼らは相当ストイックな努力の集合体なのだと思わされるし

付随して音楽に対しての努力も相当なものであるのは明らかだよね。

いつまでもスーツを着こなしカッコいい音を奏でられる大人。

カッコ良くて楽しそうで憧れてしまう大人たちが、音楽の楽しさを次世代へつなげる……

 

音楽への入り口ってのはさあ、

カッコいい、ただそれだけでいいんだよ。

 

いやメンバーがそう思っているかは分かりませんが

そんな声が聞こえてくるようなステージでした。

メンバー全員が共通認識を持って、グループでいる自覚を持って行動しているような雰囲気を感じた。

ああさすが歴史があるグループ、

磨かれて磨かれて、ここにいるのだな。

次は絶対にワンマンへ行こう!と誓いました。

 

 

さらにスカパラにはまだまだ語りたいエピソードがありまして…

特に当日のレポにも書いたメンバー谷中敦さん。

まだ知識が浅いので、確かに阿部寛に見えるときもたまにあるのですが

彼のInstagramが!Twitterもだけど、インスタが!本当に人柄が現れていて素敵なのですよ。

 

インスタ、JAPAN JAM後に初めて拝見したのですが

それ以来ほんと好きで。

なんていうか、若手の方や自分がまだ知り得ていない世界に対してとてもリスペクトがあるように感じるのだ。

最近で言えばサブスク(SpotifyAWA)の会社訪問で刺激をもらったような話や、

たくさんのミュージシャンとのセルフィー。

添えてある文章も本当に謙虚さや喜び、リスペクト、知らない世界を知ろうとする気持ちで溢れていて奥深い。

こういう柔軟で謙虚な大人に私は弱いんだよな(きっぱり)!!

 

写真と文章で素敵な瞬間を残し、それを伝えることが純粋に好きなのだろうと感じるし

ていうか絶対「書くこと」好きだよね!と調べたら、グループでも結構作詞を担当されているとか………合点がいったァァァ

そういうひと、長文書きがち、文章大好きな私が

嫌いなわけないじゃないかよ〜〜!

これからもついていきます!!!

 

 

ちなみに特にヤバいのはこの投稿へのリプ事件。

 

(見てよこの景色!!!最高だろう…)

 

ロッキンに関する素敵な投稿なのですが

その投稿に集まる感想コメントに、なぜだか分かりませんがずっと返信をし続けている(いた)のですよ。信じられます??

 

しかも、とってもオリジナリティのある言葉を一つ一つに添えて………

例えば…

 

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ほら…3日前、もうロッキン終わって数日経っているのに、まだ何人ものユーザーにリプ返してくださっているし

こんな文字数多くて丁寧な著名人のリプってある!?!?

しかも察するに、ファンから「人生のまなび」を得ているよ???

善人通り越して神か何かでしょうか。

きっとあまりにロッキンの景色にグッと来ていつもはしないコメ返しをしてしまったということなのだろうけれど

今回限りかもしれないし、それは当たり前だろうし

それでも、それでもだよ。

 

そんなやり取りがコメント数から察するに、推定500件以上なんだよね!!!!!!!!

谷中さん何人いるの!

休んで!!

谷中さん休んで大丈夫だから!!

でも、めちゃくちゃ嬉しいです!!ありがとうございます!!!

(ありえなさすぎて声を大にしたい)

 

そう、何を隠そう私もリプをいただいた一人なのですよ。えっなんかごめんみんな、うっかりすばらしい恩恵にあずかってしまって……

ロッキン当日の深夜、コメントしてから20分程度で返信をいただいて本当にびっくりするやら恐縮するやらでした。

谷中敦という音楽家のあったかい本気……しかと受け止めました…!!

ますます最高の思い出になりました。ありがとうございました…絶対にまたライブに行きますね…!

 

そしてさあ…もうお一方、

パフォーマンスがカッコいいなあと思っていた「ギターの方」こと加藤隆志さんのことも調べてしまったんですが…

 

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名前を検索してすぐ出てくるこの写真

カッコ良すぎません?

 

いややっぱりカッコ良すぎますし、

なになに、参照元Twitterか…どれどれ……

ファンの方のツイートがバズったのかな…

と秒で見に行ってみたら

 


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そのカッコいい写真でバズってるの、谷中さんかよ〜〜!!!!!

谷中さんが(も?)アップしてるのかよ〜〜〜!!!☺️☺️

(タグ付けされている青木カズローさんというカメラマンが撮った写真と推測しますが、合っておりますか?本当に素敵なお写真です……)

なんなんだよこの渋いお茶目なカッコいいグループのメンバー愛〜〜!!!😭😭😭

 

 

お察しと思いますが既にに入りかけているため、スカパラの件は個別にも記事にするかもしれません。うん。

フェスでの新たな音の出会い、久々に感じている!

 

 

うう。2バンド観た時点で胸いっぱいだが、ここからまだまだ素晴らしいバンドが出るんですよ。

お得フェスすぎるだろ……

 

お次はこのブログを見てくださっている方にはお馴染みかもしれません、推しの一つであるエレカシです!

 

 

エレカシ 14:15〜

スカパラ後、さらにいい感じの日陰を見つけ

推しではあるが後方で観る決意を固める。

これまでの私なら意地でも前方へ。最前とかではないにしても

言わば「フェス」は彼らにとって一応アウェー。

ファンとして、そこそこ前方でタオルを掲げ応援するのです…!

みたいな謎の使命感(どこでも人気があるため本来不要)があったわけだが、

この日はごめん、体を優先したよ……

 

それに、これまでたくさん近くでエレカシを観られているから

新しいファンの方や初めて観る方にもっと良い位置で観てほしい気持ちも実は芽生えてきている。

古参ドヤしたい気持ちではなく、なんだろう。

関係者でも何でもないが、こういうちょっとした広報的な、同士的な立ち位置のファン心理というのが確実にさまざまな界隈で存在しているよなあと思ってみたり。

(余談だがSMAPファンの方々も、自分以外のファンのラッキーを純粋に喜ぶ優しき方々が多い)

もちろん後方でも盛り上がるし感動は変わらないから安心してくれエビバディ!

 

 

以下当日のメモ。この通り、とっても良かったのです。

あとで解説も入れるからね。

 

・蔦谷さん久々に登場!蔦谷さんのためのようなセトリ懐かしい〜美しかった

・宮本さん、気のせいじゃなく歌がさらに上手くなってる

・ソロで表現力が増しているのだと思う、野音の時も思った

・特に翳りゆく部屋。今まで聴いたみやじの翳りゆく部屋の中で一番良かった、自然と涙こぼれてた

・グラスステージの数万人が静寂になったかの錯覚

・てか髪長っ

・靴下穴空いてるアピール

・あつい、とつぶやく

・みんなマジでカッコよく見えてきたぞ!と、ソロの散歩で悪いことを覚えてマジとか使い始める

・なんていうのか、ソロ、やってよかったよねと思わせるボーカリストとしての表現力。全てはエレカシの歌の輝きを増すためにあったのかと思ってホッとした

・もう一度命が吹き込まれたような

・家の中では子どもだったのに、知らないうちに外でいろんな出会いを得て大人になった少年みたい

・これからも素晴らしいステージを見せてください

・まづ、とか、ありがたう、とかTwitterのつぶやきで使うような時代を間違えた人が、音楽というもので現代の何万人もの若者たちとつながっているのだから面白いと思わないか?

 

興奮が表れていますね。

終わった直後、ポルノグラフィティを待っている間に書いていました。

 

以下詳しくセルフ解説。

 

・蔦谷さん久々に登場!蔦谷さんのためのようなセトリ懐かしい〜美しかった

 

→ファンになった10年前当時から、いつもキーボードかつプロデューサーとしてエレカシに寄り添ってくれていた蔦谷好位置さんが

野音に続き、久々にエレカシのサポートを。

数年前、ご本人のブログで「エレカシと離れることになった経緯」を真摯に語っていたことがあり、そのエピソードにとても胸を打たれたから

この再タッグはなんだか、感慨深かったよ。

 

興味のある方はここから。今見ても泣ける。

蔦谷好位置 Koichi Tsutaya on Instagram: “今日はデビュー30周年を迎えるエレファントカシマシの「All Time Best Album THE FIGHTING MAN」がリリースされました。 僕はDisc1に収録されている曲のうち6曲プロデュースや作曲で関わらせてもらっています。…”

 

蔦谷さん参加のエレカシ、宮本さんは「帰ってきました!」とさりげなく言っていたけれど

そういえば一緒にやらなくなってもう随分と経ったのかと思った。

2、3年どころじゃ、なかったんだな。

 

ハナウタ、翳りゆく部屋。

桜の花、舞い上がる道を。笑顔の未来へ。

これらのセトリは、間違いなくそれを一緒に作り上げた蔦谷さんが引き出してくれて

それは私がいちばんライブに通い詰めた時期のセトリと似ていて。

もっと長いファンにはポップすぎる時期とも言えるかもだが、

綺麗な曲がたくさんの、花のような時期なんだ。

 

・宮本さん、気のせいじゃなく歌がさらに上手くなってる

・ソロで表現力が増しているのだと思う、野音の時も思った

→これほんとに。ミュージカルでもやってきたのかな?ってぐらいの表現力だった。

 

・特に翳りゆく部屋。今まで聴いたみやじの翳りゆく部屋の中で一番良かった、自然と涙こぼれてた

・グラスステージにいる数万人が静寂になったかのような錯覚

 

→この日の『翳りゆく部屋』のカバー、格別だった。

あんなに美しい声で6万人の前で歌えるのは本当に気持ちがいいだろう。

歌のために大好きだったはずのタバコもやめた50代の宮本浩次

職業、ロック歌手。

この気持ち良さを味わうためなら

なんだってやるだろうな、と勝手に想像をした。

 

・てか髪長っ

・靴下穴空いてるアピール

・あつい、とつぶやく

・客席に向かい、「みんなマジでカッコよく見えてきたぞ!」と、ソロの散歩で悪いことを覚えてマジとか使い始める

 

→この辺りはファン視点ですみません。

あとこんなMCもありましたね。

 

「靴下に穴が空いている!こんな53歳のおじさんをどう思いますかあ!!」

 

唐突にどうした。

MCまでソロで磨かれていて(これは磨かれているのですよ)ウケたのだけど、

「かわいいよー!」

と遠くから声をかけておいたのは内緒にしておきます。

 

・なんていうのか、ソロ、やってよかったよねと思わせるボーカリストとしての表現力。

全てはエレカシの歌の輝きを増すためにあったのかと思ってホッとした

・もう一度命が吹き込まれたような

家の中では子どもだったのに、知らないうちに外でいろんな出会いを得て大人になった少年みたい

・これからも素晴らしいステージを見せてください

 

→大きな声では言えないが、私はソロ活動にそこまで肯定的ではありませんでした。

だって別にエレカシでやればいいことじゃないか、と。

しかもソロ曲のタイトルもエレカシの作品と酷似しているし、ソロステージでエレカシの曲もやっているらしいし、線引きが非常によく分からず。

もうほんとにごめんだけど、「色気付いてしまったなあ」とさえ少し思っていた。

 

やっぱりバンドで、あの4人でのステージが観たいんだよなあ。

そう思ってしまう気持ちも少なからずあった。

 

でも野音の外聴きと今回のステージを観て、

ああエレカシの曲がさらにパワーアップしてしまったなと。参ったよ。

これを見せられては、宮本の散歩(ソロ活動の公式的表現が「散歩」なのです)、許さないわけにはいかないなあと。

 

今のところ息子も娘も育てたことないけれど、なんとなく

家では見せたことのない顔を見せた、

外でひとりで新しい世界を見て、少し大人になって人間力が増した少年の冒険を見ている気分になるんだよね。

とても年上の男性に何を言うかという話だが。

かわいい子には旅をさせよってこと、か……(間違ったまま進む理解)

 

まづ、とかありがたう、とかTwitterのつぶやきで使うような時代を間違えた人が、音楽というもので現代の何万人もの若者たちとつながっているのだから面白いと思わないか?

 

→これはそのまんま。ほんと、おかしくて面白いことだと思うよ。

ガチで旧仮名遣いを使う53歳の人が、若者の集う日本最大級フェスで大衆の心を掴むのだもの。

嗚呼、いとをかし。

こんな楽しく興味深いつながりを、もっともっと見ていたい。

いろんな生き方、いろんな世代をつなぐものが音楽であり感動体験なのだな、と

このステージを観て改めて感じてしまった。

 

 

まだまだ鳴り止まないなあ。

ポルノ、スピッツフジファブリックの話は後編へ続きます!